遡る系歴史本

「遡る系歴史本」といっても歴史本は基本遡る系なので、妙なタイトルだけれども、ここ数年「何かをキーにして何にもわからないところから、あっちこっち出向いて調査していく」系のナチ絡みの本をよく読んだ気がするのでまとめておく。「何かをキーにして何にもわからないところから調査していく系」って、それも歴史本の宿命では…とも思うが、要は私の中で「これらはひとまとまり!」って本です。因みに人に勧めるとしたら一番上と一番下の本かな。間の2冊は被害者側、加害者側、それぞれ重く受け止めるべきことではあるが、少々(それぞれ違う理由で)読みにくかった。


この本はそこまであちこち歩いていなかったかもしれない。また、他の3冊は遡るきっかけというか、調査の対象というか、本の主題が自分の家族や特定人物であるのに対して、この本は本全般についてなので、ちょっと毛色が違うかも。でも本をキーにして遡っていくナチ絡みの本なので、リストに入れておく。読書当時の感想はこちら

きっかけ(つまり出だしの部分)がどうしても思い出せないのだが、こちらはナチに殺されたユダヤ人の家族による過去遡り系。この本を手に取ったのはその前に読んだ、東大だったかの歴史学の先生が集まって歴史の学び方をまとめた本で紹介されていたからだった。今回リストアップしている本の中では一番難しく感じたのは、語り口故だろうか。

こちらは加害者側の視点での遡り系。ただ肝心の謎部分が解かれないままに終わった記憶。筆者と精神分析医との会話など示唆は多いんだろうけど、どうも話があっちこっちに飛んでしまって、スッキリしない印象。Amazonのレビューみて思い出した。そうだ、ソ連の捕虜になったおじいさんの話にもページが結構割かれていた!このズバリと家族による犯罪の可能性に切り込んでいかない姿勢は、加害者側だからなのかもしれない。どうしても「自分達一族もある意味被害者だった」というストーリーを入れずにはいられない…という、心理?流石に深読みしすぎかな。

実はまだ読んでいる最中。今ちょうど半分くらいだが、調査のきっかけとしては一番偶然なのかもしれない。語り口も読みやすい。基本はアームチェアの中から発見されたSS将校のドイツ人の歴史を紐解いていくストーリーなのだが、戦後ドイツにおける歴史との向き合い方についても言及されていて、その部分が個人的には新鮮だった。筆者はイギリス系ユダヤ人ということで、歴史に思うことはあるが、アームチェアの持ち主とは個人的な因縁はない(はず)。なので、諸々のバランスがちょうど良く感じるのかも。(追記:読み進めていると、個人的因縁ありました。ヨーロッパ狭い。)

徒然日記

今日はブログ休もうかと思ったが、1月も終わってないのにそれもどうだろうと思うので、頑張る。とりあえず風呂の中の読書が昨日から「動物のお医者さん」になるレベルで疲れてきた。

ブログを毎日、というのは流石に無謀だったかと反省中。内容がないことをダラダラ続けてもしょうがないしなぁ。やっぱり1冊読んだ単位とか、しっかり書けそうな時に書いた方が良いだろうか。うーん。まぁ、ここは私のブログなんだから、好きにやろう…明日こそ、書く気力と体力を!神様、お願い!

読書の体力

 

相変わらず、アレがコレで、それゆえにとても疲れているような気がするのだが、そんな中、読み始めたのが上の本。本文543ページ、索引・注・参考文献が153ページ。物理的な意味でも体力がいる本を、よりによって選んでしまった。机の上と寝ながら読んでいるのだが、ベッドの中では支えきれないので、IKEAのサメの上に置いて読んでいる。これなら寝落ちしても顔の上には落ちてこない。ちなみに、これでも2段組じゃないから同じイアン・カーショの「ヒトラー傲慢」よりはマシである。後編の天罰の方は1100ページ超えているし。 [1]そのボリュームにビビって、天罰の方はまだ読めていない。

とにかく早くにあれがああなればいいのだが。できることを頑張ろう。

References

References
1 そのボリュームにビビって、天罰の方はまだ読めていない。

(無題:3度あることは勿論4度ある)

私はもう、生きているだけ偉いのではないか?偉いのだ。偉いに違いない。偉いに決まっている。

議会制統治がうまく機能していないように見えるとき、政治を包み込む全体性としての文化の理念に、人は回帰しがちである。そのような環境下では、現実世界の圧力が文学的想像力に重くのしかかり、芸術的想像力が抑えられて、政治の証しへと変形されるが、それを気にする人はいなくなる。生活の全局面の政治化としてしばしば非難されることこそ、現実には歴史の底流なのである。そこでは常に、多元主義、つまり政治を生活のほかの局面から切り離すことが非難されてきた。この政治と生活の切り離しを象徴する代議制統治が破綻の危機にあるとき、人々は再び、完全に整えられた安息の地を望む。そこでは、美しく喜びを与えるものと、実用的なもの、必要なものとは分かたれるべきではないとされている。どれほど真の人間性から外れていたとしても、「新しい政治」はそうした安息の地をもたらしてきたのである。

