あぁ、誘惑のロシア旅行旅

えー、ちょっとというか大分前にロシア旅行に行ってまいりました。7月上旬だったので、ロシアは白夜のシーズン、日本は盛夏。「暑い時期に寒いところにいこう」という安易な考えからではなく、「寒い国に寒い時期に行くと大変」という観点からでございます。というのもほんとは言い訳で、実際のところは「半年前から夏に海外旅行に行く!と宣言していて、それがたまたまスポンサー(母)の意向と私の特殊な趣味が一致しロシアになった」んですけどね。社会人になってつくづく思ったのが、休みは早い者勝ちということです。今回の場合、去年から言い続けていたのが勝因でした。皆さんも旅行の計画はお早めに。

さて、東京都に住んでいる同じ年齢の女子のうち、ロシア(≒ソ連)好き上位10%にはいるであろうことを自負している私ですので、カメラを持っていかずブログの記事にさえならなかったカンボジアと比べ、デジカメを新調し、ブログネタ用メモ帳を持ってゆき、旅行の友(本)はロシア縛りで佐藤優の本を選び、ついでに旅行用お洋服もウン万かけて買ったのは当たり前。大学でみっちり勉強した事(というかプーチン政権について小論文書いた…)もあり、ロシア史・ロシア政治史に明るい状態で挑んだロシア。例のごとく、長くなるので箇条書きでご案内したいと思います。因みに行程は「キジー島⇒サンクトペテルブルグ⇒モスクワ南部の町⇒モスクワ」でした。後で判ったのですがロシアの場合、ビザが取り難い&国内での宿泊証明等の問題で、個人旅行はしにくそうです。今回はツアー旅行でした。

・搭乗予定飛行機が元々ロンドンからモスクワ経由で成田着の折り返し便だったらしく、初っ端から思いっきり遅延してました。3時間の遅れで、モスクワでのトランジットも逃しちゃった訳ですが、「ワシントンDCでトランジット予定だった夜10時の飛行機が欠航して急遽ホテルに身ひとつの状態で泊まった経験(私)」や「娘の卒業式に出席しようと思ったらこれまたワシントンDCでトランジット予定だった飛行機が欠航して、見知らぬアメリカ人数人とタクシーをシェアして4時間かけてやってきた経験(母)」といった滅多にない経験をしてきただけあって、私も母も「3時間遅れ?トランジットがない?でも旅行会社が何とかしてくれんのよね?あー、気楽だわー」と成田空港を満喫してました。無印良品とか旅行グッズに特化していて、色々面白かった!後、母はロシアの治安の悪さを事前に旅行会社から何度も言われていたんで、スリ防止をかねて、鈴のついたキーホルダーを買ってカバンにつけてました。童話で猫に鈴をつけるという話がありますが、あんな感じで旅行中「チリンチリン」と音がしたら「母、接近中!」とわかり易かったです。

・さて、やっとこさ乗り込んだエアロフロートですがロゴが「ハンマーと鎌」なんですよね。アレをみて「うーん、ソ連の名残ね!」と感心してしまいました。実際、ソ連崩壊に伴い、面倒だったのか、どうでも良かったのか、それとも単に壊す金がなかったのか判らないんですが、ロシア国内でも、銅像以外にも窓のレリーフとかソ連モチーフが沢山残ってました。

・佐藤優の本で特にロシア外交官時代についての本は、ロシアグルメ本としても有益です。「自壊する帝国」を持って行ったんですが、ソ連崩壊史としてではなく、完全にグルメ本&お土産のヒント集として付箋を貼る始末。私は佐藤優本経由で「ジュリアン」なる食べ物(キノコにサワークリームをのっけて焼いたもの)を知り、是非食べてみたいと思ったんですが、残念ながら出てきませんでした。好きな食べ物を頼めないのがツアー旅行の良くないとこですね。

・わたくし、気流が悪い場所というのは山脈の上、という持論がありまして、ガタガタ揺れる飛行機の中で、「気流といえばthe hunt for Red Octoberだよなぁ。久しぶりに観たいねぇ」なんて暢気に考えてました。あの映画もある意味ロシア絡みですね。潜水艦の中のイメージカラー(ランプの色)がソ連=青、アメリカ=赤だったことだけは未だに納得いきませんが。

