Archive for the ‘地図の部屋’ Category.

ドバイ空港の様子

このタイミングでなんですが、北アフリカに旅行に行ってきました。空港の様子について、一言で言えば「気にしている奴は気にしている。していない奴はしていない。」につきます。行きは2月の終わり、帰りが3月のあたまで約1週間の旅行でしたが、やはり行きよりは帰りの方がマスク率は高かった気がする。あくまで私の感覚値ですが。

帰りにターミナル間のバスに乗り合わせた、みるからにアラブ系のおじさん集団 [1]赤いスカーフを頭に巻いて、白いロングシャツはスカーフで口元を覆ってたけど、それは我々と乗り合わせたからというより、単に自分が咳していたからの模様。多分あのバスの中の恐怖度は我々の方が上だったに違いない。まぁ、原因はお酒の飲み過ぎだったんでは?と思いますが。それくらい機内で大騒ぎしてたもん。

あと、印象としてマスクをしている人はN95やサージカルマスクぽい本格的装備が多かったこと。売ってるところには売ってるんだなぁ・・・と感心しました。因みに旅行先の国のスーパーにも行きましたが、そもそもマスクは置いてない模様。同じビル内のファーマシーにも行ってみたけど、そこでもマスクは特に売ってなかった。その代わり、こちらがアジア系だからか殺菌ジェルみたいなのをお勧めされました。買わなかったけど。現地の人はいったいどこでマスクを手に入れているんだ?ネット??

なんというか、思ったのが「結局ものの捉え方だよなぁ」と。目の前で指差されてコロナコロナ言われて暴行されたとか、追い出されたとかそういう案件はともかく、「マスクしている」「避けられた気がする」「嫌な顔をされた気がする」とか、こっちが疑心暗鬼になっている分、そう感じやすいんだろうと思います。多分、先方はそもそもそんなことしたつもりがないか、意識的にやったとしても大して考えてやっているわけではない。考えなしの行動こそが差別につながるんでしょうが、ぶっちゃけ私たちも観光地で中国人(香港人?)と一緒になった時、ちょっと避けたし・・・ともう、完璧に同じ穴のムジナな訳です。自分の行動を防衛反応と呼ぶならば、彼らの行動も防衛反応な訳で、そこから差別の線引きは非常に曖昧。胸に手を置いて考えれば、「避けられた気がする」と憤慨することはできない気もします。(でも暴力はダメだよ。)

と言うことで、タイトルの件に戻りますが、ドバイ空港の様子は私がみた限り「3〜4割の人がマスクをつけていた。つけているマスクは結構いいやつだった。我々をみて、露骨に嫌な顔をする人はいない。」です。

References

References
1 赤いスカーフを頭に巻いて、白いロングシャツ

九州湯めぐり大作戦

3月頭に母と大分〜熊本県境の温泉郷を4泊5日でまわったのでその記録。なお、感想はあくまで私の趣味の反映です。基本的な前提として、一口に温泉といっても「泉質」「ご飯&お宿」「雰囲気」と優先すべき項目がそれぞれあって、今回のように「女二人旅」なのか「彼氏とシッポリ」なのかで、だいぶ求めるものが違いますよね?ってことです。

 

筌の口温泉

はっきり言おう。サイコーだ、と!!!

いやもうほんとサイコー!秘湯の湯めぐりが趣味な親子にあって、例え内湯にさえシャワーがなくっても(なのでカランに頭を突っ込んで髪を洗う)、近所のおばあちゃん達が立ち寄り湯に来ようとも、お湯が良ければ全て良し。座ると痛い湯の花の珊瑚礁(としか表現しようがない)も泉質の高さの証明。掛け流しだし、人も少ない。サイコーである。恐らくは露天風呂の方が有名なのだろう、立ち寄り湯にやって来る若めの人たちは皆そっちだけに入っていた。確かに露天風呂は赤めの濁り湯で、広く、小川もすぐそばを流れており、風情満点である。その上、いい具合に岩が配置されており、寝そべったり、半身浴したりするにもスポットを探し当てれれば [1]なんせ広い上に濁り湯なので、結構真面目に探索が必要、いくらでも長湯できる。が、内湯の方こそ素晴らしい。何よりも炭酸温泉も混じっているので2種混合である。その分お湯の温度はぬるめだし、濁りもそこまでではないが、「これぞ温泉!」という気分にさせてくれるのだ。近場にある「山里の湯」は炭酸温泉。湯船は狭いが、ジッと座っていると体中に泡がついて面白い。湯温が高くないため、なんと母ともども1時間半ジーっと入っていた。

とにかく文句無しに今回の旅のベスト温泉だった。強いて言えば、敷布団がちょっと薄めだったことか・・・しかし、「だからこない!」のではなく「次回は携帯式マットレス持ってこよう」と考えるのが温泉バカのバカたる所以である。是非ともまた泊まりたい。なお、車で5分ほどのところにある「九重夢大吊橋」にも行ってみた。母が足をひねって歩けなかったため、一人で渡ったのだが、吊橋は吊橋効果を狙う人と一緒に行ってこそ意味がある・・・と強く実感した次第。震動の滝も吊橋の上からしか見えず、携帯で写真を撮るにも足が震えてしまった。ところで、吊橋って端っこの方(下が川や谷ではなく、(ゆるやかな)崖になっている部分)の方が恐ろしく感じるのは私だけなんだろうか?そして、吊橋の入り口にあるJA系の道の駅はお土産や名物の品揃えが多く、面白かった。なぜかブルーベリージャムの品揃えが豊富・・・

 

筋湯温泉

こちらは泊まらず、公共浴場のみ。残念ながら「岩ん湯」は男性の日で入れなかったが、その日女性向けであった「薬師の湯」は湯の花が黒い・・・?残念ながら、湯温がそこまで高くなく、そして3月なのに雪がちらつく大変寒い日だったので、あまり長湯できなかった。打たせ湯については、浴室内が湯気もうもうで特に寒いとは感じない。ただ、端っこの方に座っていても、打たせ湯からのしぶきがすごい。髪を濡らしたくない人は、シャワーキャップをしないと意味がないレベルだった。母と交代でシャワーキャップをかぶり、打たせ湯へ。お湯の勢いがすごく、思わず「わー」「きゃー」と叫ぶレベルでした。

ちなみに、近場には小松地獄という場所がある。なぜか韓国人の団体がいた。そんなに有名なところなのだろうか?とはいえ、歩道の下からグツグツ聞こえるのはなかなかの恐怖。卵を持参しなかったのが悔やまれました。

 

黒川温泉

風情はバッチリ、お湯は・・・?

