「兵士たちの連合赤軍」

今朝読了しました。ということで簡単に箇条書き。

■M作戦について

「そういえばスターリンも最初の頃、そんなことをやってたねー」が、一番最初に出てきた感想。しかし、理屈付けがわからない、というか、理屈があっても「資金調達のためのこじつけだろう」と思う。「人民(プロレタリア)のための革命」を目的に行動しているはずなのに、人のお給料強奪しちゃダメでしょ!それとも、お金を強奪する価値があるくらい保有している銀行や郵便局、学校(というか教師の給料輸送)はプチブル共の集まりということで、人民の中でも生粋のプロレタリアではないから良いのか?それとも、追々革命政府ができれば彼らにとってもプラスになるのだから、今は我慢しろということなのか?

ついでですが、今まで思っていることをぶち撒けますと、まぁ、なぜか共産革命って、「暇で」「教育を受けた」「困窮というレベルではない生活環境で」「とはいえ、人生に不満は溜まっていて」「社会的立場は中〜上くらい」の人が主導することが多いんですよね。それで「指導する」立場を確保しちゃうわけ。教育受けている分小難しいことをいじくり回して超難しく説明するから、何となくご利益がありそうに聞こえますし。生粋バリバリのプロレタリアの人たちはね、搾取されていて生きるのに必死で、ノンビリあれこれ革命計画とか立ててる場合じゃないですからね。 [1]マルクスかレーニンに「だからこそ自分たちが指導せねばならぬ」とあったような・・・上から目線だよね。そして、運良く(?)バリバリプロレタリアが指導部やら中央に入り込めたとしても、結局政治闘争で失脚しちゃうというのが良くあるパターン。このへんに対する不信感が私の中でずっと前からあるのです。

■電話連絡の古さ

M作戦についても同様ですが、現在は技術進歩の分、彼らの「連絡が途絶えた」とか、そういった苦労がいまいち実感しにくい。M作戦について言えば、今は銀行振り込みだから現金輸送なんてATMの前くらいでしかみないし、電話連絡についても、「電話がないのは当たり前(もちろん携帯電話なんかない)」だから、時間を決めて喫茶店の電話を借りたり、友達の電話を借りたり・・・わー大変!

■闘争後のビジョン?

どうもこの本を読む限り、これが全然見えてこない。勿論、プロレタリア革命→プロレタリア政府確立ってのが目標なんでしょうが、兵士視点での指導者の言動を読む限り、全然わからない。闘争の仕方について、「ナイフは自分を守れないからダメ。爆弾は確実性がないからダメ。銃ならよし」という思想とか、プロレタリア革命にとって意味があるかね?ないよね?まぁ、2015年に呑気に本を読んでいる私は「単にあんたが銃フェチだったって話じゃん」と突っ込めるのに対し、1971年の彼らに指導者に向かってそう反論する余地はなかったと思いますが・・・しかし、やっぱり銃だろうと爆弾だろうと、革命を成し遂げるんだったら、どうでも良くない?

先ほどの革命活動家に対する不信感のついでに、もう一つ告白をしておきます。私は今回の本が当事者側から書かれた最初の本だし、当時は生まれてなかったので、時代背景とかもわからないし、単に不勉強なこともあるだろうけど、彼らが「本当に真面目に思想を理解しているのか」それとも「わかってないけれど、とりあえず小難しく言っているのか」、どっちなのかがわからない。まぁ、人それぞれでしょうから、結論の出るものではないですが、「本当は全くわかってないが、とりあえず難しく言ってる」人もそれなりにいるのではないか?と感じております。

そして、(話を戻しますが)そういう細かい思想にこだわっていたから、分派しまくるし、交番襲撃とかそういう、「プロレタリア革命」という大戦略に対して、超ちっちゃい、もう作戦というか、戦術というか、むしろ技術の問題 [2]戦略の階層については、こちらをご参考に!を、戦略レベルの問題として扱ってしまい、最終的にダメな方向へ向かってしまったんではないかと思えます。プロレタリア革命を、彼らが言う「米帝国主義に追随する日本国家の権力」下でやろうと思うならば、まずはそれに向かって大動員かけないといけないのにね。逆に言えば、ソ連と中国の場合、とりあえず共産主義勢力が権力を握るところまではある程度一致団結し、その後に党内で権力闘争を行ったので、上手くいったんでしょう。それゆえに、私は彼らがプロレタリア革命を成し遂げるビジョンをどこまで信じていたのか?と疑っています。本当にそれがあったならば、内ゲバなどしている暇はないし、たとえ他党派が気に食わなくても、とりあえずは手を握ることはできたはず。後、日本でプロレタリア革命をしようとすると避けて通れない天皇制についても全く出てこないので、なんだかなーって。

■総括問題について

こちらについては、まだちゃんと文章にできる状態ではないので簡単に。1)同時期の文革に間違いなく影響されていること、そして文革と同じく(とはいえ、規模は全然違いますけど)指導者が総括=自己批判を自身の権力基盤強化に利用したこと。2)山岳ベースという環境だったからこそ発生したこと。つまり、周りに人がいれば、純粋に環境面から殺害を防止できたと共に、心理面でも「他者(敵とも言える)」をハッキリと意識できる環境になることで、暴力が内に向くことはなかったのではないか? この辺がパッと出てきた考えです。

References

References
1 マルクスかレーニンに「だからこそ自分たちが指導せねばならぬ」とあったような・・・上から目線だよね。
2 戦略の階層については、こちらをご参考に!

2 Comments

  1. Hasepon より:

    どうもお久しぶりです。
    私は、現在、I作戦としてインフル菌と思われる帝国主義者どもと闘っています。
    共産主義や社会主義で言うプロレタリア革命を含めたあらゆる政治運動が、現実にはブルジョワ階級の知識層にしか組織し得ないという事実と、革命闘争という基本理論が、潜在的に暴力的要素を前提としていることは、紛争の政治化という現代政治体制の基本理念に、どこまで適合し得たかは私も興味を持っているところです。
    出来うるならば、私の体内も法の支配が行き届いてほしいものです(泣)

  2. YUKIWO より:

    お久しぶりです。
    I作戦の勝利、お祈りしております。
    その他諸々については後ほど・・・

Leave a Reply