「自分は出来る!」と信じる人たち

全米No.1ブローカーが明かす、自分と商品の売り込みとサクセスの秘訣 CUBE NY

先日この記事を読んで興味を持ったのがFredrik Eklundの「the Sell: the secrets of selling anything to anyone」という本。早速Amazonで購入して、現在半分ほど読んでいるところだけど、つくづく感じたのが「彼は自分が出来るということを全く疑っていない」ということ。文中何度も自分の事をスーパースターと呼んでいるし、仕事においても、食事やエクササイズ、衣装などのプライベートにおいても、自分自身のあり方が有能で、素晴らしく、正しいことを信じているのです。 [1] … Continue reading

本を読みながら、そういえば、と考えたのが、つい最近私のチームに配属されたパート社員のこと。彼女は母国で日本語を使って仕事をしていたとはいえ、数年前に結婚してから日本に住み始めた人なので、日本語がネイティブではないけれど、採用面接の時に「担当してもらう仕事の中には、WEBのチェックやメール文面のチェックなどがありますが、自身にその能力があると思いますか?」と聞いたところ、「あります」と即答して、その自信のある様子(と視線)を気に入ったので、即採用を決めた存在。その後、実際に配属された後に、作業目的は単純だけど、作業工程が面倒なOP [2]そんなOPを放置するなって?そうです、わかってます。現在進行形でOP改善中です・・・を担当してもらうことにしたんですが、前任者2名が5回やっても怪しかった作業をわずか1回で9割自力でできたのでした。

あまりの成果の違いに、「何が前任者と違うのか?」と私なりに考えて、でてきた答えは、やはり「自分は出来ると信じていること」。スキル自体に物凄く差があるわけではないので [3]前任者よりは多少エクセルを使えるけれど、あくまで「多少」レベルだし、日本語が母国語ではないことを考えると、トントンだと思う。、質問される内容も似たようなレベルだけれども、質問までに自分で考えたかどうかの差を感じるのです。つまり、何かしらつまづいた時に「この程度の障害ならば自分自身で解決できるはずだ。やってみよう」という過程を感じる。なので、質問も「ここがわからない。こうやってみたけれども上手くいかない。もう一度説明してくれないか?」とこちらに対して明確に問題点と希望を伝えてくれます。そして、その質問するまでの過程の途中で、自身で解決したことがたくさんあるはずなので、質問の回数も相対的に少ない。対して前任者は「ここがおかしいです」というだけなので、「できない状態」に止まってしまっているのでした。

では、なぜそうも自分を信じられるのかと考えてみたところ、彼女の場合、外国語で仕事をして、外国人と結婚して、外国に住むという経験をしていることが大きいのではないか?というのが私の考え。つまり、本人がどう認識しているのかはさておき、世界中の多くの人が、少なくとも日本の大多数の人が経験しないような、「外国で生き抜く修羅場」をくぐってきていることが彼女の自信の根底にあるような気がするのです。そして、それはFrederik Eklundについても同じ。彼も、出身はスウェーデンだけれども、自国でのビジネスの失敗の後、ニューヨークにやってきてのし上がった存在です。やってきた最初の頃はどうかわからないけれど、「ニューヨークで成功するための修羅場をくぐってきた」というのが今の彼の自信につながっていると思うのです。

ちなみに私自身、「仕事においては、(よっぽど高度な専門知識が必要なもの以外)できない業務はない」と考えていると同時に「自分の人生で【困る】【どん詰まり】ということは絶対にない。多少悩ましい局面はあるけれども、必ずなんとかなる」と信じています。これもまた、高校留学中に(なんせ留学前は英語の成績は学年ビリに近かったので)「どんなに英語がダメだったとしても、自分から周りにコミュニケーションとっていかないと、『華の高校留学』で友達が一人もできず、惨めな一年を過ごすことになる」という、もうあの当時を振り返っても「あれは生命の危機を感じた・・・」というレベルでの修羅場があったからこそだと自己分析しています。

こう書くとまるで「自信をつけるために外国に行きましょー!」って言っているように聞こえるかもしれないけれど、修羅場はどこにでも転がっているものです。大震災の時は、物流が止まってしまったので、毎晩終電後退社になる修羅場だったし、台風や大雨の時も同じ。こういう大きな修羅場は突然やってくるものなので、経験できるか出来ないかは良くも悪くも運だけど、「コールセンターの入電数が増えた」とか「パート社員が同時に2人休んだ」とかちょっとした修羅場は毎日のように発生しているはずなのです。その修羅場を通り過ぎた時に「あぁ疲れた。大変だった。」とだけ受け取るのではなく、「疲れたし、大変だったけれども、乗り越えられたんだから、自分は結構出来んじゃん(もしくは、次回は余裕でできるだろう)」と受け取ることが大切で、そしてその積み重ねが、最終的に自分自身への絶対的な自信につながっていくんだと思います。

人は自分自身に自信がある人を信用します。本人さえ信用しない人を他人が信用するわけがない。なので、何においても、自分の頑張りを肯定的に評価し、自分の能力を信じること。これが仕事においても人生においても大切なのではないでしょうか。

 

References

References
1 他の考え方もあるよね、というスタンスなので決してカルト的に正しいと信じているのではなく、「とにかくこれが自分にベストだ!」と信じている、信じ方です。
2 そんなOPを放置するなって?そうです、わかってます。現在進行形でOP改善中です・・・
3 前任者よりは多少エクセルを使えるけれど、あくまで「多少」レベルだし、日本語が母国語ではないことを考えると、トントンだと思う。

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