内在的論理について、再び

前略。 [1] … Continue reading

内在的論理の定義について、ググれどググれど明快な答えが出てこないので、ここでは簡単に「その人の中の内(心理・思考・哲学)の中にある論理」と勝手に決めてしまいます。その上でなぜ内在的論理を把握することが必要かって話なのですが、簡単にまとめてみると以下の通り。

自分の内在的論理を知ること。」ある局面において自分がどのように考えやすいかを把握できるようになるため、その局面を大局的に眺めることができる。つまり、自分を冷静に見る自分の立場を設定することができるようになる。自分の内在的論理を把握していなければ、その(自分の中で主流の)論理のみで、それを意識せずに状況を判断してしまうことになるわけです。もちろん、「自分を冷静に見る自分」も自分の中に存在しているものなので、それも内在的論理の一部に含まれてしまい、厳密に自分の内在的論理を把握しようとすると、その「傍観者」の自分の内在的論理も理解する必要が出てきます。が、実生活においては、自己に対して「自分以外の自分」の2つの立場を設定し、傍観者の自分については分析をしなくても十分でしょう。とにかく、物事は存在を認めることなしに、その存在を意識して区別することはできません。自分の思考回路のあり方を認めることが、自分の状況を把握する第一歩になるはず。よく「一歩引いて考えろ」なんていいますが、一歩引くためには自分を把握していなければならないわけです。自分自身を把握する、即ち自分の内在的論理を把握することに他なりません。

他人の内在的論理を知ること。」こちらは自己の内在的論理を知ることに比べて、よりわかりやすい。要は他人がどのように考えるかを把握することなので、なんにおいても最終的にお互いが満足するところに着地しやすくなるわけです。これは以前の記事にも書いた通り(以下引用)、ビジネスやら政治の世界にも応用できるわけです。というか、多分優秀なビジネスマン・政治家・インテリジェンスオフィサー・その他諸々皆やっているはず。

また、相手の内在的論理を理解して対応すると、相手の信頼を勝ち得やすい=仕事上大変役に立つ。これはインテリジェンスの世界では勿論ですが、普通の仕事でも同じ。最近読んだ、というか読まされたマネジメントの手法でも「従業員の今までの人生や入社動機を理解しよう」と言った事が書いてありましたし(まぁ、「出来ます♪」とか「ド・ラ・マなんですっ!」とかもっと阿呆っぽい文章でしたが…)、EQでも「共感力」という項目がありました。結局、ぶっちゃけると、人は自分のことを全部表に出さないくせに、自分の事を本当に理解してほしい、という非常に面倒くさい存在なので、その隙をつけば上手くたらし込めるという事になるんでしょう。たらし込めれば、こちらに対して信頼してくれるし、非常に仕事が進みやすい。

ただ、「内在的論理活用論」において、絶対に忘れてはいけないルールが一つ。それは「相手の内在的論理を変えようとすることは意味がない」ということ。例えば、「金曜日の夜はカレーに決まっている」という内在的論理の旦那さんに対して「いや、今週の金曜日はハンバーグだ」と奥さんが意見をぶつけても平行線でしかありません。そこで、「この人の中で金曜カレーよりも優先順位が高いものはあるのか?」と考える。そうすれば「この人は私の言うことは聞かないが、私たちの子供の希望を最優先する」という新たな内在的論理を発見し、「子供が金曜日にハンバーグを食べたいと言っていたのだ」となるわけです。・・・例えが低俗すぎて、有り難みが全くありませんが、宗教あたりに置き換えると、少々高尚な話題になるので、各々想像してみてください。

とにかく、相手の内在的論理を全否定してはならないわけです。実際はその人の人生論だったり、哲学だったり、宗教観だったりすることが殆どです。であれば、それはもう人生において立場設定ということになります。「自分の体は細胞の一片たりとも自分のものである。それに動くことも考えることもできない状態ならば心臓だけ動かしてもしょうがない。せめて人の役に立ちたいから、臓器提供しよう」と考えている人と、「臓器提供した体は見てられない。家族の心理的負担観点から臓器提供すべきでない」という人は、「脳死状態になった体の所有権は脳死した本人か家族か」という点で立場がまるきり違うわけです。こういうのは話しても無駄。必ず解決しなければならない問題でない限りは放置に限ります。 [2]具体的だって?ま、私がした会話ですよ。解決必須の場合は、なんとかお互いが妥協できる着地点を探すしかない。ビジネスでは簡単でしょうが、脳死問題などは、宗教や哲学の問題になるので、まぁ、まず無理でしょうね・・・我々は基本的に一つの社会の中で生きており、小は家族、大は民族の中でそれなりに似たような考え方を持っているため、「人は自分の倫理観・論理観と同じだろう」という風に考えてしまいます。「人を裏切るのはよろしくない」、「嘘はいけないこと」、そういったことも、我々の社会だから当たり前であり、それが当たり前ではない人がいるかもしれないことを決して忘れてはならないのです。自分の論理が絶対的に正しいという考えを捨て去ることが、他者への理解を深め、ひいてはビジネスでも国際関係でもより良い結果につながるのだと思います。

 

References

References
1 昨晩、今更ながら真面目にGoogleのウェブマスターツールを眺めていたら、「内在的論理」という単語でググるとだいぶ前に書いた自分の記事がトップに出ていることを発見しました。私の記憶では、確か「佐藤優の内在的論理は「内在的論理を掴むこと」だ!」という非常にアホっぽい主張をした短い記事なはずなので、あんな記事がGoogleのトップに出てくるなんて世間様に顔向けできない・・・という事情で今回の記事を書きます。真面目に書きます。
2 具体的だって?ま、私がした会話ですよ。

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