なぜ私は宇宙戦艦ヤマト2199のデスラー総統が嫌いなのか?

諸君 私はデスラー総統が好きだ
諸君 私はデスラー総統が好きだ
諸君 私はデスラー総統が大好きだ

・・・とヘルシングの少佐よろしく [1]漫画誌上最高?の演説はこちらから全文をご確認いただけます。でも、できればちゃんとアニメで見てね。演説をぶちかまそうとしましたが、語彙力がないため、続きませんでした。とにかく、私はいたいけな10歳の頃、初めて「宇宙戦艦ヤマト」を観て以来20年間、デスラー総統が大好きなのです。しかも、最初に見たのが「宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち」だからね。「古代・・・私はスターシャを愛しているのだよ」と唐突な告白をデスラー総統がやらかすあの話を一番最初にみてて、これなんだからね。 [2]私のヤマト遍歴は新たなる旅立ち→完結編→最初の劇場版→さらば→永遠に→Ⅲ

で、「スターシャ命なデスラー総統」というキャラ付けは、物語の時系列で見るとあまりに唐突で、「まー、好きなら好きで結構ですけど・・・」と、私のデスラー総統LOVEにはあんまり影響がないのです。多分、私の中では「スターシャ命」なデスラー総統はどうでもよく(なかったこと、にはしていない。)、むしろガミラスのリーダーとしての行動が一番重要なのです。なので、ヤマトⅢにおいても、「隣の星にスターシャと名付け」たりしていることについては、せいぜい「隣の星には当初他の名前があっただろうに、改名しちゃったのね」位しか考えず、むしろガルマンガミラスのパレードとか、御前会議とか、そっちの話の方が好きだし、そのガミラス勢の描写の多さ故にⅢが一番のお気に入りだったりするのです。ま、ヤマト側もⅢは初々しいから好きですけど。

そこで、ヤマト2199の話。最初の方はオリジナルに結構忠実な描写だったから特に問題なく「新デスラーもいいわね」と楽しめたのです。で、あのガミラス本星の戦いだよ。「お前はシャアかっ!?」って思った人はかなりいたと思う。スターシャが好きなのはよい。それは旧作でも同じです。スターシャが好きで好きでしょうがないのもよい。それも旧作では同じです。だが、ガミラス国民を裏切るあの行動は許せない。今思えば、「私ごと撃て、って戦闘空母に乗艦しているガミラス人全員お前に巻き込むのかよ・・・」と突っ込めなくもないですが、旧作ではその辺をうまく回避というか描かなかったのです。それが2199では、巻き込まれそうになったガミラス人の視点が描写されてしまった。「これが指導者のすることか、デスラー!」ってヒスに言わせてしまったのです。だから私は2199のデスラー総統が嫌いなのです。私は旧作の「本星壊滅したにもかかわらず、その後もタラン将軍をはじめ、多くの生き残りガミラス人がどこまでも付き従うデスラー総統」が好きだったのに・・・2199の世界ではタラン将軍もデスラー総統のために、白色彗星まで来ないでしょう。

 

References

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1 漫画誌上最高?の演説はこちらから全文をご確認いただけます。でも、できればちゃんとアニメで見てね。
2 私のヤマト遍歴は新たなる旅立ち→完結編→最初の劇場版→さらば→永遠に→Ⅲ

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