国とは概念なのか?それとも実在するのか?

何を勘違いしたのか、ルトワックの最新刊(新書)の発売日が今日だと信じ込み、ルンルン気分で帰りに本屋に寄ったのだが、実際は18日発売だった。そこで失意の私は「今度の週末、温泉で読む本・・・今度の週末、温泉で読む本・・・」と、「妖怪 温泉で読む本探すババア」さながら、本屋の中を3周くらい徘徊し、見つけたのが「共産主義黒書<ソ連篇>」である。つい最近、「オーストリアのリンツ」という都市名を聞いてすぐに「あぁ、ヒトラーが若い頃いた都市ですね!」と反応したもんだから、知人に「変態」と言われてしまい、ちょっとだけ傷ついて、ちょっとだけ反省したのだが、3日も経たないうちにこれである。もう、これは病気でしょう。「ヒトラーと毛沢東とスターリンなら任せて!」とその時も胸を張ったが、これからも一層自信を持って、胸を張れるよう、勉強しようと思います。

んで、私の中で「第2次池田晶子ブーム」が吹き荒れており、図書館で5冊ほど一気に借りたのだが、それを読むことと、このブログで書いてきたことや人と話したことの中で、きちんと考える必要がある、と感じるのが「国家」だとか「時間」だとか「社会」だとか、あたかも当たり前のように「存在しているっぽい」 [1] … Continue readingものについて。一体全体、こやつらはなんなのだ?どれも古代から存在しており、でも人類の一番最初のころ、猿との境目のころには存在していなかったようであり、人類の歴史が蓄積されるにつれて、どんどん複雑に、そして強力になったこいつらは、一体なんなのだ?人が必要としたからそうなったんだろうか?国家も社会も時間も?人はこれらを通して、一体何を得んとするのか?支配しているつもりで、どこからの時点で支配されているのではないか?では、その逆転ポイントは歴史のどこに・・・?

同時に、これは少し考える内容としてはもう少し現実的かもしれないけれど、国名とは、はて、一体誰がどう決めたのか?この考えの発端は、「Korea」と言えば一般的に韓国を指しているが、北朝鮮に「North」とわざわざつけるのは、「Korea」と呼んでいる国の方を主体として、国際社会が認識しているからか?と訝しんだことだった。その証拠に北朝鮮は韓国のことを「南朝鮮」と呼んでいる。つまり、国際的な国の名前はその時の主流派で決まるのかな?と。

時間や社会はまた別枠で考えるにしても、結局「国」とは概念でしかないのかもしれない。未だきちんと理解できていないのでまずは復習というか、勉強が先だが、唯名論と実在論の普遍論争の流れで考えると少しはすっきりするかもしれない・・・スッキリできる気がしないけれども・・・

 

  

 

以下、わざわざ記事を分けるほどでもない余談。徒然日記。

そんなわけで、本屋の中をさまよっている時に、ラジオ英会話特集の棚を見つけたのです。「あら懐かしい」という思いと、「久しぶりにちゃんとリスニング勉強しよう」という思いで、テキストをあれこれ眺めていたが、どうもいいのがない。ビジネス英会話はどうでもいいし(異動の際に有利かもしれないが、どうでもいい)、今更基礎英語でもないし、というかアメリカの大学卒業しているのに、基礎英語聞いているのが親にばれたら学費返還要求を確実にされるし [2]とはいえ、毎年150万円分くらいの返済義務なしの奨学金ももらっていたのだよ。えっへん。、あれ〜ちょっと前に白熱教室をラジオかテレビでやってたじゃん、ああいうのはもうないのかしら?と・・・おもわず英語をやめてロシア語あたりにチャレンジしようかと思ったが、よくよく思い出すと、ラテン語を勉強している途中なのだった。二兎追うものは何とやらと言いますし、とりあえずロシア語はやめて、英語もラジオはやめて、Anderson Cooperのpodcastを毎日見ることにしたのでした。1時間弱だからちと長いが・・・

References

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1 ここでは、あえて「存在している」って書いてないです。うまく説明できませんが、ぼんやり考えている中で、こいつらは「存在していないんじゃないか」という疑いがあるので。
2 とはいえ、毎年150万円分くらいの返済義務なしの奨学金ももらっていたのだよ。えっへん。

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