完全に観光地になっている温泉で、若い人も多ければ、外国人観光客も多い。秘湯巡り好きとして、いくら「秘湯の湯を守る会」のお宿だろうと、「うーむ」というのが正直なところ。何より、立ち寄り湯の人たちが多いこと・・・!自慢の洞窟風呂もイモ洗い状態である。時間を見計らって(朝一番とか)に入らないとゆっくり出来なかった。まぁ、洞窟風呂そのものは、蒸気がこもる分あったまる。が、泉質はそこまでよいとは思わなかった。筌の口温泉ではそんなことなかったのに、この温泉ではお湯から上がってそのままだと、背中が乾燥してしまったのだ。家族、もしくは彼氏あたりと来るには、温泉郷としてぶらぶら歩けるし、趣はあるし・・・でいいんだろう。ただ、秘湯ハンター向けではなかった。

 

杖立温泉

なぜか(一応ちゃんと理由はあるらしいが)プリン押しの温泉郷。こちらも泊まらず、立ち寄り湯のみ。雪はどんどん強く降り、その中に佇む川べりの温泉郷・・・というのは、古き良き温泉!という感じがすごいんだが、寂れっぷりもすごかった。まぁ、これは平日だったからかもしれないけど。湯温が高めということで、むし風呂で有名らしいが、1件目のむし風呂は温度がそれほどでもなく、2件目の立ち寄り湯は蒸し風呂自体やってないようで、ちょっと残念。しかし、どちらのお宿でもプリンはしっかり平らげた。(美味しかった・・・!)

杖立温泉のもう一つの名物は「絵鯉」。要は絵馬の「鯉」バージョンで、「恋」に効くとのこと。せっかくなので、私も超具体的に(人のプライバシーかなぐり捨てて)お願い事を書いて橋に吊るしてきたのだが、雪降る中、釘で欄干というか橋の屋根の梁に念を込めながら打ち付ける姿はそれだけで願いが叶いそうであり、端から見ているとなかなか恐怖な場面であったかと思われる。

 

川底温泉

現在は立ち寄り湯のみ。湯船はそのままに?建物をリニューアルしたようで、なかなか綺麗でよかった。ただ、もともと3つの湯船があり、その中には床に敷き詰められた石の隙間からお湯が湧き出ている・・・ということだったのだが、リニューアルとともに女湯と男湯を分割したため、無駄に高い壁があり少し圧迫感があったのと、石の隙間から〜というのは体験できなかった。が、なんせ古い石の湯船なので、それだけでなんだか落ち着いてしまう感じ。浅い部分がなく、そもそもの湯船自体ちょっと深めなので、半身浴とか湯船から上がって涼む、みたいなことは、ちょっと難しい。

 

壁湯温泉

川辺の洞窟風呂が一押しなのだが、結構ぬるくて、何せ外が寒いので、中々あったまらないのが辛かった。混浴だが湯浴み着を貸してくれるので、まぁ、女性でも気兼ねなく入れます。(男性は気兼ねするかもしれませんが。)内湯はどちらも雰囲気重視。お湯は・・・うーん、やっぱり背中が乾燥してしまった・・・個人的にはすぐそばにある公共浴場の「床の石を動かさないでください。床が抜けます」という注意書きが気になってしょうがなく、そちらにも入ってみたかったが、こちらも混浴だったので今回は諦めました。

 

 

References

References
1 なんせ広い上に濁り湯なので、結構真面目に探索が必要

あぁ、誘惑のロシア旅行旅

えー、ちょっとというか大分前にロシア旅行に行ってまいりました。7月上旬だったので、ロシアは白夜のシーズン、日本は盛夏。「暑い時期に寒いところにいこう」という安易な考えからではなく、「寒い国に寒い時期に行くと大変」という観点からでございます。というのもほんとは言い訳で、実際のところは「半年前から夏に海外旅行に行く!と宣言していて、それがたまたまスポンサー(母)の意向と私の特殊な趣味が一致しロシアになった」んですけどね。社会人になってつくづく思ったのが、休みは早い者勝ちということです。今回の場合、去年から言い続けていたのが勝因でした。皆さんも旅行の計画はお早めに。

さて、東京都に住んでいる同じ年齢の女子のうち、ロシア(≒ソ連)好き上位10%にはいるであろうことを自負している私ですので、カメラを持っていかずブログの記事にさえならなかったカンボジアと比べ、デジカメを新調し、ブログネタ用メモ帳を持ってゆき、旅行の友(本)はロシア縛りで佐藤優の本を選び、ついでに旅行用お洋服もウン万かけて買ったのは当たり前。大学でみっちり勉強した事(というかプーチン政権について小論文書いた…)もあり、ロシア史・ロシア政治史に明るい状態で挑んだロシア。例のごとく、長くなるので箇条書きでご案内したいと思います。因みに行程は「キジー島⇒サンクトペテルブルグ⇒モスクワ南部の町⇒モスクワ」でした。後で判ったのですがロシアの場合、ビザが取り難い&国内での宿泊証明等の問題で、個人旅行はしにくそうです。今回はツアー旅行でした。

・搭乗予定飛行機が元々ロンドンからモスクワ経由で成田着の折り返し便だったらしく、初っ端から思いっきり遅延してました。3時間の遅れで、モスクワでのトランジットも逃しちゃった訳ですが、「ワシントンDCでトランジット予定だった夜10時の飛行機が欠航して急遽ホテルに身ひとつの状態で泊まった経験(私)」や「娘の卒業式に出席しようと思ったらこれまたワシントンDCでトランジット予定だった飛行機が欠航して、見知らぬアメリカ人数人とタクシーをシェアして4時間かけてやってきた経験(母)」といった滅多にない経験をしてきただけあって、私も母も「3時間遅れ?トランジットがない?でも旅行会社が何とかしてくれんのよね?あー、気楽だわー」と成田空港を満喫してました。無印良品とか旅行グッズに特化していて、色々面白かった!後、母はロシアの治安の悪さを事前に旅行会社から何度も言われていたんで、スリ防止をかねて、鈴のついたキーホルダーを買ってカバンにつけてました。童話で猫に鈴をつけるという話がありますが、あんな感じで旅行中「チリンチリン」と音がしたら「母、接近中!」とわかり易かったです。

