藤原行成と関寺の牛

藤原行成が好きなので、関寺の牛を見にいって「いない」というのが、なんともよろしいと思っているのです。で、この件について詳細が書かれていたのは、吉川弘文館の伝記だったはずと購入したら、それではなく、別の本だったのでメモ。(自分のTwitterから読書時期を確認→ブログの読んだ本リストから該当の本の目星をつける→図書館で再貸し出ししました。)

・万寿二年六月四日条

或る者が云うには、「関寺の牛は、すぐに埋葬した。また、その像を画いて堂中に懸けた。

その牛を見なかった公卿は、大納言行成、参議広業<病後の灸治。>・朝任<妻の産穢。>である」ということだ。

P208「平安貴族の夢分析」倉本一宏

この文章自体は「小右記」から。逢坂の関のそばにあった関寺が地震で倒壊後、復興工事に使役されている牛が迦葉仏の仮現という夢告があったと。そして、その牛は再建工事完了とともに入滅した…という話なのだけれども、末法思想の世にドンピシャな話だったらしく、道長はじめ多くの貴族が訪れたらしい。夢告自体、復興工事中の話題作り(かつ資金集め)だったのだろうと言われているけれど、見にいった貴族ではなく、見にいっていない貴族が少数派として日記でリストアップされるほどブームだったのに、行っていない行成。そして3人の中で唯一理由が書かれていない行成。1000年以上前の人ですし、知り合いでもなんでもないですが、らしいなぁ!とさらに好きになったエピソードでした。

 

なお、伝記の方は以下の通り、大変簡潔な説明でした。

五月十六日、有名な近江国関寺の霊牛(迦葉仏の化身という)を見に道長・頼通等が赴いた。庶民に至るまで多くの人がこの牛と結縁のために集ったという(『左経記』)。関寺はのちの世喜寺といい、額を行成が書いたと伝えている(『世喜寺中興縁起』)。

P251-252 「藤原行成」黒板伸夫

Leave a Reply