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敗北を抱きしめるというより、矛盾に抱きしめられて ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」

私の大学の専攻からすると、今更感が溢れるばかりの本を、今更読みました。実は洋書(原著)でも持ってるんだけど、洋書はかなり覚悟を持って挑まないと、手を出せないので、長らく積読状態・・・そのうちまたちゃんと読もうと思います。

で、まず表紙についてなんですが、下巻の方は東京裁判ってのがすぐにわかるものの、上巻(そして洋書の)表紙は私ずっと「浜辺を歩いている男性」だと思ってたんですね。マジマジと眺めたことなかったし。実はそれが「広島を歩いている男性」と知ったのが、この本で一番の個人的衝撃。よくよく見ると、遠くの方に木がうつってたり、小屋みたいなものもあるので、陸地というのがわかるんだけれども、そのほか「街っぽい」ところが何にもなく、平べったい部分(浜辺に見えたおそらく道路)とちょっと凹凸のある部分(波に見えたおそらくかつて建物のあった区域)から浜辺だろうと勘違いしておりました。原爆がどれだけいろいろな物を吹っ飛ばしていったか、という証左でもあり、それがまた恐ろしい。

さて、肝心の中身は戦後日本のいろいろな側面から論じており、有名な本だからこそ今更私がここでどうのこうの言うのもどうかと思うので、「あくまで私のピックアップポイント」で書かせていただきます。

まず、マッカーサーとGHQが、天皇の戦争責任をなぜ回避したのか?その理由として「占領に役立つ」というのはいいのだが、ジョン・ダワーの書きっぷり(彼自身は天皇の無罪放免に反対の立場の模様)からすると、他に何か理由がありそうに感じてしまう。「占領に役立つ」だけでは、物足りないというか・・・ただ、その他の理由が読めども見えてこないので、非常にモヤるのだ。もちろん、これは単に私の読解力がないだけなのかもしれないが。最終的に戦後の皇居で行われていたというGHQ高官およびその家族を招いての鴨猟(とそれに類するもの)が理由なんではないか?と考えてしまうほど。

そして次に東京裁判について。以前読んだ半藤一利の本に「ナチスと違って、日本の場合は共謀罪が適用できず、最終的になあなあになった」といった趣旨のことが書いてあったんですが、今回「敗北を抱きしめて」を読んで、なるほどこれは確かにそうだったのだな、と。確かに、1933年からずっと継続して、同じメンバーが政府を取り仕切り、同じメンバーがそのまま「人道に対する罪」を犯したナチスと違って、同じ期間に12人も総理大臣が変わってるし、メジャーなところで日中戦争を始めたのと、太平洋戦争を始めたのは(もちろん、全く無関係ではないのだが)違う内閣で違う理由からである。誰かがわかりやすく「一番悪い」状態ではないが、それがわかりやすかったナチスのときの基準をそのまま適用してしまったのが東京裁判の問題であり、そのような問題を孕んだままに進めてしまったから、いまだに歴史観が二分されている、ということなのでしょう。ものすごくはっきり言えば「日本人に言い訳の余地が残されてしまった」ということか。

「言い訳の余地が残されてしまった」というのは、実は他のGHQの政策でも同じで、先に取り上げた天皇の戦争責任もそうだし、かなり理想主義的な憲法の中身をきめておきながら [1] … Continue reading、それに反するかのような施策を占領末期に行う、民主主義や自由を称賛しつつも、反体制的なだけではない、今考えると「?」なものまで検閲をするなど、結構ダブルスタンダードが甚だしいような・・・そのままここまで来てしまった日本は、そのダブルスタンダードを抱えたままにするのか、それともそれを解消するのか、どこかで決めなければならないし、決め方をミスるとまたもや取り返しのつかないことなることになるでしょう。どっちに転んでも。

最後に私の気分を表している部分を引用して終わります。

この観点からみると、この「上からの革命」のひとつの遺産は、権力を受容するという社会的態度を生きのびさせたことだったといえるだろう。すなわち、政治的・社会的権力に対する集団的諦念の強化、ふつうの人にはことの成り行きを左右することなどできないのだという意識の強化である。征服者は、民主主義について立派な建前をならべながら、そのかげで合意形成を躍起になって工作した。そして、きわめて重要なたくさんの問題について、沈黙と大勢順応こそが望ましい政治的知恵だとはっきり示した。それがあまりにもうまくいったために、アメリカ人が去り、時がすぎてから、そのアメリカ人を含む多くの外国人が、これをきわめて日本的な態度とみなすようになったのである。

下巻 P227

References

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1 私個人としては、憲法については不勉強で意見を言える立場ではないのですが、今回ジョン・ダワーの本を読んでこのままでもいいのかもしれない(でもよくわからん)と思ったということだけは、書いておきます。

大統領は見た目も大事!?

マケインのお膝元アリゾナで過ごした高校留学は2000年の大統領選とともに終わり、大学留学も2008年オバマ大統領が選ばれる直前に帰国と、私のアメリカ生活の思い出はジョージ・W・ブッシュ大統領とともにある。国際関係論やアメリカ外交について勉強していたし、その頃はアフガン戦争やイラク戦争など、従来と違う戦争のやり方についてが結構ホットなトピックだったので、勢い政策決定者の思想や来歴を調べる機会が多かった。というか、The Vulcans(ブッシュの外交アドバイザー集団)についての本が課題図書で、エキストラクレジットのために読まされた。まぁ、そんなこんなでいろいろ調べているうちに、気が付いたことがある。「アメリカの大統領ってそこそこハンサムじゃない?」

子ブッシュあたりは愛嬌のある顔をしているが、若い頃はそれなりにイケる顔である。大統領じゃないけれど、ラムちゃん(ラムズフェルト)なんて超イケメンだ。クリントンやトランプは正直よくわからないが、というか単に私のタイプではないだけだろうが、ちょっと時代を遡ると、レーガンもルーズベルトもウィルソンも、もれなくイケメンなのだ。さてはアメリカ人は顔で大統領を選んでいるのか・・・?と訝ったりもしたが、よく考えれば少しでも美しい顔の方が印象が良いのは当たり前。人間は美しいものが好きなのだ。30過ぎれば生き方も多少は顔に出てくる。顔は意外といろんなものを表しているのである。