・さて、やっとこさ乗り込んだエアロフロートですがロゴが「ハンマーと鎌」なんですよね。アレをみて「うーん、ソ連の名残ね!」と感心してしまいました。実際、ソ連崩壊に伴い、面倒だったのか、どうでも良かったのか、それとも単に壊す金がなかったのか判らないんですが、ロシア国内でも、銅像以外にも窓のレリーフとかソ連モチーフが沢山残ってました。

・佐藤優の本で特にロシア外交官時代についての本は、ロシアグルメ本としても有益です。「自壊する帝国」を持って行ったんですが、ソ連崩壊史としてではなく、完全にグルメ本&お土産のヒント集として付箋を貼る始末。私は佐藤優本経由で「ジュリアン」なる食べ物(キノコにサワークリームをのっけて焼いたもの)を知り、是非食べてみたいと思ったんですが、残念ながら出てきませんでした。好きな食べ物を頼めないのがツアー旅行の良くないとこですね。

・わたくし、気流が悪い場所というのは山脈の上、という持論がありまして、ガタガタ揺れる飛行機の中で、「気流といえばthe hunt for Red Octoberだよなぁ。久しぶりに観たいねぇ」なんて暢気に考えてました。あの映画もある意味ロシア絡みですね。潜水艦の中のイメージカラー(ランプの色)がソ連=青、アメリカ=赤だったことだけは未だに納得いきませんが。

・飛行機の中では映画を見ないので、フライトインフォメーションの画面をずっと表示させているんですが、日本を出て数時間後「あれ、なんでこんなに「ピョコン」と出っ張った飛び方しているだろう?」と気が付きました。飛行機は最短距離を飛行するはずなので、航路履歴も緩やかなカーブであんまりジグザグしないもんです。なのに、一カ所だけ満州の上の方でピョコンとしている・・・これは妙だとよーくみてみたら、中国との国境線がそこだけピョコンとロシア側に飛び出ているんですね。領空についてあまり詳しくないので良くわからないが、どーも中国領の上を避けているっぽい。ヨーロッパ行きの場合は、バリバリロシアの上空を通る訳で、他国の領空上を通るのNGではないはず(戦争状態でない限り)。なぜあんなにあからさまに中国領を避けたのか・・・謎です。因みに帰りはギリギリのラインで中国領に入らず、緩やかなカーブで日本に戻ってきました。

・中国について考えたついでに「良くロシアがシベリアを押さえる事が出来たよなー」とかも考えてました。距離的には極東部分とか中国になっていても不思議でないのに・・・ちょっと前に「銃・鉄・病原菌」を読みましたが、「南北に比べて東西のほうが移動・拡散が早い」とありました。つまり、そういう事かしら?とちょっとインテリぶっているうちに、モスクワの空港についたのです。流石、白夜!夜の9時過ぎているのにまだまだ明るい!その後サンクトペテルブルグへ国内線に乗り継いだんですが、ホテルについたのが12時過ぎだというのにまだ明るい!!最後の方は慣れましたが、最初は「まだ明るいから」と構えていたら深夜過ぎてた!ぎゃー、明日の集合6時よ!みたいな事が多かったです。

・翌日は移動日だったので、途中で昼ご飯を食べたんですが何かの手違いでメインディッシュが出ないというトラブル発生。私個人の性格が大らか(適当)なのか、長い海外生活で多様な価値観を身につけたのか、それとも単に人(母)のお金で参加しているから「元を取る」という感覚がなかったのか、理由は知りませんが、兎に角私としては「あらまぁ」くらいに考えていたんですが、怒る人は怒る。しかし、怒るにしろ悪いのはそのルーズなレストランであって、ロシア全国民ではないはず。そのラインを越えて文句をいうので聞いていて非常に気分が悪かったです。あんまりこういう事を言うもんではありませんが、わざわざ外国に来ているんだから、「それもまた外国経験」位にのんびり構えてはいかがか?それが出来ないならば日本から一歩もでない方が良いと思います。

・その晩はカレリア地方の伝統的料理ということで、町中心街のレストランで夕食でした。ウォッカではなく、20度くらいの薬用酒(?)でしたが、居合わせた他のロシア人と一気飲みして握手して写真を撮るという経験を出来たので良かったです。一気飲みもね、佐藤優の本に書いてあってやってみたかったんです。普通女の人はしないっぽいけど。

・キジー島はそこそこ有名なので他の国からの旅行客も多く、ヨーロッパをバイクで旅しているウェールズ人と偉く開放的な格好をしたイラン人と知り合いになりました。イランにも行ってみたいな〜

・サンクトペテルブルグへ戻る列車は寝台列車!本当はシベリア鉄道に乗ってみたかったのですが、そっちのツアーの場合、有給を全て使い1ヶ月休みを取らないと行けないので無理だったんですよね。なので、シベリア鉄道ではないけれど、寝台列車にのれたのはホントに嬉しかったです。ただ、毛布や敷き布団がイロイロ危険な感じ。広げて寝るとなんかにかまれそうな・・・「どうせ1晩だけだし」ということで、母も私も座席にそのまま寝転がって寝てました。繊細な人は列車の音で眠れないのかもしれませんが、親子揃って「寝るときはどんなとこでも寝る」というタフな性格なため、グッスリ寝ちゃいました。因みにトイレは線路に垂れ流し方式らしく、列車が動いてから1時間くらい経たないと使えない(じゃないと駅が酷い事になる)という・・・しかも、ご丁寧に便座の蓋を時間までロックしているのです。(車両によって違うようです。ロシアの列車は同じ級でも車両によって個性溢れていました。トイレのロックは多分車掌さんの性格による部分が大きいかと。)それだけはちょっと不便でしたね。

・エルミタージュ美術館、人気エリアと不人気エリアの差が激しく、涙を誘いました。しかし、もの凄く混んでました。優先券じゃない場合は、2時間炎天下(ジメジメしてないけど、日差しは強い)で待つとか・・・1年のうち、旅行出来る時期がかなり限られているのでしょうがないですね。個人的には大好きなナポレオンの肖像画を直にみれて感動!自由時間に思いっきり迷ったのは秘密です。美術館でも何処でも、「行った道を帰る」の鉄則を忘れないようにしたいものです。いくら1階に戻りたいからと言って、別の階段を使ったのが悲劇の始まりでした。

