「新しい●●」

今日も例によってアレがコレで、それ故にとうとう「気になった部分を引用する」という奥の手さえ使えないほどに読書も進まず、書くことに窮してしまった。それじゃ、そういう状況についてのtogetterのまとめがあったはず、それについてちょっと語ってみようじゃない、とも考えたのだが、自分は忙しいからこそなんとしてでも本を読むヤケクソタイプで、YouTubeもあんまり見ないし、とこれまた書くことがない。しょうがないので、最近の考えを繰り返します。

もうそろそろ読み終わる「大衆の国民化」ではドイツの19世紀以降、祭祀とともに発展した「新しい政治」がキーワードだった。そして、今の世はパンデミックに伴い「新しい生活習慣」がキーワードになっている。この二つは全然違うように思えるし、事実全然違うのだろうが、どこか似通っている気がする。このまま気を抜くと危ないのではないか?というのが、ここ数年の私の頭の中にあるのだ。衛生問題は「人の行く場所、触るもの、身につけるもの、会う人、食べ方、喋り方」を規制する。もちろん規制しなきゃ感染が広がっていくのだから、やることはやらなきゃいけない。が、どこまで意識的に干渉を許すのか?如何に自覚的にいられるか?かといって逆にマスクやワクチンで社会が分断しても、それはそれでよろしくないわけで、本当に線引きが難しいと思う。


とここまで書いて、思考が途切れてしまった。やっぱり忙しいと、体力気力が足りなくなってくるな。今日こそ「大衆の国民化」を読み終わって、イアン・カーショに移ります。ベッドの中で寝落ちして顔に落としたら、歯が折れそうな本だけど…

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