感染症は政治化する

如何に通勤時間が自分にとって大事な読書時間であったか実感するこの頃。今回はかなりサラッとですが、最近読んで面白かった本のご紹介。

こちらの本は近代19世紀末から戦中あたりまでの極東アジアの感染症について取り扱っているのだが、多分一番の読みどころは「如何に感染症が政治化したか」という部分。COVID-19でもそうだが、感染症と言うのは、国民の私的な部分まで行政が入り込まないと防げない。「出歩くな」「握手をするな」「清潔にせよ」「家に帰ったら手洗いをせよ」などなど。19世紀末においては、租界などの防疫を通じて中国に対する影響力を増やしたい諸外国と、それを防ぎたい中国(清・中華民国)の攻防があった。

元々、国家的な衛生政策を担う官庁のなかった清王朝。その理由として、他民族である漢人を支配するにあたって、地方行政の細かい部分には介入せず不満を和らげ、また政府維持のコストを下げるためでもあったが、いざペストなどの感染症が発生すると、機能不全に陥ってしまっていた。そこにつけ込んだのが諸外国で、まぁ、中国も徐々に「こりゃいけない」と衛生行政の整備をはじめた。その中国政府が参考にしたのが、帝国日本モデルの警察力の強いもの…と話は続いていくのだが、私が特に感心した部分を抜き書きしておきます。

アーノルドは、英領インドの衛生事業のあり方を詳しく検討し、その歴史的特徴を「身体の植民地化」(colonizing the body)という視角から位置づけました。この研究は、衛生事業の制度化を植民地主義の功績としてとらえる見解に対して異議を唱え、むしろ医療・衛生事業の整備こそが植民地統治の重要なチャンネルであったという考え方を提起しました。(中略)

ロガスキーは、アーノルドの議論を受けて、中国における衛生事業の制度化の過程を個人の健康の維持という「身体の保護」から中国という民族や国家レベルでの「民族の防衛」への変化として位置づけたのです。それは、「身体の植民地化」への抵抗でもありました。

P36

さらに国内での衛生的階層の発達について。

この記事には、いくつかの重要な問題が含まれています。ハルビンでの対策の効果を確認したのち、ロシア租界で実施されている中国人への差別的対策を非難しています。同時に、中国人のなかで階層を明確に分け、種痘を接種している衛生的で富裕な人びとはロシア人と同様の扱いをされるべきであると主張しているからです。

このことは、感染症対策をめぐって世界各地で進んだ、衛生/不衛生、文明/野蛮、そしてその基礎となる富裕/貧困、という二分法が中国社会にも受け入れられつつあったことを示しています。もちろん文明/野蛮、富裕/貧困という二分法は中国社会にも古くからあるものでした。しかし、この時期にこれに衛生/不衛生が加わることになったのです。

P43

とまぁ、こんな感じで、まだまだ世界が全体的に狂乱の中にあるので中々見えてこないが、恐らく今回のCOVID-19も、マスク外交だとか、賠償だとか、すでに始まっているものも含めて、これからどんどん政治化するのだろうと思う。他国に対する防疫行政における影響力という面では、おそらくというか確実に舞台はアフリカ。中国は(今までのアフリカ開発の流れで)感染症対策の協力で影響力を増すことができるのか、それとも他の国がアフリカに支援しつつ、影響力を増すのか。中国はすでに中国本土におけるアフリカ出身者に対する差別が反発を招いている上に、そもそも今回のパンデミックが中国発というハンデがある。個人的には、ここは他の国、できれば日本に頑張って欲しいと思う。

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