喧嘩を売ったつもりだったの・・・

今日の朝、電車の中で見かけて、「これは今晩のブログのネタにしよう」と、メモしたのが上記のツイートである。正しくは、本のタイトルは「臆病な僕でも勇者になれた7つの教え」、売りの文は「ようやく自分が好きになれた」。

普段から私のブログをご覧いただいている方は、私のツイートの意味は一目瞭然でしょう。そう、盛大に「おかしくないか?」と突っ込んでいるのである。「自分を好きになる」というが、自分を好きになる、その「好きになると感じるモノ(主体)は何者なのか?それは自分ではないのか?」と。そして、「好きになる対象」としての「自分」とはなんなのか?と。嫌がらせ以外何でもない、本を1Pたりとも読まずして、広告に盛大にケチをつけているこのツイートに対して、当の筆者は何を思ったのかリツイートの上、お気に入りまでつけてくれたのだ・・・おかげさまで、とっても焦ったわ。「感動しました!」「なんども読んでいます!!」こういうツイートに混じって、私のツイートが出てくるわけです。みんなこれが嫌味ってわからないのかしら?そのうち熱心な信者(多そう・・・)に刺されないかしら、私?

折角なので、ググってあらすじを調べてみたが・・・ま、今後私が読むことはあるまい。自己肯定も自己否定も、「そもそも自己とはなんだろうか?私は一体何者なのか?」と考えている立場からすれば、大差なんぞないんである。肯定しているのは誰なのか?否定されているのは誰なのか?つまり私は一体誰なのか?それさえもわからないのに、肯定も否定もする意味がない。ただ、わかっているのは「私は私」、否定も肯定も自らその対象とすることができない「私」というただ一点があることである。でもまぁ、哲学ってその「私」が「善く生きる」ことを考えちゃったりするもんだから、一点である「私」が「生きる」という行動にどう結びつくのよ?という難しさでいっぱいなんですよね、結局。

ここまで書けば流石にわかってもらえるかな?しかし、どんなにググっても皆褒めている感想ばかり。何だか怖くなってきた。

 

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