「小さな倫理学入門」

 

薄い本です。100ページくらい。ただ、内容は難しい。この人の本は過去2冊読んだが、「いけるか?」と期待しつつ読んで、大体最初の10ページ目くらいで完全に返り討ちにあうイメージなのだ。全てはこちらの勉強不足ゆえ。また10年後くらいにあいまみえましょうぞ。

と、冗談を言っていてもしょうがない。(私は私なりに本気だが。)我がアンテナが反応したところだけご紹介。ちょっと引用長いです。

アリストテレスの倫理学は、等価性を基本としているのですが、それに還元されないものとして「友愛」ということをアリストテレスは述べています。友愛とは相手の善を考えることで、自分が損をするということは考えません。友人のために見返りを考えないで、尽くすということを考えてもよいでしょう。これは「役に立つ」かどうかということを基本としていません。

この世の中では「そんなことをして何の役に立つのか」といった疑問が非難がましく語られたりします。等価性の原理からすれば、たとえ損をしても得を取れ、ということがありましたが、友愛においては損のしっぱなしということもあります。しかしこういった友愛が倫理的行為において、等価性の原理、または帰結主義とは別個の基本原理となります。重要なのは結果ではないのです。(P72)

「友愛」の名のごとく、友情がその最もなるものだろうけれども(もしくは家族愛とか)、よくよく考えれば「電車の中で席を譲る」ことだって、全然得にはならないんである。せいぜい感謝されて気持ちがよくなるくらい。突き詰めて考えれば「善いことをした自分の状態が気持ち良い=得」なのかもしれないが、個人的にはそれに似て異なる「幸せそうな(嬉しそうな)相手を見ていてこちらが幸せになる」説を推したい。自分にとって短絡的な得になろうと無かろうと、自分のしたことで相手が幸せになるというのは、自分も幸せになるものなのだ。でも、相手に何かしら見返りを求めると、その時点で自分と相手との損得勘定が始まってしまい苦しくなる。とにかく無心で自覚なく善を行う、これが自己の幸せの秘訣だと思う。そうできる相手こそが真の友人なのだ。こっぱずかしい言い方をすれば「無上の愛」でしょうかね。

非日常性こそが規範性の起源であり、その非日常性を立ち上げるために、「血の沸騰」が契機として用いられたのです。「血の沸騰」こそ、復讐、戦争、テロを引き起こしていると思います。正義や徳といった、キレイゴトだけいうのではなく、「血の沸騰」を理解し、それをクールダウンする方法が、現代の論理学であるように思います。(P88)

この部分については純粋に「なるほど!」と思った。結局私はこの本を読みこなすにはアリストテレスの倫理学とロールズの正義論についての基礎がない。かといって、ロールズのあの分厚い本を借りる気にもならない・・・あぁ、困った。まぁ、いずれ読むしかないんだろうけれども。とりあえず、読んでいる本の中で紹介されていた松波信三郎の「死の思索」を買うことにしました。この本が紹介されているのが人生2度目だったので、きっとなんか縁があるんでしょうと思って。前は図書館で借りた。

 

 

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