Archive for the ‘徒然日記’ Category.

近況報告

あれやこれやしているうちに前回の投稿から1年あいてしまった。インスタも投稿しなくなり、ほぼX(Twitter)だけで近況を呟いていたのだが、仕事周りでひと段落ついたので、こちらも再開しようと思う。

最初に書いた「あれやこれや」なのだが、実は転職してから予定していた仕事(いわゆるジョブディスクリプションに書いてあった仕事)とは別に、データ分析のスキルも身につけようと、結構真面目に勉強してたのである。野村総研の「データサイエンティスト基本スキル84」という本を指針に、基本情報技術者試験→統計検定3級→統計検定2級→G検定→データサイエンティスト検定→統計検定準1級と資格をとってたのだ。 [1] … Continue reading

因みにXにはリアルタイムでブチ切れ投稿したが、当初統計検定は2級でおしまいの予定だった。バイブル(野村総研の本)も2級推しだったし。ただ、一発で合格したとはいえ、点が悪すぎた。3級は体調がそんなに良くない中受験して優秀成績賞を貰えたので、2級もいい線いくんじゃないかと妄想してたのである。なのに合格点ギリギリだったため、1)もう一度受験する→それで落ちたり、さらに悪い点取ったら目も当てられない、 2)我慢して受け入れる→受け入れられそうにない…と、数時間自分を罵りつつ、自分のプライドを満たす方法を探した結果、「準1級に合格する」ことしか自己救済できぬと結論を出し、予定になかった勉強をすることになったのだ。そして1回目の受験で見事に落ちた…が、あまりの見事な落ちっぷりに、この時はあまり凹まなかった。中央線快速のグリーン車 [2]当時はまだお試し期間で無料の2階の方に座って「バカだから高いところが好きなんだもーん」とか言いつつ、帰宅している。本当にバカである。

とはいえ、ここで終われないので2ヶ月後に再受験したところ、今回は無事合格でき、晴れて気分よくこの記事を書いているのである。なんなら2級のときより点が良かった。この辺の合格記みたいなのは改めて別記事にしようと思う。

とにかく、予定していた資格は全てとった!あとはひたすら経験を積むだけ!幸い業務に分析も入ってきているので、やっるぞ〜〜!という決意表明でした。

References

References
1 なお私は資格マニアというわけではない。単に自習において目標・マイルストーンとして便利で、何より受験費用は会社から出るから、「じゃあ、ここらでひとつ勉強しましょうか」というノリだった。
2 当時はまだお試し期間で無料

「○○さんだからできる」について、その2

 

7年前にも同じことをぼやいていたけれども、私は「○○さんだからできる」と言われるのが嫌いです。勿論、言われてもOKなシチュエーションというのはあって、例えば上司に言われるパターン。というより、これでおだてられて仕事を振られるパターン。それから、そこそこの信頼関係がある人たちに言われるパターン。こういうのは言われても嫌じゃない。むしろ自尊心をくすぐられるので、言われて嬉しい。もっと言って!ワタシ、モットガンバル!私が嫌いなのは発言者が自分を卑下していう場合です。

嫌う理由には2つあって、ひとつ目は「私が出来ることを自分(発言者)が出来ないことを良しとする理由にされているから」。いや、お前も努力しろよ、っていつも思ってしまいます。ふたつ目は「私自身の努力を無かったことにされているように感じるから」。ツールやシステムを使うときも、ただ単に使うだけではなく裏の仕組みを理解しようと努めたからだし、仕事内容や役割が変わる時はそれに関連する本を読んだり、他部署の人とも良好な関係を構築するように積極的に話かけたり…とか色々やってるんですよ、これでも。そういうの、全くやってないじゃん、君はさ?って言いたい。

勿論、当の本人はそんなつもりで言ったんじゃないだろうし、実は私の知らないところでものすごく努力しているのかもしれないし、私自身も言われても気にならない人と嫌だなと思う人の線引きが曖昧だったりしますが、兎に角、発言者によってはイライラするのが「○○さんだから出来る」というセリフ。こうやって理由を書くと、私は努力を尊ぶ人間のようですな。

徒然日記

今日はブログ休もうかと思ったが、1月も終わってないのにそれもどうだろうと思うので、頑張る。とりあえず風呂の中の読書が昨日から「動物のお医者さん」になるレベルで疲れてきた。

ブログを毎日、というのは流石に無謀だったかと反省中。内容がないことをダラダラ続けてもしょうがないしなぁ。やっぱり1冊読んだ単位とか、しっかり書けそうな時に書いた方が良いだろうか。うーん。まぁ、ここは私のブログなんだから、好きにやろう…明日こそ、書く気力と体力を!神様、お願い!