・ピョートル大帝の夏の宮殿は噴水で有名ですが、そのなかでも子供が集まるのがいたずら噴水。つまり、恒常的に水が出ているんではなく、いきなり水が出てくるんですが、これが意外と人力で動かしてまして、茂みの中に建っている掘建て小屋に詰めているor噴水の側に何食わぬ顔してすわっているおっちゃんがスイッチを押すとピューと水が出る仕組みだそうです。ので、同じ子供が調子に乗って遊んでておじさんがいらついて(?)きたら出ない、女の人が興味本位で噴水に近づくとピューとびしょ濡れの透け透け・・・どうなの、これ。

・サンクトペテルブルグでは丁度白夜祭のシーズンで、折角なのでマリンスキー劇場でバレエ観賞。あんまり客席に傾斜がなく、しかも前のおねーさんたち(ロシア人?)がサングラスを頭の上につけてたもんだから、よく見えなかったですが劇場内に入れたのは良かった。サンクトペテルブルグ(レニングラード)といえば、バレエ漫画「アラベスク」よね、と帰国早々愛蔵版を買ってしまいましたよ、私は。

・因みにロシア人は「短い夏を満喫するぜっ!ヒャッハー!!」みたいな感じで、もの凄い格好の人が多かったです。アメリカ人の方が以外と慎み深い格好している気がする。男性の場合パンツ一丁で公園で昼寝するのは当たり前、女の人もベアトップとか、なんかホントに色々開放的でした。ソ連時代はどんな格好していたんだろう・・・気になる。

・ロシア正教会の建物の作りは大体一緒です。ツアー中かなりの数の寺院をまわりましたが、モザイクの細かさや寺院のキラッキラ度には毎度目を奪われました。しかしソ連が崩壊してまだ20年、教会や信者の様子を見ると、ソ連時代でも信仰心は変える事が出来なかったに違いない、と考えてしまいます。かなり敬虔な信者さんが多かったです。

・モスクワ南部の小さな町の中央広場で自由時間があったのですが、なんせ本当に小さな町なので、売っているのはお土産(レースの帽子とか、ソックスとかロシア風お皿とか、大都市で売っているものに比べて素朴系)か地元の人向け野菜だけ。折角なので、おばあさん自家製のピクルスを買って食べてみましたが、これがなかなか美味しかったです。ロシア料理は本当に美味しいんですが、ディルの使用が多く、ピクルスが浸かっている大ビンにも大量のハーブが浸かってました。エジプト旅行の記事でも書いた(はず)ですが、私は胃腸が強いので、食べてみたいものは食べてみる主義なのです。しかし、本当に美味しいピクルスでした。あと、100%ロシア国産の蜂蜜も、300mlくらいで大体900円なんですね。安い!ということで母と沢山買いました。このときから何故か母の中で「この子は蜂蜜好き」という認識になったらしいです。まぁ、嫌いじゃないが、コレクターという訳でも、砂糖じゃなく蜂蜜派という訳でもないんですが。キノコも炒めたら美味しそーなのが沢山売ってましたが、流石に生の状態で日本に持ち込めないので、こちらはギブアップしました。無念なり。

・ソ連時代有名で、佐藤優の本にも何度かでていたグルジアワイン。現在ロシアとグルジアの仲がよろしくないため、入ってこないらしいです。ムー、残念。飲んでみたかったのに。

・モスクワ郊外の渋滞が酷かったです。凄い、のではなく、酷い。まず、車線という概念がない。折角片道4車線もあるのに、ちょっとでも渋滞してたら道路脇の未舗装砂利道を爆走して前に進もうとする。ロシアを走っている車にはウィンカーというものがついていないんではないか?と思われるほど、ウィンカーを出さない。やたら車間距離が短い。こんな状態ですんで事故が多い。事故が多いから渋滞するという悪循環。1日で4回事故現場を目撃し、その内1回はトラック炎上してました。後、洗車って概念も無さそうでした・・・金持ちの車は知りませんけどね。

・私の旅行メモによると、車の数>>>駐車場の数らしい。モスクワでの現地ガイドさんに訊いたんですが、私のメモには「無計画」とかしかなく、何がどう無計画なのか思い出せません。確か、法律で駐車場がないと云々、という話だったような・・・

・ソ連崩壊後、いきなり資本主義の波にのまれたロシア。そのなごりなのかなんなのか不明ですがヒャッハーしすぎてコンセプトが不明な、ラスベガスのホテルを悪趣味にしたような、ド派手なショッピングビルが郊外に沢山建ってました。あの手の建物って、どの国も一回通る定めなんでしょうか?

・今回のツアー団体の中で、モスクワで一番興奮していたのは間違いなく私でして、その理由というのがスターリン建築!そして、今まで国際関係や歴史の授業で読んだ本の中に出て来る建物が車窓から見えるから!モスクワに7つある摩天楼のうち、1つはホテルの窓からも見えました。アパートとかも極めてソ連的でみていて面白いです。ソ連時代のポスターとか芸術ってある意味洗練されていると思うんですが、建物も画一的で整然としてます。流石芸術関連にも口出ししたスターリンさんや・・・!まぁ、よっぽどの高級なものでない限り、アパートは住みやすそうには見えませんでしたが。

・Dumaやルビヤンカの前も何度か通ったので写真にパチリ。ホテルにあった英字新聞によると、丁度私が旅行中にプーチン政権下のDumaで外国資本のNGO(特に政治系NGO)を「foreign agents」として分類する、という法律が可決されちゃいまして、しかもその影響かなんかか不明とされていますが、CNNなど海外のケーブルテレビ放送がほぼ1日にわたってみれなくなったという状態でした。プーチン政権はどこに向かうんでしょうね?個人的には風土や文化といった理由から各国の政治体制志向というのは歴史から学ぶ事が出来ると考えているのですが、となると帝政ロシア、共産党の一党独裁という歴史を歩んできたロシアは、議会制や選挙システムは残しつつ、ある程度個人に権力が集まるのではないかと思います。それは良い、悪いではなく、そういうもんじゃないでしょうか。

・さて、今回はロシアでもヨーロッパ寄りの地域を中心にまわった訳ですが、それで気が付いたのが戦勝記念碑の多さ。一つ一つ調べて地図におとせば、論文一本書けるんじゃないか?と思いました。大都市の場合は大通りの中心にかなり大きな記念碑を建て、小さな町では町の入り口辺りに、そこそこの大きさの記念碑があった気がします。