というわけで、ちょっと前にあった民主党大統領選候補者のディベートについて。

民主党大統領候補のディベートに見るルックス、話し方、ボディ・ランゲージ、イメージの損得

外国語(スペイン語)が話せるかどうかというのが、かつてないほどに重要になってきているという点や、話し方、そしてもちろん政策など見かけ以外のポイントも指摘はされているが、やはり重要なのは見た目だというのがよくわかる。例えば、「女性は男性と違ってスーツの色で変化をつけれる=印象に残りやすい」、「顔の表情が地味(で声にパワーがない)=存在感がない」など。何より辛辣なのがベト・オルークに対してで、

日頃から身振り手振りが不必要に多く、メッセージ伝達の妨げになると指摘される彼は、カストロとのやり取りで答弁力の無さを露呈。 1回目のディベートのアンケート調査で最下位の評価となっており、現在はそのダメージ・コントロールに追われている状況。 彼の場合、政治家の割には目力が無く、顔の下半分の表情がいつも弛んでいるので、 特に報道写真で ロバのようなルーザー・フェイスに写ることもマイナス要因なのだった。

と、けっちょんけちょんに「顔がダメ」と言われいてる始末。確かに実際の写真をみても、しゃべっている動画を適当に止めても「た、確かに…」と認めざるをえない。

「目力・・・ない気がする。下半分・・・緩んでる気がする。」

結局、人は「人を見かけで判断してはいけない」などと一応タテマエを言うものの、見かけで判断している生き物なのだ。見かけを吹き飛ばせるほどの何か(性格の良さ、頭の良さなど)を持っていない限り、見かけでなんとなく仕分けされてしまう。逆に見た目が凡庸で印象に残らないと、多少いいことを言っても忘れられてしまう。エネルギッシュさというのも目力や姿勢、表情などに現れるわけだから、顔以外の見た目も重要になる。見た目美人とはなんとまぁ、ハードルの高いことよ。アメリカ大統領達は(特にテレビ時代の大統領達は)、かくも大変な戦いを勝ち抜いてきたわけで、そりゃイメージアドバイザーを雇って訓練するわけですね。2020年の選挙、非常に楽しみです。ちなみに「見た目がどんなに良くてもダメなもんはダメ」の良い例は前代のメキシコ大統領です。

Yes、崖っぷち!「核戦争の瀬戸際で」

クリントン時代の国防長官だったウィリアム・J・ペリーによる自伝。Twitterで小泉悠先生がおすすめしていたので、興味を持って借りてみた。何点か気になったり思ったりしたことがあるので、メモ。

その1)アメリカ政治家の自伝ってみんな似てるなぁ・・・と思った。まぁ「似ているなぁ」と言っても、似ているのは経歴で、実際に起こった出来事や時代はもちろん違う。例えば今回のペリーだと、軍所属→大学→企業(当たり前だが、国防長官をそのうちやるような人は、気が付いたら、取締役だとか理事とかになっている)→政府のポスト(上の下くらいのポスト)→民間企業(やっぱり取締役とか)→長官→知名度を生かした大学での活動やら諸々・・・ブッシュ時代のラムちゃんはこれに下院議員を追加したくらいだし、チェイニーだって同じようなもん。省庁のトップが議員経験が必要なわけでもないし、むしろ民間経験ないなんて!といった空気を感じるのが、さすがアメリカなのかしらね。

その2)中国はどした?冷戦直後という国防長官になったタイミングの問題もあるだろうが、この本は国防長官退任後活動にも触れられているわけで、2014年くらいまではカバーされている。のに、核に関わることは、ロシア、北朝鮮、パキスタン、インド、イランについて。まぁ、イギリスとフランスは同じNATO加盟国だからいいとしても、中国の存在をあまりにお忘れじゃなかろうか?しかも、国防長官の任期中に第三次台湾海峡危機が発生しているにも関わらず、ほとんど触れられていない。ハイチへの無血侵攻は1章当てられているのに。プーチンのロシアと同じくらいに危険視しても良さそうなものだが、スルーされちゃ、なにか書けない理由でもあるのか?と疑いたくもなります。

その3)ナン・ルーガー法について、どこかで読んだことがあると思って調べたのだが、実際は全く違っていた。15年近く前、ジョンズ・ホプキンズ大学のサマーコースで「Weapons of Mass Destraction」という、とてもニッチなコースを取っていたのだが、そのクラスの課題書の一つが、「Nuclear Terrorism」という本だった。それに、ソ連解体後の科学者&核物質・核兵器の流出が問題、アメリカ超頑張った!と書いてあった気がするのだが、目次にも索引にもそれっぽいものがない。勘違いだったのか、それとも同じクラスの他の課題(プリントも多かった)で読まされたのと混ざったか・・・気になるが、プリントは取っていなかったはず。それはもうアホみたいにプリントアウトしていたのに、勿体無いことをした。教科書はほぼ手元に残しているんだけどな。

4)核の問題は、その破壊力はもちろん、次に一発使われたら、一気にハードルが下がってしまうことにある。が、今は最初の一発のハードルも下がりつつある、それを公言する国もあれば、公言するまでもないテロリストも核を狙っている、という状態なのに、世界の大多数が核戦争・核紛争を本気にしていない。まぁ、だからこそ、強気なことを言える政治家も出てくるわけで、市民の啓蒙は継続して行う必要があるだろう。この点は、ペリーの主張に完全同意。同時にこの本からきちんと読み取らなければならないのは、この本は「反核兵器」であって、「反核」ではない。一言たりとも、原発には触れられていないのだ。 [1]正確に言うと、北朝鮮の核開発がらみで軽水炉の話が出てきたくらい。あえてなのか、素なのかは不明だけど・・・

核兵器と原発は廃絶に向けた計画もタスクも全く違うのだから、明らかに殺傷目的である兵器の削減、廃絶をまずは目指すべきだと思うのだが、いかがだろう?日本に核兵器はないが、核兵器はグローバルなものだから、「持っていないから関係ない」とはいえないし、この世界で人を殺す目的で核兵器を落とされたのは日本だけである。日本政府も、核兵器については(一応)後ろ黒いところがない立場&唯一の被害国なんだから、この点については強気に発言すりゃいいのに、と思う。ま、それをやったらやったでこじれるのが国際関係。面倒ですね。

References

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1 正確に言うと、北朝鮮の核開発がらみで軽水炉の話が出てきたくらい。

佐藤優おすすめ本よりずっと面白かった本

こちらの本、昨日読み終わったのですが、とっても面白かったです。基本的には筆者が陸大卒業後、お父上(おなじく軍人)や将軍たちから薫陶をうけた話、大本営参謀になり情報に関わり始めてから戦場で学んだこと、山下兵団の話、そして戦後の自衛隊勤務のときの話・・・と、ほぼ時系列に語られてるんですが、貫いている主張は一つ。「情報大事!」本当にこれ。もうひとつ言えば、戦場における高度の重要性。こちらは父親がもともと航空系だったのもあるかもしれない。その他印象に残った点は以下の通り。

