Archive for the ‘国際関係と歴史’ Category.
2021-02-02, 21:45
ここから調査してみました。資料はエドワード・ルトワック「クーデター入門」の巻末補遺の表C・2 クーデターの成功・失敗リスト(1945-2010年)。私は統計というか資料の見方のプロではないので、あまりややこしいことはせずに、まずは単純に成功しかしていない国と失敗しかしていない国を羅列してみます。成功続き、失敗続きの場合はその回数も書いておきます。(何も書いていない場合は1回のみの成功・失敗。)ちなみに、元の資料にはクーデターの実行主体も書いてあって、たまに「それはクーデターなのかな?」と思わなくもないものも入っているんですが、とりあえずはこの資料を元にカウントしますので悪しからず。多分真面目に探せば、どっかによりわかりやすい最新のデータが転がっていると思います。クーデター回数とその成功率のリスト。見つけた人は興味あるので教えてください…
クーデター成功のみ
ブルキナファソ(5回) ルワンダ(2回) サントメ・プリンシペ マレーシア ソロモン諸島 キプロス チェコ ポーランド ルーマニア スロバキア ブラジル(4回) コロンビア(2回) ウルグアイ(2回) オマーン チュニジア ネパール(2回)
クーデター失敗のみ
アンゴラ カメルーン ガボン ケニア ザンビア(3回) 日本 北朝鮮(2回) パプアニューギニア 東ティモール(2回) バヌアツ アルバニア ドミニカ トリニダード・トバゴ(2回) バーレーン レバノン(2回) モロッコ(2回) アラブ首長国連邦(2回) スリランカ(2回)
成功体験のみの国は16カ国、うち複数成功しているのは6カ国(37.5%)。失敗体験のみの国は18カ国、うち複数失敗しているのは8カ国なので44.4%。「あ、それもクーデターカウントですか…」みたいなのも個人的な感覚では結構入っているし、これじゃあいまいちわからない。ということで、今度は10回以上クーデターが起きている国のそれぞれの成功率を見てみます。(カッコの中は 成功数/総数 割合(小数点第2位で四捨五入))
アフリカ
ベニン(5/14 35.7%) ブルンジ(5/12 41.7%) 中央アフリカ(5/10 50% ) チャド(3/15 20%) コモロ(5/18 27.8%) ガーナ(5/10 50% ) シエラレオネ(5/10 50% ) スーダン(4/14 28.6%) トーゴ(4/12 33.3%)
東アジアと太平洋
フィリピン(1/11 9.1%) タイ(11/16 68.8% ) カンボジア(4/10 40%)
ラテンアメリカとカリブ海
アルゼンチン(8/17 47.1%) ボリビア(9/15 60% ) エクアドル(8/11 72.7% ) グアテマラ(5/13 38.5%) ハイチ(9/15 60% ) ペルー(6/10 60% ) ベネズエラ(3/11 27.3%)
中東と北アフリカ
イラク(4/11 36.4%) シリア(11/14 78.6% )
こうやってみると、アフリカ諸国は数は多いものの成功率はあまり良くない。南米は数も多けりゃ成功率も高い。中東&北アフリカのイスラム圏は意外と少ない。アジアも実は10回に届かないけれども5回以上の国が満遍なく広がっている状態で、最初は東南アジアにクーデター頻発地域が固まってるのかなと思ったのですが、実はアジアには中国がどどーんと存在しているため、そもそもその他の国の数が少ないのでした。中央アジアは集計期間の半分以上ソ連だったしね…と考えると、やっぱりクーデターが多い地域といえそう。
そして肝心の「クーデターの成功体験ゆえに歴史は繰り返すのではないか?」という点について、最初に申し上げた通り統計が出来ない故に、私がみたところの印象になりますが、10回以上クーデターが起きている国はほとんどの国で1回目か2回目の少なくともどちらかで成功しています。例外はアルゼンチンのみ。 ので、初期の成功体験により、クーデターという選択肢が比較的容易に選ばれるのではないか?とは言えそうです。
ついでに資料で目についたことを何点か。(と言うより、諦めの悪い国の羅列)
2〜4回失敗続きの後に成功するパターンがそこそこ多いのですが(数打ちゃあたると言うことだろうか?)、アフリカは最近になるほど失敗続きの国もある。チャドは8回連続失敗。ベニンは6回。その後成功した記録もない。 トーゴは6連続失敗後、1回成功。 連続クーデター失敗の最多記録はフィリピン。10連続。成功も最初の1回のみ。いい加減諦めた方がいいと思う。 南米は割と手堅く成功体験を繰り返しているのだが、ベネズエラは7連続失敗。2010年以降の記録がないものの、一昨年にもクーデター鎮圧したとかニュースになってましたね。
もう、集計する気もわかないのか、北米や西ヨーロッパはリストに国名さえ上がっていないのですが 、ルトワックによると
経済の後進性 政治的独立(その国の国内政治における外国の影響が比較的少ないこと) 有機的統一(政治的中心があること)
の3つがクーデターの条件になるので、まぁまず起こらんわいってことでしょうね。逆に失敗続きでもクーデターが続く国というのは、国内政治の状況の悪さゆえでしょうから、一概にクーデター連続失敗してよかったね!とも言えないわけです。新型コロナウィルスの影響により、世界的に経済状況が悪くなっていくなかで、今後クーデターが増えるのかどうか、気になるところです。
以上、私の資料読み解き能力の低さ故、いまいちよくわからん結果ではありましたが、「10回以上繰り返している国はほとんど初回か2回目にはクーデター成功体験を持っている」というまとめで終えようと思います。お粗末様でした。
