「別にそれでいいんじゃ無いの?」と突っ込みたくなる本「救いとは何か」
眠たいので簡潔に。宗教学者の山折哲雄と哲学者の森岡正博の対談集なんですが、どうもね、ちょっとね・・・
森岡ー先ほども言ったように、私は宗教的な世界に憧れがあるのですが、その世界に入るのに必要なジャンプができない。(P85)
そこ、拘る必要があるのだろうか?一応、宗教人⇔not宗教人と言う対立構図で話は進んでいるのだが、そもそも宗教の定義が不明確なんだな。キリスト教やイスラム教は開祖がいて、経典があって、聖地があって、信仰をもつ集団がいて・・・とわかりやすいが、では、例えば神(もし神と言う言葉に人格が入るのであれば、フランス革命時よろしく「絶対理性」と言っても良いかも)の存在を確信しているが、特に誰かと共有していない場合、これは宗教なのだろうか?それとも、哲学なのだろうか?
ここで大事なのは自分が宗教に属しているかどうかではなく、自分の考えている内容そのものだろう。なぜ、魂というものがあるかもしれない、神(絶対理性)が存在するかもしれない、という問いを立てて考えている中で、それが宗教か否か、気にする余裕があるのだろう。どっちだっていいじゃん。同様の疑問は死についての対談中にも出てきた。「死んだらどうなる」の前に、哲学者ならば、なぜ「死とは何か」「死は存在するのか」を疑わない?とにかく、万事がこの調子。あぁ、あともう一歩突き進めばいいのに・・・
とまぁ、けちょんけちょんに申し上げましたが、そういえば確かにそうねと思ったのが、サンデルのトロッコ問題への指摘。「1人を犠牲にするか、5人を犠牲にするか」を選ぶ立場にある、その特権性については、あぁ確かに気がつかなかったな。宮沢賢治についても、「カイエ・ソバージュ」でもなんども取り上げられていたし、独特な宗教観というか世界観は、一度きちんと触れた方がいいのかもしれない。問題は、読む予定の本がしばらく先まで埋まってることだ・・・どうしよう。