  • アメリカはどうも大正の頃から日本との戦争を視野に入れて、太平洋での戦いを研究、準備していた。 [1] … Continue reading
  • 日本は大陸での戦い方に慣れており、そこでの敵は精神論で勝てたが、アメリカの「鉄量」相手には同じようにいかないことを、特に戦場から離れた大本営が理解していなかった。
  • 日本は太平洋上で文字通り「点(島)」を抑えたが、それは攻者が圧倒的に有利になることを、理解していなかった。※攻める場所を選択できるため。
  • 同じ島内でも各陣地がジャングル等で「点」になっていた。
  • アメリカの戦法は「1制空権の確保。これは滑走路のある島を飛び飛びにおさえていった。2侵攻予定地の補給を断つ。(フィリピンの場合は台湾など)3侵略予定地近くの小島を占拠4艦砲射撃&航空爆撃による事前砲撃5上陸」という手順。これに対して日本軍は1制空権の重要性が最後までわかっていなかった。
  • 逆にアメリカ軍は山が苦手。なので、山にこもって持久戦を仕掛けた戦いは最終的に負けたとはいえ、長らく持ちこたえた。(硫黄島、ペリリューなど)
  • フィリピンは島の大きさ的にも艦砲射撃が島内部には届かず、木々も濃く、持久戦にもってこいの環境であったのに、台湾沖空戦の誤った戦果を鵜呑みにした大本営の指示で、レイテに戦力を割かざるを得なかった。
  • B29のコールサインを調査して防空に生かしていたが、そのなかでホノルル出発後ワシントン向けに長文電報を発信したり、新しいコールサイン(それ以前は飛ばされていた600番台)を利用していたり、日本近海まできてはテニアンに戻るといったことを繰り返したり・・・という部隊を捕捉したが、その部隊と、原爆を最後まで結びつけることができなかった。もし在米諜報網が健在していたら(=在米日本人が強制収容所に収容されていなかったら)、事前に判明できただろう。

結局、「より高い地点を握ったものが勝つ」という戦場の教えを日本軍は理解できておらず、アメリカ軍が高さも込みの3次元的空間の見方をしていたのに対し、日本軍は地図の平面上でしか考えられていなかった、そのため「高さを支配するのに必要な点」をアメリカ軍は選んで侵攻したが、日本軍は誇大戦果報告もあり、誤った選択をし続けた・・・と言うことでしょうか。

また、情報観点からすれば、複数筋の情報が交差したところからしか本当の情報は出て来ない、一つの出処だけから情報を判断するのは危険だ、というのも、この本からの教訓だと思います。Amazonの評価など見ていると、「内容に誤りあり。信用すべからず!」と詳細に指摘しているものもありますが、それこそ情報の扱いの大原則の繰り返しで、我々は「2線3線の情報筋(この場合は別の本)と比較考慮して、判断せねばならない」ということ。本書の意図がその大原則を伝えることを考えれば、内容の正誤は兎も角、一読の価値はあるかと。原則だからこそ、佐藤優勧めるCIAの本↓なんかより、ずっと役にたつと思います。

 

References

References
1 これは、私の留学時代、ウィルソン大統領の書簡で日本がらみの部分をほぼ全てさらったときにも「アメリカは意外と早くから対日戦争を考えていたな」と驚いた記憶があるので、間違いなさそう。

徒然日記(核戦略に関する動きや最近の読書について)

アメリカが戦術核運用の見直し(強化)を発表して、諸々のリアクションがYahoo!トップに居座り続ける一方、アメリカ国防総省発表の「ロシアが大陸間核魚雷開発中」のニュースは一瞬で消えたり、かつて核戦略のクラスをとった身としては、興味深い状況になってます。昔のノートや課題図書を見直したくなったり。まぁ、こんな風にのんびりしたコメントを言うというのは当事者意識がないからで、それはそれで反省すべきことなんでしょうけど。

ちなみに、CNNによるロシアの核魚雷の報道を読む限り、「ロシアがやってんだから、アメリカもやってやるで」って感じで、CNNはトランプに嫌われていますが、それでもアメリカメディア。アメリカは悪くない!というのが行間からにじみ出ている。そもそも、トランプ政権はロシアとのつながりで追及されているわけで、そういうお金や政治の動きと、軍備の流れがどのようにつながっているのか、それはそれで興味深い。しかも、アメリカは北朝鮮でも中国でもなく、ロシアを名指ししている。自分だったら、このご時世、北朝鮮対策を全面に押し出すほうが無難だと思うんだけど、それでもロシアということは、水面下というか、単に我々の知らないところで相当ロシアが核兵器増強をしているんでしょう。ま、いざって時に北朝鮮で使う気があるのかもしれませんけど。

ちなみに核兵器が無くなることは、まずないと思います。それこそ、神様の魔法の杖一振りで、人類一人残らず核兵器の記憶をなくさない限り。人間は手に入れたパワーをそうそう手放さなそうとしないと思うんですよね。核に限らず、影響力とか地位とかお金とかそういうパワーも込みで。もうそれは人間の習性ではないか、と。さらに言えば、正直人類が核兵器を一切失っても、いつかまた作ると思うし、更に先まで進むと思う。人間はそう善きものではない。

と、思わず哲学的になってしまいましたが、こうやって考えていくと、やっぱり私は国際関係論(政治・軍備関連)が大好きなんだなぁ!というか、単に調べて、考えて、書くのが好きなだけかもしれませんが。昔から論文書くの大好きだったし・・・

で、最近読んでいる本は、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの「セカンドハンドの時代」。まぁ、分厚い本ですが・・・半分くらい読んでて、強く思うのは、「ロシア人(ソ連人)ってわからん」ということ。本当にわからない。その理由は単に私とインタビューされた人の時代の違いかもしれないし、育ったイデオロギーの違いかもしれないけれど、本当にわからない。まだプーチン時代パートに入っていないのも理由かも。まず、愛について語る人の多いこと!これはインタビュー側の訊いた内容が書かれていないので、実は「愛について語ってほしい」とお願いされていただけかもしれないけれどね。これはロシア人の特性か、それとも究極的状況で出現する人間の特性か。それから、あまりに多数の視点から、個々の体験と考えが披露されていることも、「わからない」の原因。一体ロシア人は共産主義やスターリンを懐かしんでいるのか、どうか・・・結局この本は、「ロシア人ってこんななの」という先入観を持つのを拒絶するように書かれているのでしょうね。

 

アブナイ奴は摘まみ出せ!

