人間関係と情報の流れ

昨晩はムーティ指揮のシカゴ交響楽団を聴きに行き、チャイコフスキーの交響曲4番第4楽章の最後で涙ぐんでみたり、今晩は仕事で遅くなったので、職場の最寄駅に人が少ないことにこれ幸いとウルトラマンスタンプラリーのスタンプを手帳におしてご満悦になったり、小さなことに幸せを見つければ、人生なかなか愉しいものだとつくづく思う今日この頃。

さて、先日「初心に戻り、国際関係論の本を読む!」と宣言したのに、今読んでいる本は「ソーシャル物理学」である。ちょっと筆者の「オレ、優秀なんだぜ」という気負いが行間から溢れ出過ぎているような気がしないでもないが、まぁ、テーマはなかなか面白い。まだ4分の1しか読んでいないが、そして完読せずにブログに書いちゃうのが私の悪い癖だが、でも気にせず続けます。

 

 

まず、創造的で深い洞察力のある人は、最良のアイデアを見つけようとするのではなく、異なる(=新しい)アイデアを見つけようとする。さらに、アイデアを見つけるだけではなく、周囲の人にぶつけてその反応をみている。普段から多様な立場や意見の人との関係を保つことも重要で、その努力(?)により、何かしようとした時に、事前に相談する(アイデアをぶつける)ことができる。同時に周囲の「多様性」というのも大事で、これがないと集団内でお互いに同じような内容のフィードバックをしあい、あたかもそれが正しいかのような自信過剰状態になってしまうため、多様な環境に比べてパフォーマンスは落ちる。自分の意思よりも周囲の行動からの影響のほうが、圧倒的に自身の行動に影響がある。・・・今読んだ限りはこういうことを主張しています。

まぁ、さもありなん、おっしゃる通り、という内容ではあるのですが・・・実際、「多様な人に相談できる環境を自ら作ることの重要性」について、意識して仕事している人って結構少ないのかなー?とも思ったり。また留学の話で申し訳ないが、高校留学の時は本当に英語が出来ない状態で、日本人が一人もいない高校に入れられたため、少しでも惨めな状況を脱しようと「この人は2クラス同じ授業を取っているから、仲良くなろう・・・」と戦略的に(別の言い方をすれば、セコく)考えて行動していた。どうもその当時の行動様式が私の中に残っているようで、仕事する時も役職や職位ではなく、自分にとっての重要度から、社内関係を構築していった気がする。何かあった時に内線や立ち話で相談できる相手、大きな人事異動前に色々リークしあう相手、知っていることを知っている相手、そういう人たちがですね、10人くらいあっちこっちの部署に散らばっているわけです。

今、面倒を見ている新人にそういう存在は貴重なのだから・・・と、情報が集まり人望もそこそこあるハブ社員(パート社員も含む)のリストを教えたんだが、いまいちピンとこないらしく、なかなか動かないんである。情報とかアイデアとかいっても、結局は人間関係の上を行き来するものなのだから、まずは「人間関係の構築」、そこからだと思うんだけどねぇ・・・教え方が悪いのかしら?「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、 ほめてやらねば、人は動かじ。」というが、「言って聞かせて」と「させてみせ」の間の断絶を飛び越えることが出来ない。強制的にお見合い方式でランチをセッティングしようかしら?何かいいアイデアあったらコメント欄で教えて下さいませ。まぁ、逆に自分がハブになるような仕事をしているスター社員であれば、向こうから勝手に寄ってくる=頼られるので、貸した恩は十分だし、何があっても磐石なのだと思いますけどね。新人にはちとキツイ。

本当はもう少し真面目に考えて書くつもりだったが、仕事の愚痴のようになってしまいました。このまま続けても愚痴がエスカレートするだけなので、ここで止めますが、最後に一つ。この「ソーシャル物理学」の出だしを読んで、最初に考えたのが「マルクスはネット社会でも有効か?」ということ。特に人間疎外について。ネットは人間を疎外するのだろうか?それとも・・・?市場や階級という切り口ではなく、アイデアや情報の流れがどのように行動に変化をもたらすのか、という疑問立てがソーシャル物理学の最初の一歩らしい。アイデアや情報は人を疎外するのだろうか?人がいてこそのアイデアや情報ではないのか?さてはて。ま、マルクスをちゃんと読んだことがないので(!)、今の私には答えを出すことはできないんですけどね。

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