・飛行機の中では映画を見ないので、フライトインフォメーションの画面をずっと表示させているんですが、日本を出て数時間後「あれ、なんでこんなに「ピョコン」と出っ張った飛び方しているだろう?」と気が付きました。飛行機は最短距離を飛行するはずなので、航路履歴も緩やかなカーブであんまりジグザグしないもんです。なのに、一カ所だけ満州の上の方でピョコンとしている・・・これは妙だとよーくみてみたら、中国との国境線がそこだけピョコンとロシア側に飛び出ているんですね。領空についてあまり詳しくないので良くわからないが、どーも中国領の上を避けているっぽい。ヨーロッパ行きの場合は、バリバリロシアの上空を通る訳で、他国の領空上を通るのNGではないはず(戦争状態でない限り)。なぜあんなにあからさまに中国領を避けたのか・・・謎です。因みに帰りはギリギリのラインで中国領に入らず、緩やかなカーブで日本に戻ってきました。

・中国について考えたついでに「良くロシアがシベリアを押さえる事が出来たよなー」とかも考えてました。距離的には極東部分とか中国になっていても不思議でないのに・・・ちょっと前に「銃・鉄・病原菌」を読みましたが、「南北に比べて東西のほうが移動・拡散が早い」とありました。つまり、そういう事かしら?とちょっとインテリぶっているうちに、モスクワの空港についたのです。流石、白夜!夜の9時過ぎているのにまだまだ明るい!その後サンクトペテルブルグへ国内線に乗り継いだんですが、ホテルについたのが12時過ぎだというのにまだ明るい!!最後の方は慣れましたが、最初は「まだ明るいから」と構えていたら深夜過ぎてた!ぎゃー、明日の集合6時よ!みたいな事が多かったです。

・翌日は移動日だったので、途中で昼ご飯を食べたんですが何かの手違いでメインディッシュが出ないというトラブル発生。私個人の性格が大らか(適当)なのか、長い海外生活で多様な価値観を身につけたのか、それとも単に人(母)のお金で参加しているから「元を取る」という感覚がなかったのか、理由は知りませんが、兎に角私としては「あらまぁ」くらいに考えていたんですが、怒る人は怒る。しかし、怒るにしろ悪いのはそのルーズなレストランであって、ロシア全国民ではないはず。そのラインを越えて文句をいうので聞いていて非常に気分が悪かったです。あんまりこういう事を言うもんではありませんが、わざわざ外国に来ているんだから、「それもまた外国経験」位にのんびり構えてはいかがか?それが出来ないならば日本から一歩もでない方が良いと思います。

・その晩はカレリア地方の伝統的料理ということで、町中心街のレストランで夕食でした。ウォッカではなく、20度くらいの薬用酒(?)でしたが、居合わせた他のロシア人と一気飲みして握手して写真を撮るという経験を出来たので良かったです。一気飲みもね、佐藤優の本に書いてあってやってみたかったんです。普通女の人はしないっぽいけど。

・キジー島はそこそこ有名なので他の国からの旅行客も多く、ヨーロッパをバイクで旅しているウェールズ人と偉く開放的な格好をしたイラン人と知り合いになりました。イランにも行ってみたいな〜

・サンクトペテルブルグへ戻る列車は寝台列車!本当はシベリア鉄道に乗ってみたかったのですが、そっちのツアーの場合、有給を全て使い1ヶ月休みを取らないと行けないので無理だったんですよね。なので、シベリア鉄道ではないけれど、寝台列車にのれたのはホントに嬉しかったです。ただ、毛布や敷き布団がイロイロ危険な感じ。広げて寝るとなんかにかまれそうな・・・「どうせ1晩だけだし」ということで、母も私も座席にそのまま寝転がって寝てました。繊細な人は列車の音で眠れないのかもしれませんが、親子揃って「寝るときはどんなとこでも寝る」というタフな性格なため、グッスリ寝ちゃいました。因みにトイレは線路に垂れ流し方式らしく、列車が動いてから1時間くらい経たないと使えない(じゃないと駅が酷い事になる)という・・・しかも、ご丁寧に便座の蓋を時間までロックしているのです。(車両によって違うようです。ロシアの列車は同じ級でも車両によって個性溢れていました。トイレのロックは多分車掌さんの性格による部分が大きいかと。)それだけはちょっと不便でしたね。

