自然の美しさについて
本日お休みにつき、いつものルートを走ってきた。昨日まで天気が悪かった分、寒いものの、なかなかの快晴。こういうのをランニング日和と人は呼ぶのですね。さて、毎度のルートは大通り→自転車道→公園→自転車道→大通りなのだが、私はいつも自転車道に入るところで、感動してしまうのである。
今の時期は秋も深まり、でもまだ緑も残っていて、赤、黄色、茶色、緑、雲の白がどこまでもその色を主張していて、空は青く高い。こんなに色とりどりで美しいシーズンはないと思う。もちろん、新緑の緑が空に映えるのも美しい。深い夏の緑も美しい。寒空に木枯らしが吹くのもよいものだ。だけれども、今日は色とりどりの自転車道に「あぁ何て綺麗なんだろう」と感動したわけ。自転車道沿いは木が植えられており、植木屋や公園、畑も多い。だから自然を感じやすいのですが、その美しさたるや「このためだけに生きている!」と思わずにはいられない。そして「このためだけに」と思えることは、とても幸せなことで、何故ならば自分の全ては「このこと」で満たされるからだ。そんなことを考えながら自転車道を走り、公園の中をぐるっと一周した訳ですが、そこはそこでまた大変美しい。真っ黄色のイチョウを透かして太陽の光が降り注ぐ。雑木林の道を走る時など、もうね。走っているだけで(まぁ、歩いてもですけど)、こんなに幸せな気持ちになれるなんて、自分の幸せはなんて安上がりなんだろう!
ところで話変わって、5年ほど前、ある人と「人生60年くらいで終えたいものだ」と話したことがある。お互い頑丈だし、何事もなければ60歳どころか90歳くらいまで余裕だろう・・・と思わなくはないけれども、とにかくそんな話をした。当の本人は忘れてしまっているかもしれないし、別に「だから一緒に死のう」みたいな約束をした訳ではないんだが、まぁ、60くらいまでに死ぬ覚悟で生きるべし、という話。予定では人生の折り返し地点を過ぎた男(30代前半)と折り返し地点まであとわずかの女(20代後半)が二人揃って一体何を馬鹿なことを、と今では思うが、まぁ、当時は真剣でしたし、今でも「いつでも死ぬ覚悟で生きるべきなのだ=memento mori」と考えているので、いいじゃない。個人的にはそういう考えを共有できる人がいたのが大層嬉しかったのです。 [1]死生観が一緒だと感じた唯一の人なのだ!で、もし60歳で私の人生が終わるとすると、この美しい季節を堪能できるのもあと、27回のみ。27回しかない!「ならば」と、美しい自然をしっかり目に焼き付けて、幸せを蓄積しようとした、金曜日代休の幸せな1日でした。
References
| ↑1 | 死生観が一緒だと感じた唯一の人なのだ! |
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