徒然日記

細々と、何点か。

 

■死と存在

死んだら存在は無くなるのか?とおもむろに、帰り道を歩きながら考えた。そもそも、生きている時も目の前にいない人、ものは「存在している」と言えるのだろうか?私の頭の中にはいる。でも、実際は?目の前にいないあの人は存在しているのか?まぁ、生きていれば存在していると、言えそうではある。これは認識の問題だ、と。でも、ロクでもない例で申し訳ないが、例えば私が殺されて山の中に埋められていたとする。それを家族や友人は知らない。さて、このときは私は彼らの中で存在しているのだろうか?むしろ、私が死んだときになくなるのは私ではなく、彼ら=私の世界ではなかろうか?

 

■ベートーベンの第九について

昨日、第九を聴きに行った。満席だったが、まぁ、合唱が国立音大だったので、その家族や友人も多かったのだろう。しかし、第九は年末に聴くと、改めて一年の終わりを実感できますね。よくよく思い出せば、数年前にも一度クリスマス演奏会みたいな、有名な曲の有名な部分を集めたコンサートに行ったことがあったっけ。あのときは、チャイコフスキーの序曲「1812」の、大砲の部分が、運動会に使われるようなピストルでズッコケた気がする。諸説ありますが、1812年なんだし、大砲あったほうが「らしい」よねと個人的には思います。というわけで、管弦ではなく吹奏ですが、大砲付きの演奏。

 

 

■本屋のイケメン

最寄駅ビルの本屋にイケメンがいる。今日気付いたのだが、声も中々である。先方からすると毎月1回は大量買いする(しかも佐藤優縛りとかで)変な女、だとしか認識していないと思うけど、まぁ、いいんですよ。別に。今日はレシピ本を買った。お米があまり好きではない(パンはもっと好きじゃない)ので、その克服に混ぜご飯系のレシピ。うちには土鍋しかないが、まぁなんとかしてみよう。

 

■連合赤軍関連

我が自治体図書館の「貸し出しリストが怪しい人トップ10」に入るのでは?という勢いで、赤軍派の本を借りた。(昔の治安維持法があったら、間違いなく特高にしょっぴかれるレベルだと思う。)佐々淳行の本は高校生か大学生に入ってすぐに読んでいるので復習で、塩見孝也の本は、この後書くけど、赤軍派の思想について知りたかったので借りてみた。今年、誕生日に単行本サイズの革のブックカバーをくれた同僚は先見の明があった。カバーがないと、私は山手線でも「赤軍派の本ばかり読んでいる危ない女」扱いされたことだろう。

 

■「日本赤軍派」について

人様に借りておいて、こんなこと言うもんじゃないと思うんですが・・・でも言っちゃう!今日読み切ったが、あまり「NEW for me!」という概念、知識はなかった。そもそも、佐々淳行の本は読んでいるとはいえ、赤軍派の内部に焦点をあてた本は、この本以前は植垣康博の本だけである。なので、そんなに詳しくないはずなんだが・・・いろいろと自己分析してみたが、どうも植垣康博の本を読んだときに、それなりに想像というか、言葉によらない理解が進んでいたようだ。なので、今回の本は、その言葉になっていない私の理解が言葉になっただけなのかもしれない。

その他、読んでいてふと考えたのが、アメリカ人が文中で「日本人は〜」「日本社会は〜」と書く、それに対してステレオタイプだと思う私の反応がステレオタイプだな、ということ。あと、最初のほうを読んでて「革命後のビジョンがない。ほれ見たことか!」と思った。やはり、追い詰められて視野がどんどん狭くなったことが諸々の原因なのでは?この辺は塩見孝也の本を読んでから、また考えたいと思ってます。

 

■強いことについて

先週末、会社から毎年恒例の「1年間お疲れ様プレゼント」をもらった。正社員とパートで品が違うのだが、今年はパート向けのプレゼントのほうが、実用性があり社員は不満げ。で、社員のプレゼントは色が何色かあるので、社長がフィーリングで色を選ぶという方式だったのだが、私の番になって「強そう」と一言、黒を渡された。結果としては、どうも服の色に引っ張られているだけで、私が単に黒タートルを着ていたからだったんでしょうが、問題は「強そう」の一言である。一体全体人のことをなんだと思っているのか?前には社員一人ひとりに社長が四字熟語を書いていたが、私は「剛毅果断」というのをいただいた。私は社長の中でどういう位置付けなのか?ティターン族かなんかと思われてるのかしらね?むしろ、泉に住むニンフなのに・・・と自分で言って「それはない」と思ったので、今のは取り消します。そうね、ヴィーナスやニンフは無理でも、ミネルバの梟くらいを目指したいな。

 

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