・スターリンの奥さん(2番目)のお墓を見に行ったんですが、死因とか以外と皆さん知らないもんなんですね・・・有名だと思ってた。ところで、ロシアの墓地というか墓石はかなり個性的。バレリーナなら踊っている姿、軍人さんなら勲章いっぱいつけた胸像など個性溢れすぎて、どんな人のお墓なのか、みれば判る状態でした。因みに軍人さんは軍人さん向けエリアがあるようで、その辺の墓地は異様に堅苦しい。日本でいう青山霊園みたいな有名墓地でしたが、断トツド派手だったのはエルツィン元大統領のお墓でした。巨大なロシア国旗・・・お墓の写真を撮るのは嫌なんで、写真をお見せする事が出来ず残念ですが、なかなかの衝撃でした。

・赤の広場は当初午前中に見学の予定でしたが、警察学校の卒業式とかで封鎖中。しかし、そのお陰で時間がちょっと空き、隣接しているデパートの2階から覗き込み、写真をとりまくることができた、という個人的にはホクホク状態でした。しかも別のイベントもあり、民警・軍など総出していて、非常に興味深かったです。赤の広場よりこっそりスナイプした制服の方々の写真の方が多いのはご愛嬌。

・ロシアのお土産について。マトリョーシカなどロシア民芸品、ソ連グッズなど色々ありますが、会社へのお土産なんかでコストパフォーマンス重視の場合は「ミーシュカ」というお菓子をオススメします。これも佐藤優本に書いてあったのですが、このお菓子、ソ連時代はクレムリンとかそういった場所でしか手に入らなかったようです。いまではスーパーで一袋日本円にして200円弱(15個入り)で売ってますが・・・3匹の小熊の絵が書いてある水色の包装紙に包まれたチョコレート菓子で、私の職場の人曰く「懐かしい味」だそうです。因みに小熊の元絵はトレチャコフ美術館にあります。あと、私が余りに買い占めたので、事情を良くわからない同じツアーの人達が怪しんだというのも今となってはよい思い出。

・ロシア徴兵制について、訊いてきましたよ!18−27歳の間に2年間軍務につく必要があり、エルツィン時代に一度1年間になったんですが、またプーチン時代に2年に戻ったそうです。共産党時代は2年でした。記憶が曖昧なんですが、確か学生は免除らしく、徴兵逃れのために大学院で頑張っちゃう人もいるとか。お金があれば賄賂もOK。私が訊いた人は2000ドル賄賂払って免除してもらったそうです。

・ロシアって体制が変わる度に町の名前を変えてますが、意外と「通り」の名前はそのまま「レーニン通り」とか「キーロフ通り」とかが残ってます。通りの名前くらいなら別に良いかと思ったのかな?それとも、帝政ロシア時代からソ連への移り変わりで変更されたものだけ、元に戻しているんだろうか?謎だ・・・

・ロシアに旅行する場合必ずホテルにパスポートを預けて宿泊証明してもらう必要があるとのこと。恐らく、というかほぼ確実にソ連時代の国内パスポートの名残だと思うんですが、ビザ取るのも面倒な上、個人宅に泊まった場合はその地域管轄の内務省だか警察だかの支局にいって宿泊証明をしなければいけないという超面倒仕様。このシステムが残っている限り、ロシアへはツアーで行った方が楽かもしれません。治安については、日本より悪いというのはぶっちゃけ何処でも一緒なので、その辺の警戒心を忘れなければまぁ問題無いんじゃないでしょうか?取り敢えず、出国審査も入国審査並みに行列でした。アメリカなんて出国時の手続き何もないのにね。「宿泊証明のない日があったら怪しまれて別室送りなのかなー」とか考えながら行列に並んでました。

・最後にロシア語について。話す・聞くは最初から諦めてましたが、何とか読むだけは出来るようになりたいと元から思っています。その理由は単にロシア文学を原著で読んでみたいからなんですが、ロシア語はキリル文字で発音が全く違うんですよね。なので、お店とかでも看板と中の様子を見比べ「あーこれはcafeなのね」と理解したり。因みにカフェは「KAфE(もしかするとちょっと文字が違うかもしれませんが大体こんな感じの字だった)」でした。しかし、田舎に行くと完全に英語が通じない世界ですから、「これいくらですか?」とも訊けない。「観光客目当てに商売するなら、エジプトやカンボジアの子供並に数カ国語で『これ安いよ!』くらい言おうよ」と思っても、ロシアのおばあちゃんには通じない。いや、もしかすると逞しい子供はいるのかも知れないけど、少なくとも私は出会ってません。という訳で、サクランボをおやつに買いたくても意思疎通が出来ず困ってしまったんですが、流石そこは歳の功というか、そのロシアばあちゃんはおもむろに自分の指を1本突き出し、その後親指と人差し指で0を2回つくって、「100ルーブル」ということを教えてくれたのです。こうして私はもぎたてサクランボを無事お腹の中に納める事ができました。お互い意志があれば、言葉の壁をこえることが出来るんですね。ワー、パチパチと綺麗におさまったので、ロシア旅行について終わりにしたいと思います。

熱砂の地獄から戻ってきたZE!

行ってきました、エジプトに。こんな暑い暑い夏の最中にっ!私にとって、はっきりと覚えている限りの海外は大抵アメリカ、それ以外の国へも半分勉強目当て(リーダーシップトレーニングとか)だったので、純粋な観光は多分初めてです。というか、記憶の彼方にボンヤリと残っている小学校低学年の時の海外旅行もあんまり純粋な観光ではなかった気がするんだよなぁ・・・まぁ、いいか。兎も角、観光目当て&ツアー旅行と言うのは新鮮だったんですよ、私なりに。

さて、このブログを読んでいる読者の皆様は、既に私(20代前半、女)に対して

「ゆきを♡のエジプト旅行記☆一日目☆
今日はギザのピラミッドを観てきました。チョー大きかったよ(・o・)
しかも、スッゴク暑かったの。日焼けが心配でした。テへッ」

なんつー文章を期待しても、期待するだけ無駄であると言う事を学習していらっしゃると思うのです。そうです、やっぱり無駄です。1日目から何したどーした書いても、逆につまらんだけだと思うので、エジプトで考えた事その他を箇条書きで。現地ガイドさんの名前は仮にAさん(男性)としておきましょう。エジプト人&イスラム教徒の彼が語るエジプト事情はピラミッドより興味深かったと思います。今回は、ここ最近で一番の長さを誇る記事なので要覚悟。