高校生を監視し政府に批判的な言動をすると教師に密告させるスパイ計画が発覚:GIGAZINE

要は、アメリカにおいて「政府に反抗しそうなアブナイ子供の兆候を捉え、信頼できる機関に報告し、普通の生徒を守れ!」という趣旨のガイドラインが出たと。それに対しての反対意見、懸念は以下の通り。

Preventing Violent Extremism in Schoolsというガイドラインは2016年1月に施行されたもの。「子どもを守るため」という名目で、政治的に危険な発言をしていたり社会経済的に孤立している子どもも対象にしていますが、「ムスリム・コミュニティを監視するものとして機能する」として懸念が寄せられています。

 

FBIのガイドラインは一見すると一般的な「危険」を高校生に対して警告したもので、ムスリムの学生をターゲットにしたものには見えません。しかし、注意深く見ていくと、FBIは常にイスラムの脅威を名前として挙げており、文化と宗教の違いを「未来の過激派」の因子として繰り返しつづっていることがわかります。

 

American Civil Liberties Union(アメリカ自由人権協会)のHugh Handeysideさんは、「暴力的な過激派の定義に『宗教上の理由に基づく暴力』を含めることは、FBIがコミュニティの監視に力を入れていることに他なりません。『懸念される行為』を示したことは、FBIが生徒の考えを監視し、これらの考えによって引き起こされる未来を予測しようとしているということを表しています」と語りました。

 

・・・え?そこ?というのが、私の正直な感想。「宗教的差別はしていない建前だが、実はムスリムがターゲット」という点について、みんな批判しているが、そもそも「学校という場で、アブナイ子供の報告させる」というのはいいの?

まぁ、とにかくヤバいやつというのはいるでしょう。コロンバイン事件から学校は幾たびも乱射事件の舞台となってきましたから。明らかにヤバい奴、これは学校や地域の安全のために、補導だったりなにかしらのアクションが必要というのはわかる。例えば、全身黒ずくめで、Facebookに銃を持っている写真をアップしていて、さらに動物虐待の写真まで・・・みたいな生徒は監視が必要、これはわかります。若気の至り、黒歴史、若者とは暴力的なものである、この辺も胸に手を置いて、ちょっと10年20年前に想いを馳せれば、ものすごーく恥ずかしい感情とともに、「まぁ、理解できるわね・・・」と納得もできる。「あのころの私、今思えばだいぶ恥ずかしいけれど、まぁ、キーキーと偉そうなこと言ってたわね。先生も大真面目に取らないでほしかったわ・・・」こんな感じでしょう。あー恥ずかしい。

が、よくよく考えると、私のこの心情、これこそが絶対的によろしくない。それは「アブナイ奴は報告されて当たり前」というこの社会のあり方を疑っていない故に、です。もちろん、社会全体への害を考えるならば、このやり方は正しい。アブナイ奴は社会から摘まみ出すに限ります。しかし、本当にそれで良いのだろうか?報告した後に更生という道ももちろん準備されているのでしょうが、そういう問題じゃない。「アブナイ奴を報告するのは当たり前」として疑いもしない、むしろ、それが大前提の上で「誰がターゲットか?」で論争しているこの状態は本当に正しい状態なのだろうか?

今回の記事、最初は「ムスリムだけではなく、そもそも学校でこういうことをすること自体が教育としてどうなのだろうか?」という引っかかりで興味を持ったのだった。が、考えてみると、学校という場だけではなく、こういう行為を推奨することをだれも問題視しない、その点にこそ問題があることがわかってしまった。しかし、生身の人間としては、アブナイ奴は怖い。近くに居て欲しくない。さて、私は一体どうすべきなのか?

 

ドナルド・トランプ、時代の男

先日、余談として書いたが、英語のリスニング力の維持のために、CNNのAnderson Cooperのpodcastを流し聞きすることにした。今の時期のアメリカのメディアが報道することはただ一つ、ドナルド・トランプの選挙戦についてである。ドナルド・トランプ本人よろしく、CNNの中でもキャストがお互いの主張を被せての大論争をしている。(流石に罵り合いはしてない。)攻撃的な物言いというのは、このように話題の中で伝染するのか・・・と興味深い。

で、ドナルド・トランプについて。昔に比べるとアメリカの政治に対する熱量を失っているため、イマイチ選挙戦の状況について理解できていないのだが、ドナルド・トランプが新しいタイプであることは間違いなさそうだ。まず、これは多くの人が指摘しているが、彼は過去のキャリアで政治に関わったことがない。よく比べれれるのはレーガンのようだが、レーガンは大統領になる前に、州知事をしている。ちゃんと調べたわけではないが、基本的に州知事や上院議員経由で大統領を目指し、大統領になる人が多い中で、純粋なビジネス畑からの立候補。経済政策は良いにしても、外交とか大丈夫なのだろうか?しかし、ここで「いやいや、大丈夫じゃないから、声高に過激な発言をして、本当の外交から大衆の目を逸らさせているのではないか?」と意地悪い考えも浮かんでしまう。いざ大統領になったならば大人しくなるという意見もあるが、個人的には是非プーチンとトランプとの対決を見てみたい。あのトランプの猛攻に耐え、勝ち越すのはこの世界でプーチンくらいしかいないだろう・・・サーカスの猛獣ショーをみたい、と同じノリですね。

まぁ、冗談はさておき(プーチンとの対決をみたいのは、わりかし本気だが)、なぜ今トランプがこんなにアメリカでウケているのだろう?間違いなく、世界中で彼の言動に眉をひそめている人がいる。「トランプがアメリカ大統領になったら、世界秩序はおしまいだ・・・」ってレベルで悲観しちゃう人がいる。私もその気持ち、よくわかります。大統領になって大人しくなるならばよいが、もし今演説している内容そのままに、それこそ、ビジネスのCEOのごとく独断的に(?)外交を捌いてしまうならば、おそらく世界の半数以上の国家元首は頭を抱えてしまうだろう。「アメリカ国民は良識をなくしたのかっ!」と罵りたい気持ち、わかります。でも、あいつら、日本が中国と陸続きだと思ってたりしますからね・・・その辺は前からと言えなくもない・・・かも?