追記:よくよく考えると「クーデターに記憶」だけでも、繰り返す原因になるのかもしれない。まぁ、失敗後の首謀者の扱い方や政治状況によっても違うのだろうけど。なので、まぁ、これはあくまで数字の上の話ですね。やっぱりちゃんと状況を個別に分析しないと、「クーデター経験がある国の方が繰り返しやすい」とは言えないな。
2020-01-11, 12:25
新年一冊目、ではないのだけれど、新年最初に書き込みながら読んだ本なので、簡単に気になったポイントその他まとめたいと思います。
さて、ドナルド・トランプはソーシャルメディア(ツイッター)を使い大統領になった初の人物といえるのだが、この裏には周知の通り、色々な思惑の国や人が蠢いていて、それぞれ手を尽くしてトランプの大統領選を勝利に導いた。その詳細は本書を読んでいただくとして、ソーシャルメディアを使いこなしているのは、ISISも同じ。
「ISISは、現実にはこれといったサイバー戦の能力を備えていただけではなく、とにかくバイラルマーケティングのような軍事攻勢をかけて、あり得ないはずだった勝利を収めたのだ。ISISはネットワークをハックしたのではない。ネット上の情報 をハックしたのだった。
P19
ISISのアカウントが「この街を攻めるぞー!」と呟けば、「ISISが攻めてくるぞー!」とツイッターやフェイスブックで住民や防衛している兵士の間に拡散する。結果、防衛側の士気が下がり、大した苦労なくISISは街を占領できる。「テロの恐怖」の拡散だけで、現実の戦いに勝てる可能性が出てきたのだ。戦闘するお金が足りなくなれば、ペイパルでクラウドファンディングでもすればよい。一人当たりは少額でも、全世界中から募金が集まる。正しく「戦争売ります」の世界だ。中東の戦闘から他の例をもう一つ。
結果は衝撃的だった。ネット上でハマス側への共感が急増すると、イスラエルは空爆を半分以下 に減らし、逆にプロパガンダを二倍以上増やしていた。これらのツイートの感情(イスラエル寄りかパレスチナ寄りか)を時系列で表にすれば、地上で何が起きていたかを推測するだけでなく、イスラエルの次の行動を予測することも可能だった。イスラエルの政治家やIDF司令官らはひたすら戦場の地図を見つめていたのではなかった。自分たちツイッターのタイムライン、つまりSNS戦争の戦場にも目を光らせていた。
P311
現実の暴力や戦争とソーシャルメディアが完全に繋がった状態になってしまったのだ。
また、ソーシャルメディアにおいては、真実よりも「嘘だろうとどれだけ拡散したか」が重要になってくる。また「繋がる」こと自体に意味があるので、ユーザーは一つのサービスに集中しやすい。そこで影響力のある少数の「スーパースプレッダー」がシェアすれば、それは瞬く間に広がっていく。フェイクであろうと真実であろうと「物語」を作って 、拡散することがソーシャルメディア界を支配するキーになる。バイラル性は複雑なものと両立しない。本当は前提のあった物語(例えば「ちょっと小言を言っただけで、バットで殴り返してくる子供」)でも、それぞれの立場から都合のいい話に縮められて(「(ちょっと小言を言っただけで、バットで殴り返してくる)子供を平手打ちした」)、拡散していく。その流れを「ボット」や「トロール」などでコントロール出来れば、「思惑のある人々」にとっては上出来だ。トランプはこうして、ヒラリー・クリントンを下した。
とは言え、インターネットそのものは国に弱い。現に自由とは言い難い国ではインターネット遮断はよくあること。遮断すると経済に影響が出てしまう場合は、接続スピードをちょっと遅くすれば良い。もしくは「政府に都合の悪い意見を書き込むと刑務所に入れられる」といった雰囲気が国民の間に共有されれば、自主検閲が始まり、結果政府が望む意見が多数派になることも可能だ。
なお、中国のソーシャルメディアに対する態度は少し違う。資金を投入しまくったおかげで、世界一の監視サービスや他国の有害な情報を遮断する仕組みを整えることが出来た。国民のありとあらゆる情報を一つのプラットフォームに纏めることで、集中管理しやすくなる。おそらくいろいろな国にとって中国のネット環境は憧れだろう。だが、国民が政府より過激になってしまい、(かれらにとっての)弱腰政府の批判を始めないようコントロールしなくてはならなくなった。「社会信用システム」において、オンライン上で政府に都合の悪いことを言うなど、スコアが悪くなれば就職や結婚に影響する。もちろん、家族のスコアも重要なので、自主検閲せざるを得ない。この「1984」的なシステム、中国の輸出商品になっているらしい・・・
また、ソーシャルメディアにおいては、管理者が政府ではなく、一般企業という点にも注意を払う必要がある。どんなに崇高な理念で始めたものであろうと、現に戦場となっているからには規制が必要になってくる。如何にその規制を企業にやらせるのか?言論統制ギリギリの選択が求められている。また、そのソーシャルメディア企業が「どのような政治信念を持っているか」も重要で、それこそ反民主主義的国家に対して、放置以上に融通を利かせたり、ということもあるかもしれない。買収だってあり得るのだ。
本書において、「じゃあ、どうしたらいいの?」という問いに対して明確な答えは出ていない。ソーシャルメディア企業にも責任はあるし、何より一人ひとりがSNSにつながっている以上、この戦場の戦闘員となっている。「みんなが嘘を嘘と見抜けるように賢くなる」というのも非現実的だ。とりあえずはソーシャルメディアの仕組みや起きていることに自覚していくしか道はなさそうで、それはそれで遠い道のりになることは間違いない。
2019-11-03, 12:13
私の大学の専攻からすると、今更感が溢れるばかりの本を、今更読みました。実は洋書(原著)でも持ってるんだけど、洋書はかなり覚悟を持って挑まないと、手を出せないので、長らく積読状態・・・そのうちまたちゃんと読もうと思います。