1)エジプトで一番悲惨な家畜
その名はロバ。エジプトでみかけた家畜は牛、ロバ、ラクダ、ヤギ、羊、馬だったのですが、個人的にロバの働き具合は涙無しでは語れません。ヤギや羊は他の国と同じ様に集団行動してるだけでしたし、ラクダに至ってはギザのピラミッド周辺で観光客を5分ほど乗せて歩くのが主な仕事の模様。(←私がみた範囲の話です。案外、人目に付かないところで重労働に耐え忍んでいるラクダもいるのかも知れない。)馬は観光客用の馬車をひき、牛はどうやら売られる途中のドナドナ状態のを2回ほどみかけただけ。これらの、我らの想像の域を出ない家畜に対して、ロバの重労働といったら!自分の4倍くらいの大きさの荷車をひく、大人の男二人を乗せる(子供なら3人くらい)、しかもそれで走る、木陰で半分くらい目を閉じて眩しそうに佇む、etc….

ジョージ・オーウェルの「動物農場」にロバが出てきたかどうかは忘れてしまったのですが、エジプトのロバは、エジプトの動物の中で最も「動物農場」よろしく社会(動物?)革命を起こす権利があるな・・・と移動中のバスの中で考えておりました。あれぞプロレタリアートの中のプロレタリアート!「きっと革命後はホンモノのプロレタリアートにも関わらず、もうちょっと要領の良さそうな馬とかに指導権を握られてしまい、相変わらず労働力として酷使されるに違いない。」「エジプトのロバの同志諸君!今こそ、立ち上がれ!革命を起こすのだっ!」「全エジプト・ロバ労働共産党宣言」など、窓の外に見えるロバを眺めつつ、結構本気で妄想してたんですよ、私は。だってバスの中って暇なんだもの。

2)ピラミッド周辺の話
スフィンクスがケンタッキーフライドチキンを眺めているというのは既に有名な話。最近ではケンタッキーの下(上だったかも)にピザハットまで出来てしまいました。その次に眺めるのはマクドナルドかバーガーキングか・・・ピザハットの店内からスフィンクスと目を合わせるというのもなかなかオツなものかもしれませんが、エジプトにきてまでピザを食べる気にもなりませんよね。

で、肝心のピラミッドの中はかなり蒸し暑い。今回はクフ王のピラミッドの中へ入りましたが、行きは上りの上、天井も幅も狭く、人とすれ違うのも困難なほど。王の玄室も、想像では石の部屋=ひんやりでしたが、違ったね。ユルい岩盤浴をしている感じでした。多分、ダイエッターならば誰しもあの場で考えたでしょうが、王の玄室でエアロビなりヨガなりすれば、ピラミッド効果(後は、石のミネラル分とか?3千年の間にイロイロ飛んで無くなってそうですが・・・)もあり、かなり痩せそう・・・欧米人ならば時々神殿の奥で瞑想してたりしてましたが、タダでさえ日本人観光客が多いところで日本人がヨガをするのは難しいと思います。因みに暑さと坂道にやられ、途中でギブアップをする人もいます。いくら観光名所と言えど、エジプトは若いうちに行っていた方がいいと実感しました。

3)エジプトへの旅のプラン
一年の中では冬にいくのが最も日本では一般的の様です。確かに、夏(エジプト人にしてみれば、まだまだらしいですが。Aさん談)の砂漠は色々キツい。でもそれよりも私は、「エジプトへは人生の早い段階で行くべし」と言いたい。私のツアー以外にも沢山の団体客がいましたが、比較的お年の方が多いんですよね・・・私ならあの暑さに50歳過ぎて耐えれるとは思えないんだけど、ホント、皆さんよーやります。しかもエジプトの場合は暑さだけではなく、水や生野菜の問題もあり、体調を崩される人も多かったので、若いうちに行った方がいいと思うよ。私は水も野菜も大丈夫でしたが・・・料理は基本的に塩辛く、デザートは甘かったです。美味しかったけどね。エジプト人は甘いものが好きらしいので糖尿病が多いとの事でしたが、心臓病も多そうだよなと密かに考えてました。で、飲み水はミネラルウォーター。多分一日1〜2ℓくらい必要なので、それを抱えて歩くという点でもやっぱり体力勝負な部分があるのでは・・・?

因みにお勧めの格好は長袖長ズボンです。別に毛皮を着る訳じゃないんだし、長袖半袖の差はあんまりありません。エジプト人女性は宗教的な理由から長袖を着ている訳だけど、彼女達に出来て、なぜ我々が長袖を着れないというのか!ホント、袖に一枚布が被さろうと無かろうと、暑いことは変わらんので、日焼け防止のためにも長袖はお勧め。そもそも「郷に入ったら郷に従え」っていうし、そういった面でもポイントは高い。肌見せはホテルのディナーの際に頑張りましょう。ついでにいうと、日傘は日本人観光客しか使っていないです。傘は持ち運びがちょいと面倒くさいかと・・・帽子もいいけど、安く買える白のスカーフ(木綿。白なのは白が一番太陽光を反射するから)を一枚持っておくとイロイロ便利かもしれません。私が発見したスカーフの利点は「顔をスカーフで巻いておくと(サングラスをしている関係で)、一発で日本人とは判らない場合がある=お土産屋さんの攻撃をかわせるときもある」でした。最終的にはマレーシア人に間違えられたぞ、私は・・・欧米人観光客はスカーフ利用率が高いように思えます。どうせ1000円もしない白スカーフ、汚れて洗っても瞬間で乾きますし、旅の早めの段階で手に入れる事をオススメします。

ついでの情報。Aさん曰く、エジプトへの観光客はロシア人が一番多いそうです。ロシア人、エジプトの暑さで溶けてそうですけどねぇ・・・私が行ったこの時期はスペイン人が多いらしいです、というか実際多かった。おかげで人間観察が面白かったです。私と私の母に「不肖の息子」「所在なさそうな息子」「マザコン」と勝手にあだ名を付けられたスペイン人(勿論、同じ人物を指してます)がいたんだよ。彼の観察はかなり楽しかった・・・アスワンでスペイン人グループと別れた後、カイロのホテルで偶然彼らに遭遇したときの私のテンションは凄まじいものでした。「ハハ!母!!息子がっ・・・不肖の息子がいるっっ!!!」みたいな。