読書の体力

 

相変わらず、アレがコレで、それゆえにとても疲れているような気がするのだが、そんな中、読み始めたのが上の本。本文543ページ、索引・注・参考文献が153ページ。物理的な意味でも体力がいる本を、よりによって選んでしまった。机の上と寝ながら読んでいるのだが、ベッドの中では支えきれないので、IKEAのサメの上に置いて読んでいる。これなら寝落ちしても顔の上には落ちてこない。ちなみに、これでも2段組じゃないから同じイアン・カーショの「ヒトラー傲慢」よりはマシである。後編の天罰の方は1100ページ超えているし。 [1]そのボリュームにビビって、天罰の方はまだ読めていない。

とにかく早くにあれがああなればいいのだが。できることを頑張ろう。

References

References
1 そのボリュームにビビって、天罰の方はまだ読めていない。

(無題:3度あることは勿論4度ある)

私はもう、生きているだけ偉いのではないか?偉いのだ。偉いに違いない。偉いに決まっている。

議会制統治がうまく機能していないように見えるとき、政治を包み込む全体性としての文化の理念に、人は回帰しがちである。そのような環境下では、現実世界の圧力が文学的想像力に重くのしかかり、芸術的想像力が抑えられて、政治の証しへと変形されるが、それを気にする人はいなくなる。生活の全局面の政治化としてしばしば非難されることこそ、現実には歴史の底流なのである。そこでは常に、多元主義、つまり政治を生活のほかの局面から切り離すことが非難されてきた。この政治と生活の切り離しを象徴する代議制統治が破綻の危機にあるとき、人々は再び、完全に整えられた安息の地を望む。そこでは、美しく喜びを与えるものと、実用的なもの、必要なものとは分かたれるべきではないとされている。どれほど真の人間性から外れていたとしても、「新しい政治」はそうした安息の地をもたらしてきたのである。

「大衆の国民化」P350-351

「新しい●●」

今日も例によってアレがコレで、それ故にとうとう「気になった部分を引用する」という奥の手さえ使えないほどに読書も進まず、書くことに窮してしまった。それじゃ、そういう状況についてのtogetterのまとめがあったはず、それについてちょっと語ってみようじゃない、とも考えたのだが、自分は忙しいからこそなんとしてでも本を読むヤケクソタイプで、YouTubeもあんまり見ないし、とこれまた書くことがない。しょうがないので、最近の考えを繰り返します。

もうそろそろ読み終わる「大衆の国民化」ではドイツの19世紀以降、祭祀とともに発展した「新しい政治」がキーワードだった。そして、今の世はパンデミックに伴い「新しい生活習慣」がキーワードになっている。この二つは全然違うように思えるし、事実全然違うのだろうが、どこか似通っている気がする。このまま気を抜くと危ないのではないか?というのが、ここ数年の私の頭の中にあるのだ。衛生問題は「人の行く場所、触るもの、身につけるもの、会う人、食べ方、喋り方」を規制する。もちろん規制しなきゃ感染が広がっていくのだから、やることはやらなきゃいけない。が、どこまで意識的に干渉を許すのか?如何に自覚的にいられるか?かといって逆にマスクやワクチンで社会が分断しても、それはそれでよろしくないわけで、本当に線引きが難しいと思う。


とここまで書いて、思考が途切れてしまった。やっぱり忙しいと、体力気力が足りなくなってくるな。今日こそ「大衆の国民化」を読み終わって、イアン・カーショに移ります。ベッドの中で寝落ちして顔に落としたら、歯が折れそうな本だけど…

(無題:2度あることは3度ある)

例によって、引用。「国民の大衆化」より。

神話とシンボルの伝統的世界は、よほど慎重に構えなくては操作できるものではない。なぜなら、その世界とは人々が自らの生活世界を客観化する慣習を意味しているからである。神話は永遠であり健全かつ道徳的な宇宙を象徴せねばならないのである。