しかし、同時にもう少し世界に視野を向けてみると、アメリカにおけるトランプ旋風と同じような理屈が他の国でもまかり通っているようにも思えるのです。日本で言えばレイシストやらしばき隊の問題、ヨーロッパにおける移民反対の暴動やらなんやら、中東におけるIS・・・どれも、自己中心的モノの見方が強まった結果なのではないだろうか?あら、これぞつい最近読んだメアリー・カルドーの「自集団中心主義」じゃありませんか!つまり、ドナルド・トランプは、世界における民主主義の旗手、アメリカ合衆国にさえ、あからさまに「自集団中心主義」が蔓延り始めた象徴である!と言えるのかもしれない。わぁ、意外と本気で時の人だったんですね!

また冷静になって考えてみますと、あの散々言われた子ブッシュ時代でさえ、アメリカはなんとかその辺を耐えたのだ。それは、単にブッシュが新時代幕開けの主人公になるには役不足だったということもあるかもしれないが、コンドリーザ・ライスなど比較的良心的というか、頭のよいバックが付いていたからに他ならない。もし、トランプにまともな外交政策補佐役がいれば、いままでの発言は絶対になかっただろう。(ただ、とりあえずアメリカ国内の人気取りを優先する判断で言いたい放題言わせている可能性も多少ある。でも、その場合に、トランプ大統領の暴走を閣僚が抑えることができるのだろうか?)その辺も世界が頭をかかえる一因である。実際のところ、たとえ共和党の指名をトランプがとろうとも、反トランプの共和党支持者が民主党に流れ、トランプ大統領は誕生しないと思われるが、万が一、トランプ大統領が誕生してしまったら、最後の頼みはやっぱりプーチンしかいない・・・と思ってしまうのである。てかプーチンの場合、確実にトランプをいいように使うな・・・言っちゃ悪いがレベルが違ってよ。

 

ところで、シュワちゃんはどこに消えたんだろう?10年くらい前はてっきり大統領選に出てくるもんだと思ってたけど・・・

ミアシャイマー講演会で考えた事

本日は水曜日ながら公休日な私。ナイスタイミングなことにミアシャイマー教授の講演会が東京で開催される(しかもシンポジウムではなく、ミアシャイマー教授が主役)との情報をキャッチしていたので「ヒャッホーイ」と出かけて行ったわけです。普段こんな寒い日は絶対に家から出ないのにね。で、講演会後は会場で一緒になった知人というか飲み仲間?とご飯食べて、ユニクロで私の冬の制服、黒のタートルネック [1]ヒートテック分もカウントすると計5枚。あれです、サイボーグ004リスペクトです。やらフリースを買い込み、そのまま本屋になだれ込んで、「おっ!有元葉子のおせち本が出てるじゃーん [2] … Continue reading」とか「エクスタシーの神学?なんかダヴィンチコードにもそんな話があったわね」とか「佐藤優また手嶋さんと対談してんの?」とかブツブツ言いながら、最終的にこれらの本と、おしゃれ本 [3]「フランス人は服を10着しか持たない」って本と「モサド・ファイル」を買いました。モサドもね、気になるもんね。

さて、私の買った本は多分ほとんどの人にとってどうでもいいので、ここから本題。ミアシャイマー教授が喋ったことの記録ではなく、あくまで私によるピックアップと考えた事なので、その辺はご了承ください。今回の参加者の三分の一が学生だったとのことなので、きっと意識高い系か超真面目系学生君がちゃんとまとめてくれていると思う。そもそも、見栄はって [4]アメリカの大学でinternational relationsで学位とって、卒論書いた見栄。6年近く前に取った杵柄です。同時通訳用の機械付けずに講演聞いてたもんだから、ちゃんと理解していないところもあるかもしれない。

まず、講演が始まって最初に思ったのが、ミアシャイマー教授、見かけに比べて意外とパワフルスピーカーだな・・・ということ。徐々に熱が帯びてくるのではなく、最初からアツい。でも英語は聞き取りやすかったです。講演の筋立てとしては1)中国の台頭について 2)ウクライナ問題について 3)その2つの関係と影響について、という3本立てで、中国の台頭部分については、教授の持論である攻撃的現実主義の定義や解説を交えつつ話していらっしゃいました。多分、ここが一般的に一番興味深い部分なんでしょうけど、個人的にはその昔、自分の卒論書くときにミアシャイマー教授の理論を援用してたこともあり [5] … Continue reading、特に目新しいこともなく、全く印象に残ってないです・・・すみません。私の講演中のメモは「アメリカの地域覇権を脅かしたのは、過去、ドイツ帝国、大日本帝国、ナチスドイツ、ソ連のみ。」だけでした。 [6] … Continue reading

で、次の話題はウクライナ問題。ミアシャイマー教授によれば、この危機はロシア(プーチン)ではなく、NATOやEUを東方拡大し続けた西側に問題があるとのこと。ナポレオンの遠征→独ソ戦前の協定(ポーランド分割とか)→バルバロッサ作戦→冷戦による東欧共産主義国化って流れをちょっとでも考えれば、これ以上西側の息がウクライナにかかることをロシアが許せないことは自明なんですけどね。その点をロシアの論理ではなく、西側の論理で眺めるから「クリミアを併合したロシア許すまじ」になるわけで、ロシア視点で物事を見ようとするならば「まー、そうだよね。そりゃ、西の国が過去2度も戦争しかけてきているんだし、冷戦もあったし、3度目は嫌だよねぇ・・・」くらいの同情の余地はある。ま、ミアシャイマー教授にかかれば、内在的論理とか歴史観とかではなく、「大国は生き残るのを目的として行動する。NATOの東方拡大はロシアの生き残りにとって「恐怖」である。故に・・・」となるんですけど。

さて、ここで中国とウクライナを紐付けるのは何かと言えば、我らが超大国アメリカ様です。前まではアメリカにとっての優先順には「1ヨーロッパ 2中東 3アジア」だったのに、中国の台頭のせいでここ最近はアジアが1番だった。がっ!今回のウクライナ問題で、またヨーロッパが一番に返り咲いてしまった。しかも、ISIS [7]今は単にISっていうことが多いようですけど。ミアシャイマー教授は「アイシス」と言っていたので、この記事ではこの表記で。の問題にも首を突っ込み始めたので中東も優先順位が上がっている・・・とのこと。このような状況下、アメリカがヨーロッパや中東に注力している中で、中国の台頭に立ち向かうには、日本の核武装もありうるだろうととのこと。ちなみに、日本人が国際政治や核について、相当リベラルだと意識しているのか(というかここ数日の来日で身にしみたのか??)、ミアシャイマー教授、日本の核武装化については、結構歯切れが悪い感じで大人しめに語ってました。中国人はリアリストだから話しやすいらしいけど。ドイツでも話しにくいらしい・・・