アジアからならばダントツ日本からが多いそうですが、最近は中国人も増えているみたい。どっかの神殿で中国人相手に中国語でガイドしているエジプト人女性ガイドがいらっしゃいました。綺麗だったし、カッコ良かったです。因みにAさんは日本語が凄く上手です。アラビア語、英語、日本語、そしてフランス語(←あんまり使わないので、忘れかけているらしい)を喋れるって言ってましたけど、やっぱりその辺が観光大国のガイドたる所以でしょうか。今度は中国語を勉強したらいいと思うよ、Aさん。

4)エジプト人の気質
正直言って、かなりお茶目が多いんじゃないかと思います。今回のツアーでは私が一番年齢的に若かった(そして唯一の独り身だった。添乗員さんは例外として。)こともあり、かなりエジプト人にはからかわれたぞ・・・「可愛い」とか褒めてくれるので、最初こそは人生に3度あるというモテ期が3つとも一遍に来たのかもしれないと勘違いしましたが、「どうも単に遊ばれているだけだ」と気が付くまでに、そう時間はかからなかったよ。食べてる途中の食器を下げようとするわ、所謂「呼んでみただけ〜」をやられるわ、最後の方は「茶目っ気」というより「ウザイ」に近い状態だった気がします。ま、それでもチヤホヤされた事に変わりはないので、ちょっとだけ勘違いしてみたい人にはお勧めかもしれません。別に若くなくても女じゃなくっても、からかわれる人はからかわれてます。兎も角、エジプトで「チヤホヤされ慣れる」空気を身につけて日本でも応用すれば、きっと・・・っと思わんでも無いのですが、すでにそんな空気は四散しちゃったみたい。ちぇっ。

因みに、どうでもいいのですが、エジプト人(男)は細腰が多い気がする。もう、「遊戯王」の海馬瀬人並みの細さ。あちこちで現地の人をみる度に「細っせーな」と思っておりました。もっとどうでもいいですが、かの有名なハン・ハリーリ市場、ガーマ・ホセイン向かいの木陰のカフェにはなかなかイケメンな人が働いてますぜ。彼がAさんの知り合いか友達かは知りませんが、そこで彼ら(Aさんとイケメン。こう書くとAさんはイケメンでないように思われる方もいらっしゃるでしょうが、Aさんも男前でしたよ。ただ知人の方が、線が濃くて細い感じ。)の指導のもと、水たばこにチャレンジしてみたんです。普通のタバコよりはあんまりタバコっぽくないですけど、やっぱりタバコでした。そこのマンゴージュースも、とっても美味しかったです。

ホルス神殿ではエジプト風の格好をしたカッコいい西洋人を半ストーカーしてみたり、前出の「不肖の息子」を観察してみたり、ホント、何しにエジプトまで行ったんでしょうね、私は・・・!半分くらいの時間はイケメンウォッチャーしてた気がするよ。逆に、エジプト人の9割はイスラム教であるせいか、女性が観光客相手に働いている姿はあんまりみる事が出来なかったので、今回はあんまり女性対象の人間観察は出来ませんでした。残念。イケメンも目の保養になりますが、美人も目の保養には欠かせませんものね。まぁ、みた限り、女性現地ガイドは大抵超美人。それだけでも、満足すべきか・・・

5)(お待ちかね?)エジプトの軍事情勢
今回はあくまで古代文明の遺跡を巡るのがツアーの趣旨だったので、残念ながら軍事博物館には足を運ぶ事ができなかったんです。Aさんに聞いたところ、かなり大きいらしい。いいなぁ、行ってみたかったなぁ・・・金正日のスペシャルコーナーがあるってガイドブックに書いてあったしなぁ・・・ま、博物館は駄目でしたが、それでもスーダン、イスラエルなどに挟まれているエジプトにおいて軍は大変重要なものですから、街のアチコチで軍関係の施設を発見する事が出来ました。(ん?隣国との関係が大変なのは日本も一緒じゃん。)

まず、Aさんからの情報。エジプトでは徴兵制が敷かれているけれども、勤務期間は学歴によって違うらしい。例えば大学。アメリカのように、一度軍に入ってからお金を政府から貰って大学へいくのではなく、大学を卒業してから1年間軍に入るという形式みたい・・・普通は2年だったかな?そして、徴兵制といっても二重国籍、ハーフの人間は軍機密の関係で軍役は免除されるとのこと。もちろん、身体能力の基準もあります。

軍人さんならばタダのバス、病院、鉄道、サロンが存在する事は多分世界共通だからいいとして、一般の人も軍関係の施設(サロン)で結婚式を挙げる事が出来るらしいです。勿論お金を取られるので、この「軍の施設で結婚式」というのはあくまで、お金持ちにしか選ぶことが出来ないチョイスな訳ですが・・・最近人気らしいよ。軍としてもお金が落ちてくるし、嬉しいみたい。ホテル経営しているという某解放軍のようではないか!

で、主な軍の展開先はエジプトの東側、イスラエル寄りだそうです。ま、これは辺り前か・・・個人的には陸海空のどの軍が一番人気なのか聞きたかったんだけれども、チャンスを逃しました。町中を観光バスで走っていても、結構普通に戦闘機とか飾ってあったりしましたよ。空港側でしょ、空港内でしょ、後「中東戦争記念館」みたいなところにも・・・こういうのには目敏い私。ほんと、何しにエジプトまで行ったんだか。

6)エジプトの警察
ルクソール事件以降、エジプト政府は観光客を守るためにあっちこっちへ警察官を配備してんですが、大変そうでした。神殿横の小高い丘の上に一人ポツネンと座る警官の姿は、それは侘しいものだったんだぞ。兎も角、エジプトのツーリストポリスは大変です。コンボイ(観光バスの団体)を守るために先導し、暑い砂の中に座り観光客を見守り、メジャーな道路では検問し、鉄道も守るという・・・正直、ロバの次に感銘を受けましたよ、私。(ごめん、ロバは本当に可哀想だと思ったんだ・・・)

日本人としてビックリするのはそんな彼らがよくAK47を持っている事。AK47(カラシニコフ。このブログの読者は既にご存知でしょう。)なんて警察官が持つ銃じゃない気がすると思ったのは、やっぱり私が日本人だからですかね。更に、時々私服の人がAK47を抱えていたりして、これにもビビったんですが、Aさん曰く、彼らも警察官とのこと。判り難いから制服を着てくれよぅ。エジプトでは銃の所持は禁止されてるそうです。でも、時々不法所持してる人がいるらしい。そして、そんな場合、口喧嘩の最中に発砲しちゃったりするケースが前にはあったらしい。「今はダイジョーブ( ‘ ∀ `)b」ってAさんが言ってたから、私、信じるね。後、AK47以外にもM16の銃身を短くしたような銃を持ってる人もいました。wikiでざっと調べてみたけど、結局あの銃がなんだったのかは謎です。

