徒然日記:世代のせいですか?&スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ

■世代のせいですか?

 脱ゆとり宣言に、ゆとり世代が怒りの声「私たちは失敗作ですか」

「自分はゆとり世代だから失敗作なのか?」と不貞腐れるということは、自分でも自身が失敗作という自覚があるのだろうか?ゆとり世代だったとしても、優秀であれば「自分はゆとり世代だが、誰が何と言おうと関係ない。自分は優秀だ。」と胸張って言うだろう。特定の時代に生まれた幸運・不運はあるだろうが、戦後日本のゆとり世代か否かの違いなど、十分努力で乗り越えられるものではないだろうか?どうせ時代のせいにするならば、1942年のスターリングラードに生まれた、とかそういうレベルで、ものをおっしゃい。

 

■スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ

  

「チェルノブイリの祈り」を読んだときは特に何も思わなかったが、「戦争は女の顔をしていない」を読んで、ハタと気がついた。ははぁ〜、今回のノーベル文学賞はスウェーデン・アカデミーなりの、プーチンへの嫌味だな?ノンフィクションでノーベル文学賞というのも珍しいし。念のため、調べてみたが案の定、アンチ・プーチンでいらっしゃった。ほら、やっぱり。

 「プーチン氏悪い方に変化」 ノーベル文学賞作家が批判

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とはいえ、アンチ・プーチンだろうが、プロ・プーチンだろうが、本の内容には関係ない。我々のよく知らない戦争のよく知らない一面を描き出している。女性兵といえば、自衛隊にもいるし、アメリカ軍にもロシア軍にも、今時どの国にもいるだろう。でも、70年近く前ではソ連ほど多くの女性が前線に立って、看護兵や通信兵はもちろん、高射砲兵や戦車兵、飛行士だった国はない。これも共産主義・社会主義国家の為せるワザかもしれない。が、やはり当時は当時でしかなく、前線から戻ってきたら「とてもじゃないが嫁にしたいと思えない」娘となる。男女の戦争観の違いは、戦争そのものにはないのかもしれない。

 

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