・エルミタージュ美術館、人気エリアと不人気エリアの差が激しく、涙を誘いました。しかし、もの凄く混んでました。優先券じゃない場合は、2時間炎天下(ジメジメしてないけど、日差しは強い)で待つとか・・・1年のうち、旅行出来る時期がかなり限られているのでしょうがないですね。個人的には大好きなナポレオンの肖像画を直にみれて感動!自由時間に思いっきり迷ったのは秘密です。美術館でも何処でも、「行った道を帰る」の鉄則を忘れないようにしたいものです。いくら1階に戻りたいからと言って、別の階段を使ったのが悲劇の始まりでした。

・ピョートル大帝の夏の宮殿は噴水で有名ですが、そのなかでも子供が集まるのがいたずら噴水。つまり、恒常的に水が出ているんではなく、いきなり水が出てくるんですが、これが意外と人力で動かしてまして、茂みの中に建っている掘建て小屋に詰めているor噴水の側に何食わぬ顔してすわっているおっちゃんがスイッチを押すとピューと水が出る仕組みだそうです。ので、同じ子供が調子に乗って遊んでておじさんがいらついて(?)きたら出ない、女の人が興味本位で噴水に近づくとピューとびしょ濡れの透け透け・・・どうなの、これ。

・サンクトペテルブルグでは丁度白夜祭のシーズンで、折角なのでマリンスキー劇場でバレエ観賞。あんまり客席に傾斜がなく、しかも前のおねーさんたち(ロシア人?)がサングラスを頭の上につけてたもんだから、よく見えなかったですが劇場内に入れたのは良かった。サンクトペテルブルグ(レニングラード)といえば、バレエ漫画「アラベスク」よね、と帰国早々愛蔵版を買ってしまいましたよ、私は。

・因みにロシア人は「短い夏を満喫するぜっ!ヒャッハー!!」みたいな感じで、もの凄い格好の人が多かったです。アメリカ人の方が以外と慎み深い格好している気がする。男性の場合パンツ一丁で公園で昼寝するのは当たり前、女の人もベアトップとか、なんかホントに色々開放的でした。ソ連時代はどんな格好していたんだろう・・・気になる。

・ロシア正教会の建物の作りは大体一緒です。ツアー中かなりの数の寺院をまわりましたが、モザイクの細かさや寺院のキラッキラ度には毎度目を奪われました。しかしソ連が崩壊してまだ20年、教会や信者の様子を見ると、ソ連時代でも信仰心は変える事が出来なかったに違いない、と考えてしまいます。かなり敬虔な信者さんが多かったです。

・モスクワ南部の小さな町の中央広場で自由時間があったのですが、なんせ本当に小さな町なので、売っているのはお土産(レースの帽子とか、ソックスとかロシア風お皿とか、大都市で売っているものに比べて素朴系)か地元の人向け野菜だけ。折角なので、おばあさん自家製のピクルスを買って食べてみましたが、これがなかなか美味しかったです。ロシア料理は本当に美味しいんですが、ディルの使用が多く、ピクルスが浸かっている大ビンにも大量のハーブが浸かってました。エジプト旅行の記事でも書いた(はず)ですが、私は胃腸が強いので、食べてみたいものは食べてみる主義なのです。しかし、本当に美味しいピクルスでした。あと、100%ロシア国産の蜂蜜も、300mlくらいで大体900円なんですね。安い!ということで母と沢山買いました。このときから何故か母の中で「この子は蜂蜜好き」という認識になったらしいです。まぁ、嫌いじゃないが、コレクターという訳でも、砂糖じゃなく蜂蜜派という訳でもないんですが。キノコも炒めたら美味しそーなのが沢山売ってましたが、流石に生の状態で日本に持ち込めないので、こちらはギブアップしました。無念なり。

・ソ連時代有名で、佐藤優の本にも何度かでていたグルジアワイン。現在ロシアとグルジアの仲がよろしくないため、入ってこないらしいです。ムー、残念。飲んでみたかったのに。