P319

この時間なので今日というか明日というかという感じだが、まぁ、後1日あればこの本も読み終わるだろう。その次は後ろ向きな理由でイアン・カーショの本を読もうと思う。今日はついさっき、がんばってラジオドイツ語講座を聴いただけ、私はもうサイコーに偉いんである。という訳でおやすみなさい。

徒然日記

仕事の方が控えめにいって地獄なので、今週はあまり本を読めていないし、ドイツ語は全く勉強できていないし、顔文字をあえて使うなら🥺っいう感じになっている。しかも、どうもfirefoxの調子が悪いのだ。別に開いてますってアラート出るけど、そんな事ないよ?みたいな感じで、何度もPC再起動したりして、いい加減嫌になったので、Google Chromeへ乗り換えた。ついでに貯まっていたブックマーク [1]将来作ってみようとか思ってたレシピとかね。3年くらい見てないものもあるのでは?も整理。スッキリして満足です。サイドバーから、ブラウザの上の方にブックマークが変わるのが、まだちょっと慣れないですが。

それから以下、「モモ」より日本語を読んでいいなと思った部分。日本語で読んだのはまだ前半部分のみで、最初の方は子供のごっこ遊びの話だったり [2]ドイツ語で読んでる時は「なんでいきなり船?」と思っていた。、登場人物の作った物語だったり [3]モモが実は王女?とか思ってた。、わりと話の内容がとんでいるので、「ドイツ語で読んだ時は、おおよそなにを言っているかは掴めているが、文脈は全然掴めていなかった」というのがよくわかった。後半はもう少しマシな理解だと思う。そう祈ってる。

けれど時間とは、生きるということ、そのものなのです。そして人のいのちは心を住みかとしているのです。

人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそっていくのです。

Aber Zeit ist Leben. Und das Leben wohnt im Herzen.

Und je mehr die Menschen daran sparten, desto weniger hatten sie.

ベッポの考えでは、世のなかの不幸というものはすべて、みんながやたらとうそをつくということから生まれている、それもわざとついたうそばかりではない、せっかちすぎたり、正しくものをみきわめずにうっかり口にしたりするうそのせいなのだ、というのです。

Denn nach seiner Meinung lam alles Unglück der Welt von den vielen Lügen, den absichtlichen, aber auch den unabsichtlichen, die nur aus Eile oder Ungenauigkeit entstehen.

新型コロナの感染拡大が続いている。感染対策はしっかりとった上で、買い物(本屋ばっかりになるけど)、旅行(温泉ばっかりだけど)、など経済活動をしていきたいと思う。まずは本を読む時間を確保するぞ!

References

References
1 将来作ってみようとか思ってたレシピとかね。3年くらい見てないものもあるのでは?
2 ドイツ語で読んでる時は「なんでいきなり船?」と思っていた。
3 モモが実は王女?とか思ってた。

(無題:本日も再び)

仕事が終わらない。本は1ページも読んでないし、今週ラジオドイツ語講座を1つも聞けていない。というわけで、今日はもう一言。

Dort wo man Bücher verbrennt, verbrennt man auch am Ende Menschen.

(無題)

今日は仕事に追われて、なんも書く気力がないので、「大衆の国民化」から気になったところの引用でおしまい!

議会主義体制の内で真の国民的祭祀を創出することが困難なことはわかっていた。なぜなら、そこには壮麗な威儀や指導者の英雄的ポーズさえも欠けていたからである。共和国は、議会で討論される利害対立を通じて調整される合意の上に立脚していた。このため、明確な方向づけを欠いた退屈な後継が現出したのみならず、目的意識をもたらす強力な指導力も封じられていた。加えて、雑多な利益集団の好き勝手な活動が、国民の一体感を妨げた。こうした一体感があれば、国家が「新しい政治」に不可欠な祭祀儀式を主催できたかもしれない。だが、革新的な共和主義者は安定をもたらす理性的討論があるとしんじたので、そもそも「新しい政治」にまったく共感しなかった。それでもなお、共和主義者でさえも自分たちの国家に新たな活力を与えるためには公的儀礼が必要であると認めることは時折あった。

P205