で、まず表紙についてなんですが、下巻の方は東京裁判ってのがすぐにわかるものの、上巻(そして洋書の)表紙は私ずっと「浜辺を歩いている男性」だと思ってたんですね。マジマジと眺めたことなかったし。実はそれが「広島を歩いている男性」と知ったのが、この本で一番の個人的衝撃。よくよく見ると、遠くの方に木がうつってたり、小屋みたいなものもあるので、陸地というのがわかるんだけれども、そのほか「街っぽい」ところが何にもなく、平べったい部分(浜辺に見えたおそらく道路)とちょっと凹凸のある部分(波に見えたおそらくかつて建物のあった区域)から浜辺だろうと勘違いしておりました。原爆がどれだけいろいろな物を吹っ飛ばしていったか、という証左でもあり、それがまた恐ろしい。
さて、肝心の中身は戦後日本のいろいろな側面から論じており、有名な本だからこそ今更私がここでどうのこうの言うのもどうかと思うので、「あくまで私のピックアップポイント」で書かせていただきます。
まず、マッカーサーとGHQが、天皇の戦争責任をなぜ回避したのか?その理由として「占領に役立つ」というのはいいのだが、ジョン・ダワーの書きっぷり(彼自身は天皇の無罪放免に反対の立場の模様)からすると、他に何か理由がありそうに感じてしまう。「占領に役立つ」だけでは、物足りないというか・・・ただ、その他の理由が読めども見えてこないので、非常にモヤるのだ。もちろん、これは単に私の読解力がないだけなのかもしれないが。最終的に戦後の皇居で行われていたというGHQ高官およびその家族を招いての鴨猟(とそれに類するもの)が理由なんではないか?と考えてしまうほど。
そして次に東京裁判について。以前読んだ半藤一利の本に「ナチスと違って、日本の場合は共謀罪が適用できず、最終的になあなあになった」といった趣旨のことが書いてあったんですが、今回「敗北を抱きしめて」を読んで、なるほどこれは確かにそうだったのだな、と。確かに、1933年からずっと継続して、同じメンバーが政府を取り仕切り、同じメンバーがそのまま「人道に対する罪」を犯したナチスと違って、同じ期間に12人も総理大臣が変わってるし、メジャーなところで日中戦争を始めたのと、太平洋戦争を始めたのは(もちろん、全く無関係ではないのだが)違う内閣で違う理由からである。誰かがわかりやすく「一番悪い」状態ではないが、それがわかりやすかったナチスのときの基準をそのまま適用してしまったのが東京裁判の問題であり、そのような問題を孕んだままに進めてしまったから、いまだに歴史観が二分されている、ということなのでしょう。ものすごくはっきり言えば「日本人に言い訳の余地が残されてしまった」ということか。
「言い訳の余地が残されてしまった」というのは、実は他のGHQの政策でも同じで、先に取り上げた天皇の戦争責任もそうだし、かなり理想主義的な憲法の中身をきめておきながら 、それに反するかのような施策を占領末期に行う、民主主義や自由を称賛しつつも、反体制的なだけではない、今考えると「?」なものまで検閲をするなど、結構ダブルスタンダードが甚だしいような・・・そのままここまで来てしまった日本は、そのダブルスタンダードを抱えたままにするのか、それともそれを解消するのか、どこかで決めなければならないし、決め方をミスるとまたもや取り返しのつかないことなることになるでしょう。どっちに転んでも。
最後に私の気分を表している部分を引用して終わります。
この観点からみると、この「上からの革命」のひとつの遺産は、権力を受容するという社会的態度を生きのびさせたことだったといえるだろう。すなわち、政治的・社会的権力に対する集団的諦念の強化、ふつうの人にはことの成り行きを左右することなどできないのだという意識の強化である。征服者は、民主主義について立派な建前をならべながら、そのかげで合意形成を躍起になって工作した。そして、きわめて重要なたくさんの問題について、沈黙と大勢順応こそが望ましい政治的知恵だとはっきり示した。それがあまりにもうまくいったために、アメリカ人が去り、時がすぎてから、そのアメリカ人を含む多くの外国人が、これをきわめて日本的な態度とみなすようになったのである。
下巻 P227
2019-10-05, 11:38
Twitterでも呟いたけれども、アメリカ留学時代に周恩来についてレポートを書いた都合で、彼が死んだときのことまでそれなりに知っているのだが、それ以降の中国史に関してはあまり知らなかったりする。「天安門事件」は「それ以降の中国史」のなかで結構大きな事件だが、実は全然わかっていない。知っているのはあの写真と学生の運動だった・・・ということくらい。だいたい、89年ならば、私はしっかり生まれているし、そこそこ記憶があってもいい頃なんだが、覚えていない。なので、この本は私にとって「初天安門」である。
事件の概要もろくに調べずに、色々な背景をもった人へのインタビューで構成されている本書を読んだのだから、正直細かなことは何も言えない。それでも読み進めながら考えたことなどを羅列してみる。
日本の学生運動との関連
組織論的な部分で似てるな・・・と思った。正直東大紛争はよくわからないのだが、連合赤軍あたりに一時期凝っていた身としては、
天安門事件後の動きになるとは言え、細かな思想の違い(という名の単なる人間関係)で分裂してしまい、統一された活動が出来ていない。というより、内紛に近い・・・ 盛り上がったのが学生だけ。社会人をあんまり巻き込めていない。 その後運動は廃れる。
あたりがそっくりだなぁ、と。日本の学生運動のほうが暴力的ではあったが、外部(政府)からの圧力は天安門事件の方が圧倒的に上。この辺はちょうど真逆になっていて興味深い。やはり国の体制の違いか?