講演内容については、だいたいこんな感じ。今回ミアシャイマー教授の講演を聞いて、そしてちょうど佐藤優の最近の対談集を続けて読んでいることもあり、私が考えたのが、ロシアの重要性。ぶっちゃけ、中国も中東もロシアをどれくらい上手く巻き込めるかがすべてなのではないか?教授も「ロシアは中国の封じ込め、イラン問題、シリア問題、アフガン問題で重要な役割を演じている」とおっしゃっていたけれども、教授の大国理論から離れて考えてみても、ロシアは帝政ロシアやソ連時代にコーカサスや中央アジアを抱えていた分、アメリカよりもずっとイスラムに関わる問題には精通しているわけです。地理的にも中東に近いし。ウクライナ問題に対して、ロシアは大国として反応しただけだけど、それはそれとして、イスラムに関わる問題については、大国同士協力しあえるわけだし [8]攻撃的現実主義の理論からしても、ロシアもアメリカも中東に新しい「大国」はいらないですからね。、実務的にもこの分野での先輩を頼らないのはもったいない。同時に、対中国に対しても、ロシアは建国前から関わってきているので、知見はそれなりにあるだろうし、何より、封じ込めるには地理的にも国境を接しているロシアの協力が不可欠なわけです。今回の講演でミアシャイマー教授曰く、そして、ついでに読んだ本の中で佐藤優からも「オバマの外交はクソだ [9]とまでは言われてない。でもダメダメ認定されていることは間違いない」と言われるオバマ大統領、まずはロシアとある程度仲良くすることが直近の課題と言えそうです。ま、できなさそうだけどね。講演の中で「安倍さんはプーチンとうまくやっているよね。彼がすべきなのは、オバマに電話して『ロシアと仲良くして!』ってお願いすることだよ」と笑いを取ってましたよ。

最後に何点か。質疑応答で「もし自分が国務長官ならば?」と訊かれた教授曰く「まず、ISISへの関与を止めて、この問題はその地域の国に任せる。そしてウクライナを中立 化する」とのことでした。そして、経済交流による紛争抑止については「全く意味なし。第一次大戦前も第二次大戦前も経済交流はあったのに、大戦は起こった。だいたい、敵対する国家で経済交流なかったのって、冷戦中だけだし」とのこと。なので、「中国と日本やアメリカとの経済交流は安全保障上の問題を解決しない」ということでした。個人的には大国の凋落はどのように起こるのか、本に書いてあったような気がしなくもないけど、思い出せず、今まさに悶々としているところ。日本とドイツの例を見れば、やっぱり戦争かねぇ・・・と思うんですが、イギリスの例もあるし。ソ連についてもどのように解釈すべきか、悩んでおります。

ところで、「大国政治の悲劇」、前に出たやつを持っているんですが、アメリカ留学からの本の山は実家にあるため、今回参考にできませんでした。手元にあればサインしてもらったのに・・・無念なりけり。(←ミーハー根性丸出し)

 

References

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1 ヒートテック分もカウントすると計5枚。あれです、サイボーグ004リスペクトです。
2 女性の皆様は分かってくださると思うが、女というものは好きな料理家で派閥ができるものなのです。会社では栗原はるみが人気です。私は有元葉子派。
3 「フランス人は服を10着しか持たない」って本
4 アメリカの大学でinternational relationsで学位とって、卒論書いた見栄。6年近く前に取った杵柄です。
5 別の言い方をすれば、ミアシャイマー教授の理論を中国の海洋政策に当てはめて、その理論の正しいことを実証(というのもなんですけど)してみた、って感じです。全文このブログに注釈込みでぶち混んでいるのでお暇な人は探してみてください。英語の拙さはご愛嬌ですよ。
6 英語の講演聞きながら日本語でメモするほど器用ではないので、全て英語のメモです。今見ると相当ミミズ文字で何書いてんだろう?と謎なものも・・・私は同時通訳とか翻訳者とか2つの言語を自在に跨げる人を尊敬するよ。
7 今は単にISっていうことが多いようですけど。ミアシャイマー教授は「アイシス」と言っていたので、この記事ではこの表記で。
8 攻撃的現実主義の理論からしても、ロシアもアメリカも中東に新しい「大国」はいらないですからね。
9 とまでは言われてない。でもダメダメ認定されていることは間違いない

ラムちゃんが振り返るアメリカ外交史

大分前になりましたがラムズフェルト元国防長官の自伝「真珠湾からバグダッドへ ラムズフェルド回想録」を読みました。今回はその簡単な感想を。ただし全体に対してではなく、印象に残った部分だけですので、悪しからず。

①ラムちゃんとライスやパウエルとの確執について

子ブッシュ政権内では「ライスやパウエルはハト派、ラムちゃんはタカ派」という印象が日米マスメディアの報道の影響もあり、定説になっているけれども、視点を変えるとそうでもないのかも、という感想をもった今回の自叙伝。勿論ラムちゃんは自分が正しいと思う事を正しいとして書くし、また過去についても自叙伝なんだからラムちゃんの視点でしか語られないのは当たり前なんですが、例えばラムちゃんの語る大統領補佐官としてのライスの会議の進め方は確かにいただけない。ライスの頭の良さ、そして女性かつ黒人であると言うダブルの壁を乗り越えて、あの地位まで上り詰めた勤勉さ(毎日トレーニングしているとかそういった部分も)を敬愛する私としてはちょっとショックなくらいです。ラムちゃんによると

 

ライスのNSC運営の特徴は、省庁間で意見が異なる時に大統領に決定を委ねるのではなく、可能な限り自分が”ギャップを埋め”ようとすることだった。(中略)”勝者”と”敗者”がうまれるような、明快な決定を強要するのを避けた。各省庁から集めた要素を一つにまとめげて、すべての省庁を政策議論における勝者にしようと考えていたのだ。(P393)

 

ライスのNSC運営については、他にも言いたいことがあった。会議がきちんと準備されていないことが多いのだ。直前になって時間や議題が変更になるので、参加者は十分準備ができない上に、忙しい予定を再調整するのに苦労した。(中略)会議の決定事項については、NSCスタッフが、当然、要約を書くことになっている。しかし、その要約は大雑把で、私の記憶と一致しないこともあった。(中略)そのせいでNSCで何が話し合われたのか、何が決議されたのかを関連する執行省庁が知ることが出来なくなってしまった。NSCで何が決まり、次に何をすべきかについて、参加者の見方が異なることもあった。そのため、CIA、国務省、国防総省の高官は持ち場に戻り、自分たちが最善だと思うことをやってしまった。(P394)