「大衆の国民化」P350-351

「新しい●●」

今日も例によってアレがコレで、それ故にとうとう「気になった部分を引用する」という奥の手さえ使えないほどに読書も進まず、書くことに窮してしまった。それじゃ、そういう状況についてのtogetterのまとめがあったはず、それについてちょっと語ってみようじゃない、とも考えたのだが、自分は忙しいからこそなんとしてでも本を読むヤケクソタイプで、YouTubeもあんまり見ないし、とこれまた書くことがない。しょうがないので、最近の考えを繰り返します。

もうそろそろ読み終わる「大衆の国民化」ではドイツの19世紀以降、祭祀とともに発展した「新しい政治」がキーワードだった。そして、今の世はパンデミックに伴い「新しい生活習慣」がキーワードになっている。この二つは全然違うように思えるし、事実全然違うのだろうが、どこか似通っている気がする。このまま気を抜くと危ないのではないか?というのが、ここ数年の私の頭の中にあるのだ。衛生問題は「人の行く場所、触るもの、身につけるもの、会う人、食べ方、喋り方」を規制する。もちろん規制しなきゃ感染が広がっていくのだから、やることはやらなきゃいけない。が、どこまで意識的に干渉を許すのか?如何に自覚的にいられるか?かといって逆にマスクやワクチンで社会が分断しても、それはそれでよろしくないわけで、本当に線引きが難しいと思う。


とここまで書いて、思考が途切れてしまった。やっぱり忙しいと、体力気力が足りなくなってくるな。今日こそ「大衆の国民化」を読み終わって、イアン・カーショに移ります。ベッドの中で寝落ちして顔に落としたら、歯が折れそうな本だけど…

(無題:2度あることは3度ある)

例によって、引用。「国民の大衆化」より。

神話とシンボルの伝統的世界は、よほど慎重に構えなくては操作できるものではない。なぜなら、その世界とは人々が自らの生活世界を客観化する慣習を意味しているからである。神話は永遠であり健全かつ道徳的な宇宙を象徴せねばならないのである。

P319

この時間なので今日というか明日というかという感じだが、まぁ、後1日あればこの本も読み終わるだろう。その次は後ろ向きな理由でイアン・カーショの本を読もうと思う。今日はついさっき、がんばってラジオドイツ語講座を聴いただけ、私はもうサイコーに偉いんである。という訳でおやすみなさい。

徒然日記

仕事の方が控えめにいって地獄なので、今週はあまり本を読めていないし、ドイツ語は全く勉強できていないし、顔文字をあえて使うなら🥺っいう感じになっている。しかも、どうもfirefoxの調子が悪いのだ。別に開いてますってアラート出るけど、そんな事ないよ?みたいな感じで、何度もPC再起動したりして、いい加減嫌になったので、Google Chromeへ乗り換えた。ついでに貯まっていたブックマーク [1]将来作ってみようとか思ってたレシピとかね。3年くらい見てないものもあるのでは?も整理。スッキリして満足です。サイドバーから、ブラウザの上の方にブックマークが変わるのが、まだちょっと慣れないですが。

それから以下、「モモ」より日本語を読んでいいなと思った部分。日本語で読んだのはまだ前半部分のみで、最初の方は子供のごっこ遊びの話だったり [2]ドイツ語で読んでる時は「なんでいきなり船?」と思っていた。、登場人物の作った物語だったり [3]モモが実は王女?とか思ってた。、わりと話の内容がとんでいるので、「ドイツ語で読んだ時は、おおよそなにを言っているかは掴めているが、文脈は全然掴めていなかった」というのがよくわかった。後半はもう少しマシな理解だと思う。そう祈ってる。

けれど時間とは、生きるということ、そのものなのです。そして人のいのちは心を住みかとしているのです。

人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそっていくのです。

Aber Zeit ist Leben. Und das Leben wohnt im Herzen.

Und je mehr die Menschen daran sparten, desto weniger hatten sie.

ベッポの考えでは、世のなかの不幸というものはすべて、みんながやたらとうそをつくということから生まれている、それもわざとついたうそばかりではない、せっかちすぎたり、正しくものをみきわめずにうっかり口にしたりするうそのせいなのだ、というのです。

Denn nach seiner Meinung lam alles Unglück der Welt von den vielen Lügen, den absichtlichen, aber auch den unabsichtlichen, die nur aus Eile oder Ungenauigkeit entstehen.

新型コロナの感染拡大が続いている。感染対策はしっかりとった上で、買い物(本屋ばっかりになるけど)、旅行(温泉ばっかりだけど)、など経済活動をしていきたいと思う。まずは本を読む時間を確保するぞ!