中国の身分制について
「身分制」というのは正しくないのかもしれないが、「士庶の別」が存在し、当人たちもそれを意識していたというのが学び。中国の事情は詳しくないが、日本と同じように当時に比べて大学進学率も増えているだろうし、そうなると「自分たちは特別」感は減っているのではなかろうか?でも、留学とかにも熱心だし、そもそも人口の規模や貧富の差が全然違う(日本に比べて貧困層が多い?)ので、今でもその意識は強いのか?まぁ、北京大学の学生とかなら不思議じゃないですけど。
大人になってハマると危ない
頭のよい、そこそこ身分の高い人が学生のうちにハマってることに、大人になってハマった非知識人は、知識人ではないが故に、コネもなく、賢く身を守ることもできず、当局に弾圧されてしまうというのが、絵に描いたようにはっきり理解できた。知識人たちは大人になると、現実との折り合いをつけないと生活できないことに気がつくし、実際そうやって過ごしていって保守的な考え方になっていくのに対して、非知識人は大人になって初めて(インターネットで)過激な意見を目にして、そこでおそらく当人にとっても初めてに近い承認欲求を満たそうとしてしまう。それゆえに危険なのだ、というのは、日本でも同じではないか?
今の香港との繋がり
去年出た本だしメインは天安門事件についてなので、この本を読んだところで完璧に現在の香港の混乱を理解できるわけではないが、香港についての部分で多少考えるヒントになった。ややこしいが「本土派」は中国本土と一緒になりたいんじゃなくて真逆・・・とかも驚き。不勉強で雨傘革命についてもろくに知らないので偉そうに言えないが、やはり習近平の影響が大きいのだろうなと思う。そこそこの締め付けならば反対運動もそこそこで済むはずなのだが、がっちりやるから、デモ側もやり返す。ただ、無駄に暴力的になっている部分はデモ側にもあるだろうし、難しいところ。体制側もデモ側もまずいほうへ転がり込んでいるような気がしなくもない。また、直近2名が撃たれているが、それが両方とも(いたいけな小さな、とは言い難いが)子供という点で国際的な非難や動きもあるだろうし・・・うむむ。詳しくないことについて、現在起こっていることを予測しようもないので、勉強しつつニュースを追っていきたいと思います。
最後になるが、学生運動っていうのは、「学生」とつく通り、「若くて」「時間があって(暇で)」「社会の荒波にはまだのまれておらず」「でもなんか不満を抱えている」人がするもんなのだ。知識人とは言え、社会に出ていないから理想論だし、無駄にまっすぐで権謀策略も使えない。統一した見解をグループで持つこともできず、内部分裂しがち。若さ故の過ちだった・・・と考える人が多いのも納得である。
2019-09-30, 23:05
久々に国際関係本を読んだので、ささっとまとめ。
ウクライナの民族問題
一言で言えば、あの辺は民族が入り組みすぎなんである。「蛮行のヨーロッパ」でも取り上げられていたが、多少の川はあるものの、だだっ広い平野にいろんな民族的アイデンティティーを持った集団が過去のあれやらこれやら(後述)で、どの集団もそれなりに納得感のある被害者意識を持って入り組んで住んでいるから、ちょっとのきっかけで収拾がつかなくなってしまう。海とか砂漠とか、せめてなかなか越えるのが難しい山で区切られていたら、こうはならなかったに違いない。また、ウクライナ問題なのに、ウクライナ単体で話が済まないのも特徴的。これは国際関係的にというのではなく、問題の地域に住んでいた人が元々は別の地域に住んでいたり、別の地域に住んだりということについてである。なぜ、ロシアの西にあるウクライナの話をしているのに、ロシアの東にあるサハリンが出てくるのか?そこにウクライナ軍の脱走兵が親戚を頼って住んでいるからである。日本に住んでいると目がくらみそうな大移動だ。
スターリンの悪しき遺物
このロシアやウクライナのあっちやこっちやの民族大移動は、スターリンの影響下に今もあるゆえ、と言えるだろう。もちろんスターリンだけが戦犯なわけではない。帝政ロシア時代からの問題もあっただろう。しかし、ウクライナにおける大飢饉、その後その地域へのロシア人の入植、ドイツの侵攻、そしてソ連が支配権を取り戻すとともに少数民族を対独協力者などとして中央アジアや極東に送ったこと。1000年くらい時間が経っていればまだしも、これらは100年も経っていない記憶として人々の中に残っている。ソ連崩壊とともに、やっとこさ祖先の土地に戻ってきたというに、また自分たちを追い出したやつの後釜(の国)に支配されちゃ、抵抗もしますて。
ロシアの野望と欧米の反応
国際関係論や地政学では必ず言われるが、ロシアはナポレオンにヒトラーと2度の侵攻を受け、東欧を緩衝地帯としておこうとしている、という見方。これは「ルースキー・ミール(ロシア的世界)」というらしい。可能であればウクライナ全体を緩衝地帯化しちゃいたいところだが、それはさすがに難しいのでとりあえずウクライナ東部を押さえたのだろう。と考えると、バルト三国なんかも狙われたりするのかもしれない。もう、NATO入っちゃっているから流石にないかな?(北のほうはもう無理だから、NATOの影響の薄い南の方を狙ったとも言える。ジョージアとかも。)
