困った性癖

先月末に「初対面で言えないこと」を羅列して、昨日もボヤいたが、どうも「私が好きなこと」「私が興味深いと思うこと」は一般的には全くどうでもよく、少なくとも三十路の女が考えていては人生を恙無く過ごしていくにはよろしくないことであるということが、社会人になって7年経ってようやく分かってきた。高校生の頃までは、変な本はよく読むものの、ここまで道を外れていなかったように思うし [1]とはいえ、これもあくまでも自分が内省するに・・・の話なので、はたから見ていたらおかしな子供だったのかもしれない。、大学ではIsorated Crazy’s Utopia、人呼んでICUを中退してアメリカの大学を卒業しているので、あれらの集団のなかでは、私は中道だった(はず)。

それが今や、「哲学について考えることが好きで・・・」だとか「インターネットで国際政治の授業を取ろうと思って・・・」だとか言っただけで即変人扱いである。まぁ、勤め先がふつーの会社なのだからしょうがないといえばしょうがない。最初の頃は「地政学」という単語が通じなくってビビったこともあったっけ・・・大学にでも勤めていればこうはならなかっただろうが、残念、先生になるには頭がそこまでよくなかったのである。んで、こういう状況で私が思うことは2つ。まず一つ目は「勉強している人を異端扱いするな!」ということ。そして二つ目は「それでもやめられない!」ということ。

分かっているのだ、私も。「中世ヨーロッパの普遍論争についてもう一度読み直そうと思う」だとか「日本の対中戦略について」だとか「真空の相転移って無なんだろうか?」とか、そんなことを言った途端にドン引きされることくらい。だから何も言わないじゃありませんか。一人黙々と本を読んだり、家でcourseraの動画を見ているだけじゃありませんか。このささやかな楽しみにまでケチをつけないでくださいます?だいたい、そんなこと言っている分、そちらのオツムの程度が知れてよ?・・・・・・って言えたら、さぞかしスッキリするだろうが、人間関係もスッキリしそうなので、言えない。だって社会人なんだもん。とはいえ、「勉強していてすごいねー」と嫌味っぽく、人を疎外する風に言うならば、自分も勉強すれば良いのである。本はアホみたいに溢れかえっているし、ネットもある。大学の公開講座もオンライン講座もあるのだ。時間がない?私もないです。

そして世間一般的には全く覚えのめでたくない、この「知りたがり」という趣味であるが、やっぱりやめられないのである。というか、なぜ他の人は気にしないでいられるのかが不思議でしょうがない。たまたま整備している改札機とかエスカレーターとか、立ち止まらず、ちらりとも視線を向けずに通り過ぎれる、その精神が私にはわからない。あんな珍しいもの、見たくないですか?私はみたい。整備している人に話しかけて、仕組みを聞きたい。もちろん、混んでいる駅ではしないけど。だって社会人なんだもん。だから図鑑でみて見たい。話がずれた。とにかく、この「知りたい!」という欲求、止まること知らず。何人にも邪魔されるつもりはありませんし、そのためにお付き合いにいたらない男性の数が増えるものしょうがない。やめられないものは、やめられないのだ。

以上、paradoxes of warというプリンストン大学のcourseraのコースが期待以上に面白そうで、ホクホクしている私からの宣言でした。ってここまで書いて思い出した。留学中もそうだったが、私は自分で(本を読んだりする)努力せずに「だって私はバカなんだもん」というやつが死ぬほど嫌いなのだった。多分10年前も同じテンションで同じように罵ってるはず・・・「それで生きてる意味あるの?ってか、そこまでじゃなくっても、学生している意味あるの?」くらいのテンションで。過去記事を探せばあると思います。

 

References

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1 とはいえ、これもあくまでも自分が内省するに・・・の話なので、はたから見ていたらおかしな子供だったのかもしれない。

2 Comments

  1. aki より:

    今の日本は何も産み出せないとは良く言われますが、日本が本当にゼロから産み出したものって何があるのでしょうね。
    無から有を産み出すために何をしてこなければならなかったのか。
    無意味な書類ばかりを量産してきたrobotどもには、誰かを否定する権利は少なくともナイナ。

  2. YUKIWO より:

    そもそも無から有を生み出せるのか?それは本当に無なのか?

    いずれにしても、世界の広さに気がついてしまった我々はそれを知らない人たちに足を引っ張られることなく、先に進みましょう。先に進めば、いつか奴らはついてこれなくなって、後ろへの力もなくなるでしょう。

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