 

これが真実だとしたならば、ラムちゃんはもっと怒って良いと思う。まぁ、この辺についてはラムちゃん自身「ライスは大学教授出身だから」「子ブッシュの意向もあるに違いない」と書いていますが、世界の超大国であるアメリカのトップ、しかもその外交政策で重要な会議運営がこれで良いんかいっ!?と突っ込みをいれたくなり、そして「よくまぁ、なんとかなったよな」と思わんでもないです。なんとかならなかった問題も山積みで、それが直接アフガンとイラクの政策についての問題にも繋がっているのだから、会議運営の恐ろしさが身に沁みて判ります。私の主催する会議で国の運命が決まる事はありませんが、気を付けたい。

パウエルとの仲も中々なもんで、非軍人のライス、元軍人のラムちゃんという考え方の違いが上記のような問題を引き起こすならば、同じ軍人同士もっと話が上手くいくんじゃね?と考えがちですが、そうは問屋がおろさない。パウエルが国連でイラクの大量破壊兵器について演説したことは有名ですが、その前に国防総省はテロリスト達がいるとされたイラクのクーマルという町を攻撃すべきと主張してました。が、パウエルが

「それでは私の演説が台無しになってしまう」

と反対して演説中にクーマルについて「テロリストの施設は判っている」と場所までいっちゃったもんだから、テロリストは演説後直ぐに逃げ出して全く意味が無くなった!とラムちゃんはお怒り。なんせ、ラムちゃんの記憶では

 二月三日、ニューヨークへ向かう二日前に、パウエルはNCSの席で大統領にプレゼンテーションの概要を示した。「全て裏はとってあります」。パウエルは自信に満ちていた。(P526)

なのに、

ところが、いつのまにか、パウエルはただ騙されて、国連安理保と世界に向けて誤った声明を出したという物語が出来上がっていた。(P529)

のだから。そりゃ、アメリカ合衆国という民主主義国家のなかで、他の省庁との会議の場(しかも、それははっきりした意見が決まり難い調和型会議)も何度となくあり、決断を下す最高責任者(大統領)でもないのに、気が付いたら自分だけが戦犯扱いされちゃたまりません。2度目ですが、正直これが真実だとしたらラムちゃんはもっと怒って良いと思う。

 

②法律戦争について

数年前には日本の司法が左翼化しており、その判決を憂う本を読みましたが、司法について頭が痛いのはどの国も同じようです。(最近は日本でも万引きして捕まった元女教諭へもの凄い金額を支払う判決が出たりしてましたね….なんなの、あれ。)特にラムちゃんの場合、「冷蔵庫を背負うレースに出たら身体を痛めた。冷蔵庫に「背負っちゃ駄目」って書いていないからだ」だとか「マクドナルドの椅子にオシリが入らなかった」とか嘘かホントかアホみたいな訴訟天国であるアメリカ合衆国の司法だけでなく、国際法やら他国が勝手に決めた「外国人でも裁く!」法律やらも相手にしなくてはいけないのだから、本当に気の毒です。ただ、涙目になってじっと耐えるのは我々のラムちゃんではありません。「ちょっと体育館裏来いや」のノリで他国の国防相を呼び出し、法律を変えさせちゃうシカゴっ子ラムちゃんが我らのラムちゃんです。

一九九〇年代、ベルギーの国会は、戦争犯罪や大量虐殺、その他、人道に反する犯罪について、その行為が世界中のどこでなされようとも裁くことが可能な裁判権を、国の裁判所に与える法律を制定した。これは普遍的管轄権といい、世界各地のどの裁判所でも、嫌疑のかかった不法行為が国際法違反と評されたら、アメリカ国民ー軍人も民間人もーであれ誰であれ、裁判にかけることができるとしている。(P685)

この法律に対してラムちゃん、ベルギーの国防相をNATOの理事会後、別室に呼び出し

早い話、サダム・フセインを逮捕して裁判にかけようというような努力をベルギー人がしていたという記憶が、私にはないのだが、と。(中略)ベルギー政府が世界最古の軍事同盟であるNATOの本部として機能を果たしていることを誇るのは当然だ。しかしこの際いっておくけれど、NATOがブリュッセルにあるのは、一九六六年にフランス大統領のシャルル・ド・ゴールがNATO本部をフランスから追い出したからだ。もしベルギーが同様に自国の領土からアメリカ人が出てきたくなるような法律を施行するつもりなら、我が国がNATO本部を再び移転させてはいけない理由などないと強く主張した。(P687)

と思いっきり恐喝?し、2ヶ月もしないうちに法律を破棄させたというお茶目っぷり。アメリカのヨーロッパでのプレゼンスを見せつける事件でもありました。

司法のことは専門外なので良くわかりませんが、政府内や議会でも色んな主義主張があるのに、司法だけは公平性がある、と信じるのは絶対におかしい。裁判官や陪審員も人間である以上、右寄り左寄り、社会主義、フェミニスト等色んな考えが反映される訳で、憲法の解釈だって「定説」はあるけど「正解」が決まっていないのだから、「司法即ち公平で正しい」という幻想は、ラムちゃんでなくとも捨て去った方がよいでしょうね。

 

③ラムちゃんの業務スタイルその他

普段は立って仕事をする派のラムちゃん、ニクソン時代は「黄禍」とよばれ、フォードや子ブッシュ時代は「雪片」と呼ばれるメモ魔です。きちんと書面に残す派らしい。あら、意外。ただ、解説にも触れられていた通り、文章として残っているからこの自叙伝もとんでもなく細かく、「もー、ラムちゃんのいう事が正しい!」と信じてしまいそうな空気を醸し出しているんでしょう。ライスも早くNCS&国務長官時代の自叙伝を書けば良いのに。同じ出来事に対する二つの視点を見比べるのもまた楽しい事だと思うのです。特に私自身、子ブッシュの時代は丁度大学〜アメリカ留学中で、国際関係を専攻してた事もあり、閣僚の面々は非常に馴染み深いもの。ラムちゃんの自伝は逆立ちしてもラムちゃんの自伝でしかないのですが、それでもやっぱり私にとってひたすら本を読み、勉強していた幸福な時代の象徴なのでした。

またラムちゃん自身については、軍人一本気というか、筋の通ったある意味非常にわかり易い性格であることがこの本から良くわかります。まずはアメリカ合衆国のため、良いものはよい、悪いものは悪いと判断し、その判断は貫かれ、そしてそれが過ちであった場合は素直に認める。イラク戦争などで悪者扱いされていますが、個人的には非常に好感の持てる人物です。

900ページは冗談なしに重く、通勤や通学中の読書にはお薦め出来ませんが、一読の価値はありです。

 

お花畑掃討任務完了!