同時に考えなければいけないのは、ウクライナがソ連崩壊時に手元に残った核を諦めた代わりに欧米から安全を担保してもらったはずなのに、それが今回果たされていないという点。プーチンはこのウクライナ騒動で核の準備も辞さなかったということはすでに公表されており、であれば結局「核を持たない国は核を持つ国に蹂躙されても助けてもらえない。」というメッセージを世界中にばらまいてしまったのではないか?多分、それに一番強く反応したのが北朝鮮なのだと思う。
因みにこの本の一番のゾゾゾ・・・ポイントは、シリアへの介入の部分。ロシアがシリアに介入→シリア内戦激化→シリア難民増加→西欧への難民増加→内政混乱→ウクライナどころじゃない!というこのシナリオよ・・・もしくは、「西欧への難民増加」から→西欧における人種差別活動激化→ウクライナのファシスト(愛国主義者など)との結びつけ→ウクライナ在住のロシア系を保護せねば!という論法なのかもしれないが。いずれにしても狡猾だ。
だいたいこんな感じです。本自体はもっと現地での生活や戦場の様子、タタールやマレーシア航空機撃墜事件などについて詳しく、比較的時系列にまとまっているので非常に読みやすい。ウクライナ騒動について、ざっと頭に入れたい人にオススメです。さて、最近ウクライナ情勢が全くニュースにならないのは落ち着いているからなのか、それとも報道するまでもない日常になってしまったからなのか。どっちなのでしょうね。
2019-07-02, 23:00
マケインのお膝元アリゾナで過ごした高校留学は2000年の大統領選とともに終わり、大学留学も2008年オバマ大統領が選ばれる直前に帰国と、私のアメリカ生活の思い出はジョージ・W・ブッシュ大統領とともにある。国際関係論やアメリカ外交について勉強していたし、その頃はアフガン戦争やイラク戦争など、従来と違う戦争のやり方についてが結構ホットなトピックだったので、勢い政策決定者の思想や来歴を調べる機会が多かった。というか、The Vulcans(ブッシュの外交アドバイザー集団)についての本が課題図書で、エキストラクレジットのために読まされた。まぁ、そんなこんなでいろいろ調べているうちに、気が付いたことがある。「アメリカの大統領ってそこそこハンサムじゃない?」
子ブッシュあたりは愛嬌のある顔をしているが、若い頃はそれなりにイケる顔である。大統領じゃないけれど、ラムちゃん(ラムズフェルト)なんて超イケメンだ。クリントンやトランプは正直よくわからないが、というか単に私のタイプではないだけだろうが、ちょっと時代を遡ると、レーガンもルーズベルトもウィルソンも、もれなくイケメンなのだ。さてはアメリカ人は顔で大統領を選んでいるのか・・・?と訝ったりもしたが、よく考えれば少しでも美しい顔の方が印象が良いのは当たり前。人間は美しいものが好きなのだ。30過ぎれば生き方も多少は顔に出てくる。顔は意外といろんなものを表しているのである。
というわけで、ちょっと前にあった民主党大統領選候補者のディベートについて。
民主党大統領候補のディベートに見るルックス、話し方、ボディ・ランゲージ、イメージの損得
外国語(スペイン語)が話せるかどうかというのが、かつてないほどに重要になってきているという点や、話し方、そしてもちろん政策など見かけ以外のポイントも指摘はされているが、やはり重要なのは見た目だというのがよくわかる。例えば、「女性は男性と違ってスーツの色で変化をつけれる=印象に残りやすい」、「顔の表情が地味(で声にパワーがない)=存在感がない」など。何より辛辣なのがベト・オルークに対してで、
日頃から身振り手振りが不必要に多く、メッセージ伝達の妨げになると指摘される彼は、カストロとのやり取りで答弁力の無さを露呈。 1回目のディベートのアンケート調査で最下位の評価となっており、現在はそのダメージ・コントロールに追われている状況。 彼の場合、政治家の割には目力が無く、顔の下半分の表情がいつも弛んでいるので、 特に報道写真で ロバのようなルーザー・フェイスに写ることもマイナス要因なのだった。
と、けっちょんけちょんに「顔がダメ」と言われいてる始末。確かに実際の写真をみても、しゃべっている動画を適当に止めても「た、確かに…」と認めざるをえない。
VIDEO
「目力・・・ない気がする。下半分・・・緩んでる気がする。」
