諸々難しい問題について
戦略研究学会の機関誌が届いた。若手の投稿を!と以前お手紙まで頂いたんだが、いつ見ても難易度の高い掲載基準なんだな。研究職の人以外の投稿は非常に難しいと思う。でも、(学会員の多くはおじさんやおじいさんだと思うのでまぁ無理でしょうが、)「機関誌 戦略研究sisters」みたいなのがあれば投稿してみたい。エッセー風に軽ーく中国海軍について語る、そういう文章なら書けそうである。まぁ、私の文章は相当軽いんで、「sisters」でも掲載お断りされそうですけど・・・しかし、難しいことを難しくないように説明して、考えさせるというか、啓蒙するような文章を書くということを目指してみるのも、自分の方向性としてはありだと思ってます。その前に難しいことをちゃんと理解できるよう勉強しなくてはいけないんですけど。池上彰氏みたいなものかもしれないけれど、私の中のイメージはちょっと違う・・・ただわかりやすく解説するだけではなく、相手にちゃんと考えてもらえるような文章を書きたい。これが、最初の文字通り「難しい」話。次の話は数年考えてはいるが公にするのは如何なものかと考えて、黙っていた難しい話。でも、昨日書いた通り、本ブログでは誠実に書くと決めたので、書くことにしました。主題は妊娠とその後について。
さて、常々謎なのだが、世の中の妊婦さんは妊娠した時に「一体お腹の中にあるのは私の一部なのか?それとも別の存在なのか?」と悩んだりしないものなのでしょうか?今、職場にも妊婦さんがいるのですが、こんなことイキナリ訊くもんではないという自制心があるので、私の中で永遠の謎と化しています。一体いつから私だったものが私で無くなるのだろうか?卵子→私な気がする。受精卵→半分は私だし、私の中にいて私の養分吸っているから私な気がしなくもない。胎児→???私自身が胎児に「蹴るべし!」と命令して蹴ったり動いたりするわけじゃないんだから、私自身ではない?新生児→私から切り離されたから私ではないと思える。では、新生児は新生児自身の自我があるのか?・・・とこんな感じ。まぁ、生命倫理の問題「どこから【別個の】生命なのか?」ってことですね。「どこから生命なのか?」と問われれば、卵子も精子も細胞として活動しているんだし、最初からと答えられそうですが、 [1]もちろん、細胞としての活動の何を持って生命とするか?という問題もあります。一体どこから別の生命体なのか・・・?胎児がすでに違う生命体であるとしたら、自分の中に別の生き物を入れることに違和感を感じないのだろうか、怖くないのだろうか?と中学生みたいなところで私の考えは止まってしまっている。気にしすぎかしら?後、こういう考え(「自分の中にいるものは別個の存在なのか?」)は女特有の考え方なのかも謎。男性諸君はそういうことを考えることがあるんだろうか?
まぁ、それでも妊娠そのものはいいとして、出産後「母になる」というのはどうなのか?母性本能というのは絶対に出るのだろうか?「自分以外は血の繋がり関係なく全部他人」と思っている私でも?産んだからにはちゃんと育てるだろうけれど、子供が14歳になった頃「お母さんは私のことを好きじゃないんだ!」と言われるダメ母パターンになりそう・・・それとも、私が今の私そのものだと思っている私は、母になった瞬間になくなってしまい、私も子供命!な人間になるのだろうか?そしたら「この私」「この私の考えたこと、哲学」はどこへ行ってしまうのか?あぁ、難しい!・・・とまぁ、こんな感じです。多分、えいや!と妊娠して出産すれば、それなりになんとなく上手くいくもんなんでしょうけど。やっぱり考えすぎかしら? [2] … Continue reading
さらに話を飛躍させるならば、始まりが分からない個別の生命というのは、では、どこで終わるのか?何をもって「死」とするのか?個別の命というものは、そんなにも尊いものなのか?ならばなぜ、戦争その他諸々の方法で人は人を殺せるのだろうか?何が命を尊くさせているのか?・・・と続くわけで、こうなると人類の存在意義という超難しい話になってしまうのです。考えても考えても終わらない。まぁ、人間の理性を超越したことを考えること自体が不可能への挑戦ですけど。
ここまで書いて思ったのだが、こんなこと考えてしかも表明しちゃうから、私は結婚できないんだろうということ。(別にそういうつもりはないが)どう読んでも「妊娠したくない宣言」だものね、これ。「あぁ、これで結婚から1光年離れてしまった」なんて考えましたが、よくよく思い返せば「エジプト警察はAK47持ってたわ!本物を初めてみた!」とか「フランス旅行?行ってみたいところ?うーん、ビスケー湾のブンカーかな?」なんてこと、今まで何度も言ってたんですから、今更でした。一応人生の半分は過ぎているので、このまま変なこと考えながら生きていくのも良いかもしれない。というわけで、最後に私が結婚までたどり着くのは非常に「難しい」というお話でした。チャンチャン。