(無題:3度あることは勿論4度ある)

私はもう、生きているだけ偉いのではないか?偉いのだ。偉いに違いない。偉いに決まっている。

議会制統治がうまく機能していないように見えるとき、政治を包み込む全体性としての文化の理念に、人は回帰しがちである。そのような環境下では、現実世界の圧力が文学的想像力に重くのしかかり、芸術的想像力が抑えられて、政治の証しへと変形されるが、それを気にする人はいなくなる。生活の全局面の政治化としてしばしば非難されることこそ、現実には歴史の底流なのである。そこでは常に、多元主義、つまり政治を生活のほかの局面から切り離すことが非難されてきた。この政治と生活の切り離しを象徴する代議制統治が破綻の危機にあるとき、人々は再び、完全に整えられた安息の地を望む。そこでは、美しく喜びを与えるものと、実用的なもの、必要なものとは分かたれるべきではないとされている。どれほど真の人間性から外れていたとしても、「新しい政治」はそうした安息の地をもたらしてきたのである。

「大衆の国民化」P350-351

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