結局、人は「人を見かけで判断してはいけない」などと一応タテマエを言うものの、見かけで判断している生き物なのだ。見かけを吹き飛ばせるほどの何か(性格の良さ、頭の良さなど)を持っていない限り、見かけでなんとなく仕分けされてしまう。逆に見た目が凡庸で印象に残らないと、多少いいことを言っても忘れられてしまう。エネルギッシュさというのも目力や姿勢、表情などに現れるわけだから、顔以外の見た目も重要になる。見た目美人とはなんとまぁ、ハードルの高いことよ。アメリカ大統領達は(特にテレビ時代の大統領達は)、かくも大変な戦いを勝ち抜いてきたわけで、そりゃイメージアドバイザーを雇って訓練するわけですね。2020年の選挙、非常に楽しみです。ちなみに「見た目がどんなに良くてもダメなもんはダメ」の良い例は前代のメキシコ大統領です。
2019-04-21, 09:50
数年前に奥山真司氏が原著をお勧めしていたのだが、「うーん、ペーパーバックが出る予定っぽいし、そっちを買おう」と考えて放置していて、気がついたら邦訳まで出ていた。副題は「中国スパイと〜」になっているが、これは日本向け。原著の副題は「How the CIA, FBI, and Foreign Intelligence Secretly Exploit America’s Universities」であり、内容的にもこちらの方が正しい。中国を取り扱っている割合は多いものの、イランやキューバのスパイも大活躍しているのだ。
さて、本書はアメリカの大学における軍や産業、政府との強い結びつき、学問は開かれているべきという倫理観、多様性を求める留学生受け入れや海外の大学との提携などが、スパイにとって入り込みやすく、仕事もしやすい状態になっているというのを、2部構成で説明している。第1部が外国によるアメリカの大学でのスパイ活動、第2部がアメリカの情報機関によるアメリカの大学での活動である。
第1部は、デューク大学における最新科学研究を中国人学生が盗み、中国に持ち帰ったという話から始まる。この話に関しては、中国政府や軍の関わりが(少なくとも学生の在学中は)あまり説明されていないということもあり、単に「ものすごくモラルと学術的良心に欠けている」だけに見えることが、不快感を煽る。一言で言えばすっごいムカつくのだ。第2部の終わりに出てくる中国人教授もモラルの欠如がチラチラと感じられる。「中国人て…」と読者に思わせることが目的ならば、この本はかなり成功しているだろう。だが、第1部の山場は中国スパイではなく、キューバのスパイである。SAISに通っていた学生が同級生をスパイに勧誘し、その同級生がDIAに入り、キューバ政策への影響力を及ぼした。「アメリカ史上、最大級の被害をもたらした」といわれる所以である。その点、中国へのアメリカ留学生がスパイに取り込まれそうになった話などは小物だが、何れにしても「大学に入り込んだら協力者を作るのは簡単」という恐ろしい現実がある。学問のオープンさは、スパイにとって天国のような環境なのだ。
さて、第2部は逆に外国人に開かれたアメリカの大学において、アメリカの情報機関が活動する話。原著が分かりにくいのか、訳のせいなのか、特に第2部においては、話の筋を掴みにくいという問題がある。それでも、かいつまんで説明すると、大学と情報機関との関係はその時代によって変わっているということ。それによって、例えばCIAがどこまで入り込めるのか、工作員が講座に紛れ込んでいるのを容認するのかしないのか?が決まってくる。工作員の目的は外国の研究者で実際、対イラン作戦としては、偽の学会を開き、イランの核物理研究者に亡命を勧めたり、情報提供を依頼したりしていたらしい。
内容は抜群に面白い。日本の大学は大丈夫なのだろうか?アメリカほどではないが、大学教授は政府の要職に就くこともあるだろうに…と心配になってくる。ただ、残念なことに本書は本当に読みにくいのだ。一文一文の訳がおかしいというわけではなさそうなのだが、接続詞がなく前後の繋がりがわからなかったり、段落単位でコロコロ話が変わるため、さっきまでロシアのスパイの話をしていたのに、またキューバのスパイに戻るといった塩梅で、「ん?」と迷子になることが多々あった。2019年4月現在、amazonのレビューは3つあるが、その全てが「読みにくい」「主語がわからない」「ダラダラした文章」と文句をつけている。改訳のうえ、解説をつけて再版すべきなんでしょうね。内容は確かに面白いのだし、今ハーバードに通っている将来行政のトップに立つような日本人もいるだろうし、絶対に無関係とは言えないのだから。もう一つ文句を言えば、割合的にロシアについての取り扱いが軽いことである。情報機関出身のプーチンが権力を握ってから、その手の活動が緩くなったわけがないだろうに、個人的な印象では、イランの方が取り上げられ度は高かったのではないか?これはロシアが非常にうまくやっている証拠なのか、それとも本当にロシアは大人しくしているのか。間違いなく前者だろうが、それはそれで不気味である。
2019-03-30, 11:32
洋書版との差が激しい表紙