後、これまた「何を見とるんじゃい」と怒られそうなのですが、エジプト人のベレー帽の似合う事!!「中東、北アフリカ+ベレー帽」とくれば、イラクのフセインか、リビアのカダフィ辺りを思い出す人が多いでしょうが、あんな中年のおっちゃんでもベレー帽があれだけサマになってんですよ。若くて、顔の良い人はそりゃあ、もう・・・眼福でした。ありがとう。チップを要求されるとはいえ、一枚くらい一緒に写真を撮ってもらえば良かったかもしれない。

7)モハメッド=ムハンマド
単に方言の違いらしい。何となく気になってたから聞いてみたら、やっぱり同じ名前とのこと。(エカチェリーナ=カトリーヌみたいな感じ)

8)エジプトの神様
アメン・ラー神、オシリス神、イシス神など、「遊戯王」を知っている人にはなじみのある名前ばかり出てくる古代エジプトの神々。他の多神教の神々と同じように、合体&分離を繰り返しているため、壁画のレリーフなども誰が誰だかちょっとした違いで見分ける必要があり、非常に判り難い気がします。顔が同じでも冠の形が違うと別の神様になっちゃうんですって。そんなレリーフを眺める我々には、キャラの描き分けが出来ていない漫画家の漫画で、例えばペンダントや制服の着こなし方でキャラを判別するときのような、細かい観察力が求められているのかもしれません。そんなの、ム・リ・ダッ!!どちらにしろ、ヒエログリフが読めないと誰が誰だか最終判断は出来ないそうで、こっちからすると「もう嫌になっちゃうわね!」という心境になるのですよ。一応、カイロ博物館でビギナー向けのヒエログリフの読み方教本を買ってみたので、ちょっと勉強してみようかと思います。

ついでに、「遊戯王」といえば古代エジプト神話のホルス神vsセト神のストーリに加え、絶対ツタンカーメンの逸話もモチーフになっているよね・・・どこの神殿かは忘れましたが、ツタンカーメンだけファラオ一覧のレリーフにその名が刻まれていないんですって。今ではあんなに人気者となったのに。因みにセト神は時々カバで表されるらしく、実際に小さなカバ(セト神)がホルス神に殺されているリリーフを見たときは、海馬瀬人を思い出し、失笑を止める事ができませんでした。今でも、笑えるよ。海馬が河馬(カバ)!シャレで名付けたのかしら?

9)イスラム教
何度も書いた通り、エジプトはイスラム教の国。90%がイスラム教徒で10%がコプト教(キリスト教)だそうです。今ではこの2グループの間の中はそこまでは悪くないとか・・・ユダヤ教徒も100人くらいいるんですって。さて、質問魔と化した私と母はAさんにアレコレ聞きまくったのですが(なんせ、初めて実際に会ったイスラム教徒だから)、全部書くとキリがないので、抜粋のみ。

・女性がベールを付け始めるのは大体第2次成長期の頃から。Aさん曰く「15歳くらい?」だそうです。ハッキリとは決まっていないみたいね。

・イスラム教徒の男性は4人まで奥さんを持てる事は周知の事実ですが、なんせ全ての奥さんに対して平等に接しなくてはいけないので(例えば、「一人の奥さんにプレゼントしたら、他の奥さんにも同じものをあげなくては行けない」「一人の奥さんの元へ夜通ったら、次の日は別の奥さんの元へ」など)、エジプトでは殆どの男性が一人の奥さんだけを持っているとのこと。奥さんの方が数人の夫を持つ可能性については(一体、どうしてそんな方向へ話が進んだのか忘れちゃったけど)、Aさん曰く「まぁ大体、男の人は何人も奥さん欲しいけど、女の人は何人も旦那さんいらないでしょ。(←生物学的にってことらしい。)これは日本もエジプトも一緒でーす。」だとさ。そんな、ミもフタもない・・・

・エジプトにもお見合いはある。「男性は30過ぎ、女性は28歳」これが都会の結婚事情だそうです。経済的な理由も大きいらしいけどね。

・エジプトでは公共の場でキス、ハグ、そしてそれ以上の事をすると警察に捕まって罰金を取られるらしいです。手を繋ぐ、一緒に歩く位までならOKらしい。大学の授業で「honor killing(中東などで、女性が親兄弟以外の男性と歩いていたりすると、すわ「結婚前なのに非処女(←あくまで疑惑)=一族の恥」と殺されてしまう事)」について勉強したのですが、エジプトではそこまでは厳しくないのね。

・家計のお財布は妻が握っている事が多い。「エジプトも日本と一緒で、女の人強くなってきてます・・・」だそうです。そんなAさんはまだ独身。今からそんなに悲愴的でどーすんのさ。

・ラマダン(断食)は小さいときから体を慣らしているので、ちっとも平気らしい。そういうものなのだろうか・・・?

最後に、「日本人のイスラム教徒に対する印象はどうか?」と逆にAさんのほうから聞かれたのですが、「例えば、反イスラム教的な本の日本人翻訳者が殺された時や、9.11の際には多少悪いイメージが付いたが、基本的にはみんな無関心」「しかし、それ故にイスラム=テロと単純に結びつける人がいるかも知れない」と答えたんですが、これで合ってますよね?

こんな感じです。一応弁明しておきますけど、ちゃんと見るものは見てますよ。写真も沢山撮ったもの・・・!取り敢えず、日焼けせずに1キロ減量して帰って来れたという点だけでも今回のエジプト旅行は評価に値すると思うのです。あえていうならば、勉強不足のためいまいち歴史を判っていない&時間が無くってカイロ博物館をしっかり見る事が出来なかったというのが次の機会への教訓でしょうか。また4〜5年後くらいに行けたらいいなぁ。そのときは多少のヒエログリフとアラビア語がわかっている事と信じて、皆様、マァ・サラーマ!!

■追記
忘れてた。紅茶派の私には与り知らぬことですが、エジプトのコーヒーは薄い!とハハが申しておりました。Aさんによると大抵のエジプト人は紅茶派らしいです。