・モスクワ郊外の渋滞が酷かったです。凄い、のではなく、酷い。まず、車線という概念がない。折角片道4車線もあるのに、ちょっとでも渋滞してたら道路脇の未舗装砂利道を爆走して前に進もうとする。ロシアを走っている車にはウィンカーというものがついていないんではないか?と思われるほど、ウィンカーを出さない。やたら車間距離が短い。こんな状態ですんで事故が多い。事故が多いから渋滞するという悪循環。1日で4回事故現場を目撃し、その内1回はトラック炎上してました。後、洗車って概念も無さそうでした・・・金持ちの車は知りませんけどね。

・私の旅行メモによると、車の数>>>駐車場の数らしい。モスクワでの現地ガイドさんに訊いたんですが、私のメモには「無計画」とかしかなく、何がどう無計画なのか思い出せません。確か、法律で駐車場がないと云々、という話だったような・・・

・ソ連崩壊後、いきなり資本主義の波にのまれたロシア。そのなごりなのかなんなのか不明ですがヒャッハーしすぎてコンセプトが不明な、ラスベガスのホテルを悪趣味にしたような、ド派手なショッピングビルが郊外に沢山建ってました。あの手の建物って、どの国も一回通る定めなんでしょうか?

・今回のツアー団体の中で、モスクワで一番興奮していたのは間違いなく私でして、その理由というのがスターリン建築!そして、今まで国際関係や歴史の授業で読んだ本の中に出て来る建物が車窓から見えるから!モスクワに7つある摩天楼のうち、1つはホテルの窓からも見えました。アパートとかも極めてソ連的でみていて面白いです。ソ連時代のポスターとか芸術ってある意味洗練されていると思うんですが、建物も画一的で整然としてます。流石芸術関連にも口出ししたスターリンさんや・・・!まぁ、よっぽどの高級なものでない限り、アパートは住みやすそうには見えませんでしたが。

・Dumaやルビヤンカの前も何度か通ったので写真にパチリ。ホテルにあった英字新聞によると、丁度私が旅行中にプーチン政権下のDumaで外国資本のNGO(特に政治系NGO)を「foreign agents」として分類する、という法律が可決されちゃいまして、しかもその影響かなんかか不明とされていますが、CNNなど海外のケーブルテレビ放送がほぼ1日にわたってみれなくなったという状態でした。プーチン政権はどこに向かうんでしょうね?個人的には風土や文化といった理由から各国の政治体制志向というのは歴史から学ぶ事が出来ると考えているのですが、となると帝政ロシア、共産党の一党独裁という歴史を歩んできたロシアは、議会制や選挙システムは残しつつ、ある程度個人に権力が集まるのではないかと思います。それは良い、悪いではなく、そういうもんじゃないでしょうか。

・さて、今回はロシアでもヨーロッパ寄りの地域を中心にまわった訳ですが、それで気が付いたのが戦勝記念碑の多さ。一つ一つ調べて地図におとせば、論文一本書けるんじゃないか?と思いました。大都市の場合は大通りの中心にかなり大きな記念碑を建て、小さな町では町の入り口辺りに、そこそこの大きさの記念碑があった気がします。

・スターリンの奥さん(2番目)のお墓を見に行ったんですが、死因とか以外と皆さん知らないもんなんですね・・・有名だと思ってた。ところで、ロシアの墓地というか墓石はかなり個性的。バレリーナなら踊っている姿、軍人さんなら勲章いっぱいつけた胸像など個性溢れすぎて、どんな人のお墓なのか、みれば判る状態でした。因みに軍人さんは軍人さん向けエリアがあるようで、その辺の墓地は異様に堅苦しい。日本でいう青山霊園みたいな有名墓地でしたが、断トツド派手だったのはエルツィン元大統領のお墓でした。巨大なロシア国旗・・・お墓の写真を撮るのは嫌なんで、写真をお見せする事が出来ず残念ですが、なかなかの衝撃でした。