重水D2 O (2 H2 O)は通常の水に0.3%弱程度含まれている その名の通り、「重い水」である。自然界に存在するとは言え、一定量以上を摂取すると生物は死んでしまう。作り方はなかなか厄介で、電解槽で普通の水を分解し、水素ガスを取り出した後残った水をさらに電気分解し、それをひたすら繰り返すことで、純度の高い重水が取り出せる。 作るのに手間暇かかる割に使い道がなさそうな水なのだ。ノルウェーで重水工場建設が提案された1933年当時は「とりあえず作る。使い方はその後で考える!」と本当に使う道がなかった模様。しかし、第二次世界大戦開戦直前にドイツでウランの核分裂が発見される。軍事的観点からも研究は進み、核分裂制御の減速材として、それまで存在意義のなかった重水にとうとう白羽の矢がたった。ナチスドイツはノルウェーに侵攻し、重水工場を抑えてしまう。イギリスに渡ったノルウェー人たちは、ドイツの核分裂研究を止めるために、この重水工場を破壊することにした・・・
核兵器の作り方はこちら
と、この辺の説明もきっちりされている親切な本がニール・バスコムの「ヒトラーの原爆開発を阻止せよ! ”冬の要塞”ヴェモルク重水工場破壊工作」。もちろん、一番の読みどころは破壊工作そのものだが、その破壊工作も一度ではなく複数回試みられていたことを、この本で初めて知った。(破壊工作があったことは知っていた。)
まず、敵情調査、破壊工作補助のためにグラウス隊ノルウェー人4名が42年10月にハルダンゲル高原にパラシュートで降り立つ。その後11月にイギリス人工兵隊をグライダーで送り込むフレッシュマン作戦。フレッシュマン作戦の失敗後、改めてノルウェー人をパラシュートで降下させ、実際に工場破壊に至った43年2月の作戦。作戦自体は成功したものの、その後ドイツが重水製造能力を復旧したとの情報を受けて、(ノルウェー人には知らされず実行された)工場およびその周辺地域への空爆が43年11月。さらに、44年2月には戦況不利を見越したドイツが本国に残った重水を移送しようとし、それを阻止したヒドロ号の沈没工作。1年以上も破壊工作が続いていたのだ。こうして抜き出して書くとわかりやすいが、どれも冬の作戦になっている。
そもそも人の名前を覚えるのにだいぶ苦労したのだが(特にノルウェー人協力者)、北欧への旅行経験もない私からすると、その冬の厳しさがいまいち想像できない。トナカイを狩る?スキーで追跡劇?小屋???時代も違うから彼らの「大変さ」がどうも想像しきれなかったのだ。読み終わってから知ったのだが、この作戦、テレビドラマになっている。 まだ未見だが、見れば少しはわかるだろうか。話数も多くないから、この週末見ようかな・・・
さて、筆者のニール・バスコムはジャーナリスト経験のあるアメリカ人。ノンフィクション、特にアイヒマン追跡の「Hunting Eichmann」とか、ポチョムキンについての「Red Mutiny」など歴史物に強いようだが、ロボコンの話を書いたりもしてる。まぁ、でも全般的には歴史物が多いのかな・・・他の本を読んだことは、まだない。そして面白そうなのは日本語になっていない。辛い・・・ここからは完璧に余談だが、本人のウェブサイト を見る限り、穏やかそうな顔である。アメリカの作家ってきちんとこういう個人サイト作ってるから、偉いよなぁ、とつくづく思う。
最後に一つだけ。原著にもあったのかどうかは知らないが、巻末に作戦ごとの詳細地図をつけているのが、とても、とてーも素晴らしい!最近読んだ「死に山 」にも地図は付いていたが、広域地図のみでメンバーの発見場所など、詳細地図があればいいのに・・・と、グーグルで検索して大後悔 したばかりだったので。捜索ものや作戦ものは地図マストですよ、ほんと。
2019-02-02, 12:12
「戦略」と言えば、軍事戦略、国家戦略、ビジネス戦略辺りがパッと思いつく。同じ「戦略」という単語を使っているのに、扱っている分野が全然違うため、「戦略」というその単語自体が分野によって、その意味するところや定義が微妙に違うのではないか?と思ったりすることもある。今回のギャディスの「大戦略」は、どちらかと言えば軍事戦略、国家戦略に近いのだろうが、「大」戦略なので、それにとどまらない内容だ。むしろ、バリバリの軍事戦略を期待して読むと、第4章で出てくるアウグスティヌスあたりで躓きそう。章立てとしては、歴史の古い順に、同時代とは決して言えないが、遠くはない(でもたまに遠い)時代の複数人をピックアップして流れるように進んでいる。リンカーンだけは、ギャディスが非常に高く評価していることもあり、一人だけフィーチャーされている。 個人的には、ギャディスの言わんとしていることがよくわかる章と、意図を掴みかねる章の差が激しかった。
さて、肝心の内容だが、一言で言えば、大戦略とは「目標を持つこと。しかし、同時にそこに至るまでの道のりは柔軟であること。そして時間を味方につけ、違うスケールで状況をみること。」である。崇高な目標は素晴らしい。でも、そこに一直線に突き進んで、沼にはまるのはいただけない。同様に、足元ばかりを気にして、沼どころか水溜りまで避けて迷走するのも意味がない。避けるべき沼なのか、飛び越えてまっすぐ進むべき水溜りなのか、判断が必要なのだ。「急がば回れ」な時もあるし、勢いで突き進むこともある。いま、どちらが求められているのか、様々なスケールで検証が必要で、目的と手段の「釣り合い」を取ることが、大戦略なのだ。