ラフレシアを火炎放射砲で焼き払いました。人間、どんなにお脳でお花畑を咲かせても、昨日今日と一人で過ごしちゃ意味がないんだぜ、ということを身をもって学習しました。新宿の伊勢丹の凄さ(特に1階とケーキのある地下1階)といったら・・・ふっ。「アメリカの戦闘ヘリ」とニュースで流れたら間髪入れず「アパッチ!」と叫び、好きな四字熟語(熟語、ではないかもしれないけれど)が「機甲師団(←響きが)」と「諸行無常」の私が蘇りました。はい、拍手〜!

というおバカなことはさておき、早速硬派な話題に移りましょう。まず、旅のお供に新幹線の中で読んだ雑誌、Wedgeについて。前回の旅の最中に読んだ時も思ったのですが、この雑誌は意外と最初のコラムに大物が多い!この前はSAIS(正式名称:ポール・ニッツ高等国際研究所)のケント・カルダーだったし、今回はリチャード・アーミテージなんだもの。どちらも日米同盟について語っておりましたが、これはそういう枠なんですかね?他にも読み応えの多い記事があるので、旅の御供にぜひどうぞ。東海道・山陽新幹線内キヨスク、沿線売店、一部書店で取り扱っているそうです。・・・肝心のコラムの内容?そりゃ勿論、両方共に「うち、来年政権変わっちゃうけど、これからも末永くヨロシクね☆」ですよ。どちらも似たようなことを書いていましたが、個人的にはアーミテージのコラムに一度しか「中国」って言葉が出てこなかったのに注目しました。しかも、それは6者協議の参加国のリスト内のみ。・・・もしかして、ワザと避けたのか?「アメリカはアジアの国なんだぜ!」という純アジア国からしてみると「えっ・・・?そうなの?どの辺が?」って思っちゃうような宣言から始まり、「だからアジアの中での(自分とアジア国との)同盟が大切なの!」と続き、「特にインド洋って、日本的にもアメリカ的にも大事じゃない?」と言いつつ、「ま、今すぐはアジアにおける安保体制をバシッと決めずに、流動的でもいいんじゃない?」と結論を先延ばしにするのか・・・と期待させて、「あ、でもやっぱり、日本とインドの同盟って良くね?」で終わるという、要は「インドとも仲良くしてね」っていう提案をしたいらしい内容なんですけど、中国はどうした!?あれは無視出来ないと思うんだけど。字数の関係で無視したのか、大人の都合で無視したのか、非常に気になります。

新幹線絡みでもう一つ。子供が出来たら、絶対に一度日本地図片手に窓の外を流れる景色と地名(川の名前とか)を一通り確認したい。結構楽しいと思うんだ、これ。大井川とか浜名湖とか、直ぐに覚えることが出来そう・・・因みにどうでも良いですが、わたしゃ今回の旅で東海道新幹線米原〜京都間、上りだと右側に古墳が2つほど見えることを発見しました。新幹線に乗った時は是非探してみて下さい。

さて、国際関係に話を戻してしまいます。今読んでいる本(ほぼ読了)は『「戦争学」概論(黒野耐:著)』なんですけど、地政学から大まかな戦争史までカバーしていて、入門書には最適な感じ。ただし、参考文献として巻末にリストアップされている、その筋では有名な本(奥山真司の「地政学」とか、マハンとかブレジンスキーとかケナンとか、あとはクラちゃん(クラウゼヴィッツ)の「戦争論」とか)を既に読んでいる人には多分、物足りない。まぁ、講談社現代新書だもの、入門書として良ければいいんじゃないの?と上から目線で語ってみました。

ただ、この本、笑いどころがありまして、どうも筆者の黒野氏は現状の日本の政府や中国に物申したいことがあるらしく、唐突に章の最後で持論を「ボソッ」と置いていくんですね。例えば、レーガン大統領の対ソ連の方針とそれに続くソ連崩壊。これは結局、核戦力が拮抗し、ソ連とアメリカの純粋な経済格差(民主主義vs共産主義と、イデオロギーの差でもあるわけですが)が冷戦の勝敗を決したともいえるものなんですけど、クラちゃんの戦争論にも絡めて、冷戦ってのは「政治」そのものの戦いだったよね、と章を閉めるかと思えば、最後の段落で

こうしてみると、民主主義の総本山、唯一の超大国アメリカに挑戦する、経済は資本主義で政治は共産主義という国の結末がどうなるかは、見えているように思えるのだが。

っていきなり中国についてチクリと嫌みを言っています。いや、中国の行く末は我ながら見物だと思うけど、このタイミングで中国ですか?先生・・・と突っ込みたかったんですよ、私は。ニクソンなら兎も角、レーガンの時代と中国って実はあんまり一緒に語られないもの。他にも、イラク戦争からフセインの戦略眼の無さに話が移って、最後の一文が

もっとも、フセインほどではないにしても責任感、プレッシャー、願望などによって、国の指導者といえどもこうした傾向に陥りがちなことは肝に銘じておくべきだ。かつての大日本帝国がそうであったように。

と来るんですね・・・ここまで来ると私、ネット界隈を賑わせた天声人語の

そういえば、自らの国家や民族に固執する右翼系の若者が世界的に増えているという事実も、多少気になるところだが。

を思い出すと言うかさ、まぁ、内容的には真逆でしょうけど、論理の吹っ飛び方っていうかさ、似てません?ちょっと笑ったぞ・・・

最後に余談。最初の段落を書いている時点で「ガミラスは蘇る、何度でも!」という台詞を思い出したというか思いついたんですが、これ、元は「ラピュタは蘇るさ!」っていうムスカ大佐の台詞だったんですよね。どこで混ざっちゃたんだろう?まぁ、似てますもんね、デスラー総統とムスカ大佐って。特にあの、前髪で隠しきれていない広いオデコとかさ。どっちも好きですけどね。

さて、大分ブログ執筆に関してのリハビリが進んできました。結局書くことが大好きなんだもんね、私。ブログじゃ食ってけませんが、時間の許す限り書いていきたい。「お花畑は消しちゃ駄目ぇ〜」って母に言われたけど、ブログに関してはもう遅い。文庫の方のアップはまた明日。