・赤の広場は当初午前中に見学の予定でしたが、警察学校の卒業式とかで封鎖中。しかし、そのお陰で時間がちょっと空き、隣接しているデパートの2階から覗き込み、写真をとりまくることができた、という個人的にはホクホク状態でした。しかも別のイベントもあり、民警・軍など総出していて、非常に興味深かったです。赤の広場よりこっそりスナイプした制服の方々の写真の方が多いのはご愛嬌。

・ロシアのお土産について。マトリョーシカなどロシア民芸品、ソ連グッズなど色々ありますが、会社へのお土産なんかでコストパフォーマンス重視の場合は「ミーシュカ」というお菓子をオススメします。これも佐藤優本に書いてあったのですが、このお菓子、ソ連時代はクレムリンとかそういった場所でしか手に入らなかったようです。いまではスーパーで一袋日本円にして200円弱(15個入り)で売ってますが・・・3匹の小熊の絵が書いてある水色の包装紙に包まれたチョコレート菓子で、私の職場の人曰く「懐かしい味」だそうです。因みに小熊の元絵はトレチャコフ美術館にあります。あと、私が余りに買い占めたので、事情を良くわからない同じツアーの人達が怪しんだというのも今となってはよい思い出。

・ロシア徴兵制について、訊いてきましたよ!18−27歳の間に2年間軍務につく必要があり、エルツィン時代に一度1年間になったんですが、またプーチン時代に2年に戻ったそうです。共産党時代は2年でした。記憶が曖昧なんですが、確か学生は免除らしく、徴兵逃れのために大学院で頑張っちゃう人もいるとか。お金があれば賄賂もOK。私が訊いた人は2000ドル賄賂払って免除してもらったそうです。

・ロシアって体制が変わる度に町の名前を変えてますが、意外と「通り」の名前はそのまま「レーニン通り」とか「キーロフ通り」とかが残ってます。通りの名前くらいなら別に良いかと思ったのかな?それとも、帝政ロシア時代からソ連への移り変わりで変更されたものだけ、元に戻しているんだろうか?謎だ・・・

・ロシアに旅行する場合必ずホテルにパスポートを預けて宿泊証明してもらう必要があるとのこと。恐らく、というかほぼ確実にソ連時代の国内パスポートの名残だと思うんですが、ビザ取るのも面倒な上、個人宅に泊まった場合はその地域管轄の内務省だか警察だかの支局にいって宿泊証明をしなければいけないという超面倒仕様。このシステムが残っている限り、ロシアへはツアーで行った方が楽かもしれません。治安については、日本より悪いというのはぶっちゃけ何処でも一緒なので、その辺の警戒心を忘れなければまぁ問題無いんじゃないでしょうか?取り敢えず、出国審査も入国審査並みに行列でした。アメリカなんて出国時の手続き何もないのにね。「宿泊証明のない日があったら怪しまれて別室送りなのかなー」とか考えながら行列に並んでました。

・最後にロシア語について。話す・聞くは最初から諦めてましたが、何とか読むだけは出来るようになりたいと元から思っています。その理由は単にロシア文学を原著で読んでみたいからなんですが、ロシア語はキリル文字で発音が全く違うんですよね。なので、お店とかでも看板と中の様子を見比べ「あーこれはcafeなのね」と理解したり。因みにカフェは「KAфE(もしかするとちょっと文字が違うかもしれませんが大体こんな感じの字だった)」でした。しかし、田舎に行くと完全に英語が通じない世界ですから、「これいくらですか?」とも訊けない。「観光客目当てに商売するなら、エジプトやカンボジアの子供並に数カ国語で『これ安いよ!』くらい言おうよ」と思っても、ロシアのおばあちゃんには通じない。いや、もしかすると逞しい子供はいるのかも知れないけど、少なくとも私は出会ってません。という訳で、サクランボをおやつに買いたくても意思疎通が出来ず困ってしまったんですが、流石そこは歳の功というか、そのロシアばあちゃんはおもむろに自分の指を1本突き出し、その後親指と人差し指で0を2回つくって、「100ルーブル」ということを教えてくれたのです。こうして私はもぎたてサクランボを無事お腹の中に納める事ができました。お互い意志があれば、言葉の壁をこえることが出来るんですね。ワー、パチパチと綺麗におさまったので、ロシア旅行について終わりにしたいと思います。

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