これは決して難しいことではなく、ビジネス戦略以上に身近に戦略を引き寄せることができるのではなかろうか?ペルシャ帝国のクセルクセス一世から話が始まり、FDRで話が終わるため、あたかも軍事戦略や国家戦略を歴史から学ぶ風ではあるが、結局「目標に至るまでの歩き方」「ものの見方」についてなのだ。つまり、この本は日々の生活にも応用可能と言える。まぁ、マキャベリぽい人が身近にいると、なにかとやりにくいだろうが・・・
正直なところ、一般読者はともかく、ビジネス戦略に関する本を求めている人でさえ、本書を手に取ることはなかろうが、この本は多分そっち向けなのだ。逆にバリバリの軍事戦略を期待すると、拍子抜けするだろう。
2019-01-20, 11:56
クリントン時代の国防長官だったウィリアム・J・ペリーによる自伝。Twitterで小泉悠先生がおすすめしていたので、興味を持って借りてみた。何点か気になったり思ったりしたことがあるので、メモ。
その1)アメリカ政治家の自伝ってみんな似てるなぁ・・・と思った。まぁ「似ているなぁ」と言っても、似ているのは経歴で、実際に起こった出来事や時代はもちろん違う。例えば今回のペリーだと、軍所属→大学→企業(当たり前だが、国防長官をそのうちやるような人は、気が付いたら、取締役だとか理事とかになっている)→政府のポスト(上の下くらいのポスト)→民間企業(やっぱり取締役とか)→長官→知名度を生かした大学での活動やら諸々・・・ブッシュ時代のラムちゃんはこれに下院議員を追加したくらいだし、チェイニーだって同じようなもん。省庁のトップが議員経験が必要なわけでもないし、むしろ民間経験ないなんて!といった空気を感じるのが、さすがアメリカなのかしらね。
その2)中国はどした?冷戦直後という国防長官になったタイミングの問題もあるだろうが、この本は国防長官退任後活動にも触れられているわけで、2014年くらいまではカバーされている。のに、核に関わることは、ロシア、北朝鮮、パキスタン、インド、イランについて。まぁ、イギリスとフランスは同じNATO加盟国だからいいとしても、中国の存在をあまりにお忘れじゃなかろうか?しかも、国防長官の任期中に第三次台湾海峡危機が発生しているにも関わらず、ほとんど触れられていない。ハイチへの無血侵攻は1章当てられているのに。プーチンのロシアと同じくらいに危険視しても良さそうなものだが、スルーされちゃ、なにか書けない理由でもあるのか?と疑いたくもなります。
その3)ナン・ルーガー法について、どこかで読んだことがあると思って調べたのだが、実際は全く違っていた。15年近く前、ジョンズ・ホプキンズ大学のサマーコースで「Weapons of Mass Destraction」という、とてもニッチなコースを取っていたのだが、そのクラスの課題書の一つが、「Nuclear Terrorism」という本だった。それに、ソ連解体後の科学者&核物質・核兵器の流出が問題、アメリカ超頑張った!と書いてあった気がするのだが、目次にも索引にもそれっぽいものがない。勘違いだったのか、それとも同じクラスの他の課題(プリントも多かった)で読まされたのと混ざったか・・・気になるが、プリントは取っていなかったはず。それはもうアホみたいにプリントアウトしていたのに、勿体無いことをした。教科書はほぼ手元に残しているんだけどな。
4)核の問題は、その破壊力はもちろん、次に一発使われたら、一気にハードルが下がってしまうことにある。が、今は最初の一発のハードルも下がりつつある、それを公言する国もあれば、公言するまでもないテロリストも核を狙っている、という状態なのに、世界の大多数が核戦争・核紛争を本気にしていない。まぁ、だからこそ、強気なことを言える政治家も出てくるわけで、市民の啓蒙は継続して行う必要があるだろう。この点は、ペリーの主張に完全同意。同時にこの本からきちんと読み取らなければならないのは、この本は「反核兵器」であって、「反核」ではない。一言たりとも、原発には触れられていないのだ。 あえてなのか、素なのかは不明だけど・・・
核兵器と原発は廃絶に向けた計画もタスクも全く違うのだから、明らかに殺傷目的である兵器の削減、廃絶をまずは目指すべきだと思うのだが、いかがだろう?日本に核兵器はないが、核兵器はグローバルなものだから、「持っていないから関係ない」とはいえないし、この世界で人を殺す目的で核兵器を落とされたのは日本だけである。日本政府も、核兵器については(一応)後ろ黒いところがない立場&唯一の被害国なんだから、この点については強気に発言すりゃいいのに、と思う。ま、それをやったらやったでこじれるのが国際関係。面倒ですね。