References

References
1 将来作ってみようとか思ってたレシピとかね。3年くらい見てないものもあるのでは?
2 ドイツ語で読んでる時は「なんでいきなり船?」と思っていた。
3 モモが実は王女?とか思ってた。

(無題:本日も再び)

仕事が終わらない。本は1ページも読んでないし、今週ラジオドイツ語講座を1つも聞けていない。というわけで、今日はもう一言。

Dort wo man Bücher verbrennt, verbrennt man auch am Ende Menschen.

(無題)

今日は仕事に追われて、なんも書く気力がないので、「大衆の国民化」から気になったところの引用でおしまい!

議会主義体制の内で真の国民的祭祀を創出することが困難なことはわかっていた。なぜなら、そこには壮麗な威儀や指導者の英雄的ポーズさえも欠けていたからである。共和国は、議会で討論される利害対立を通じて調整される合意の上に立脚していた。このため、明確な方向づけを欠いた退屈な後継が現出したのみならず、目的意識をもたらす強力な指導力も封じられていた。加えて、雑多な利益集団の好き勝手な活動が、国民の一体感を妨げた。こうした一体感があれば、国家が「新しい政治」に不可欠な祭祀儀式を主催できたかもしれない。だが、革新的な共和主義者は安定をもたらす理性的討論があるとしんじたので、そもそも「新しい政治」にまったく共感しなかった。それでもなお、共和主義者でさえも自分たちの国家に新たな活力を与えるためには公的儀礼が必要であると認めることは時折あった。

P205

像とかモニュメントとか

黙々と「大衆の国民化」を読んでいる。ちょうど今半分くらいまで進んだところ。気になった部分を書き出してみると以下の通り。

「語りかける建築」は、美しいもの、聖なるものの理想を直裁に明白な手法で象徴した。そうした実用主義は民衆にも容易に理解できたので、国民的祭儀の発展にとっては重要だった。

P94

揺るぎない記念碑は、多数の民衆の動き、歌、ダンスで取り囲まれることになっていた。しかしそれは「聖なる空間」に限られており、記念碑そのものの基本構造には及ばなかった。けれども十九世紀末になると、国民的記念碑そのものを、その構造自体のいて運動表現と融合する試みがなされた。

P116

人間の徳性を強めるという目的において、こうした革命祭典はキリスト教の典礼とさほど大差のない公的祭祀であった。だが、ここでいう徳性とは、古代の言葉で定義された祖国への愛情であった。その祖国愛は民衆自身の内に本来備わっているだろう徳性のシンボルを介して活性化する。祝祭は日常生活の孤独から人間を救い上げる特別な機会になるはずで、また規則的に繰り返されることにもなっていた。こうして聖なる日が規則的にめぐり来ることで、「キリスト教暦」と並ぶ秩序感がもたらされた。公的祝祭はただ群衆の熱狂を煽るのみではなく、普段の祭儀を利用して熱狂を創り出すようにも構想されていた。

P134-135

今まで読んだところを、ものすごく雑に要約すると、ナチス以前から、ドイツにおいては記念碑+その周りの環境(森、柏など)+体操、合唱などの運動がセットになって愛国というか、「ギリシャとゲルマンの伝統」への再帰が目論まれた。それが徐々に変容していって…ということになるのかな。

ここでふと思ったのだが、我が日本ではそういう記念碑ってあるのだろうか?唯一思いついたのが宮崎の平和の塔だが、それ以外にあまり思いつかない。「(大きめな)記念碑を建ててその周りに人が多く集まって何かする」という風習は宗教施設じゃない限り、あんまりないのでは?原爆の碑とかかな。しかし、あれはコンセプト的にドイツで戦前作られたものと真逆なような。

反対に、シンボリックな運動の舞台となった場所はどこかしらと考えてみたが、これまた唯一頭に浮かんだのが学徒出陣壮行会で、こちらは明治神宮外苑競技場が舞台。記念碑というよりはズバリ競技場、みんなでなにかするための運動場である。武道館などもこっちの系統。

良く考えたら中で一緒に祈る場がある教会と、基本は外でお参りする神社で大分違いがあるし、お寺は確かに大きな講堂とかあるけど、あれは一般信徒向けではない?だろうし。日本が特殊なのか、東洋全体がそうなのかわからないけれど、その違いが中々面白いと思う。実際に小さな記念碑(石碑とか)は日本のあちこちに溢れているわけだし、大きめの記念碑があんまりない(ように思える)のはなぜなのか、気になるところ。

そういえば、記念碑でふっと思い出したのだが、ロシア旅行をしている時は、もう本当にあっちこっちに、それこそ街から出ていく道路の横に突然!レベルで、第二次世界大戦での戦いのレリーフを見つけたのだった。おそらく「ここまでドイツ軍きたけど、勝ったぜ」とかそういう感じのだと思う。あっちこっちあるな〜、これ全部地図にピン留めしてったら面白いだろうな、と旅行中変なことを考えていた…という、かつての記録がしっかりあったので、こちらもどうぞ。

あぁ、誘惑のロシア旅行旅