「チェルノブイリの祈り」

所用で1週間弱広島に帰っていた。帰る直前にちょうど、こうの史代の「この世界の片隅に」を久しぶりに読んだので、新幹線の中で「チェルノブイリの祈り 未来の物語」を読むことに決めて、今日読み終わった。そんなわけで読みながら思ったことを箇条書きで。

・この本に収められている話から一番感じるのは、「放射能怖い」「原発は怖い」とかではなく、非常に「ロシア的ななにか」。国(ソ連)に対する考え方だったり、大祖国戦争との比較だったり、何よりも自然に対する考え方だったり。

・所謂被爆者(その瞬間にこの世に存在していた人)だけではなく、その次の世代に対する、自ら考える&他者が持つ、恐れ。これはかつてのヒロシマで克服されたのだろうか?原爆からは3世代分時が経っている。だから多分、ほぼ克服されたと言えるだろう。家系的にガンが多い、とかはあるけれども、今時ガンで死ぬ人なんて、あちこちにいるのだし・・・チェルノブイリからは2世代弱?今、この瞬間にやはりそういう差別はあるのか?そして、福島の避難地域民に対するものは?私が知らないだけで、やっぱりあるのだろうか?

・チェルノブイリ事故が発生した当時、ソ連は崩壊直前で、各地で民族紛争と言えるものが発生しており、そこから逃れてきたロシア人がチェルノブイリ近辺に避難してきて、「目に見えない放射能よりも、人の方が怖い」という。原発も人の手によるものなのに・・・

・放射能を「見た」、水たまりが光っていた、という証言が多数収めされている。さて、セシウムは水色の水晶のように畑に転がっているものなのか?科学的にあり得るのか、それともそれは無知故の勘違いなのか?まぁ、光るというのはわかるけれども。

 

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