(無題)

今日は仕事に追われて、なんも書く気力がないので、「大衆の国民化」から気になったところの引用でおしまい!

議会主義体制の内で真の国民的祭祀を創出することが困難なことはわかっていた。なぜなら、そこには壮麗な威儀や指導者の英雄的ポーズさえも欠けていたからである。共和国は、議会で討論される利害対立を通じて調整される合意の上に立脚していた。このため、明確な方向づけを欠いた退屈な後継が現出したのみならず、目的意識をもたらす強力な指導力も封じられていた。加えて、雑多な利益集団の好き勝手な活動が、国民の一体感を妨げた。こうした一体感があれば、国家が「新しい政治」に不可欠な祭祀儀式を主催できたかもしれない。だが、革新的な共和主義者は安定をもたらす理性的討論があるとしんじたので、そもそも「新しい政治」にまったく共感しなかった。それでもなお、共和主義者でさえも自分たちの国家に新たな活力を与えるためには公的儀礼が必要であると認めることは時折あった。

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