考えるということについて

 
相変わらず、池田晶子の本を読んでいる。これがなかなか面白い。というか、そもそもどうしてこんなに池田晶子にハマってしまったのでしょうね。自分なりに答えを求めてみたところ、やはり「うすらぼんやり私の頭の中にあったことを、明快に言葉にしているから」だとしか考えられない。「変なことを考えていてもいいのだよ。それが正しいのだよ」と自分のあり方を援護してくれるような本に出会ったのは、これが初めてなのだ。そりゃまぁ、ハマりますよね、どっぷりと。

とはいえ、私はまだまだ「考えること」については修行が足らぬ。池田晶子の本を読みながら「私は今まで考えてきたのだろうか?それとも悩んでいるだけなのだろうか?」と猛烈に不安になったのです。自分では考えているつもり。でも本当に?

例えば昨日のイスラム国に関する記事。私が本について何か書く場合、本の内容を解説するような文章を書くのは苦手である。なので、本をベースに今まで身につけた知識をこねくり回して、頭の中に浮かんだことを文章にしているのだが・・・さて、あれは「考えていたのか?」と、もし面と向かって尋ねられたら、私はきっと真顔でキョトンとし、その数秒後おもむろに右に視線をずらしてごまかすだろう。なぜだか、何かを思う時私は右側を見る癖があるのだ。個人的に人生で一番考えて文章にしたのが、学部の卒論なのだが、あれも本当に考えていたのか?・・・今思えば謎である。論文の構成にはものすごく気を使ったが、肝心の中身は、ぶっちゃけミアシャイマー教授の理論を現実に当てはめただけである。つまり、考えていなかったってことだ!ギャッ!

あんなに考えたつもりでもダメだったのである。このブログの記事なんてもっと考えずに書いている。私が池田晶子の門下生を名乗れるのはまだ先のようですね・・・無念。

 

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