戦死した大伯父の話

先週末の連休は先の戦争で戦死した母方の大伯父について調べてもらいに靖国神社へ行ってきた。大伯父の弟である私の祖父はそれなりに状況を知っていたのだろうが、どうもあまりに仲のよい兄弟だったらしく、何かにつけ(例えば、学徒出陣であったと知っていた私が中学生の頃に「きけわだつみのこえ」を貸そうとした時など)号泣するものだから、肝心なことは全く聞けないままに祖父も数年前に亡くなってしまったのである。1ヶ月ほど前、たまたま家系図を眺めていて亡くなったのが6月末であることに気がついたことと、知り合いから靖国神社で調べてもらえるとの情報を頂いたタイミングが重なった。それで母や叔父に何か知っているのかと聞いたところ、大学の名前、学徒出陣であったこと、亡くなった場所(国名)くらいしか確定情報として分からず、部隊名はもちろん、陸軍か海軍かも分からなかった。母に至っては「グアムの海に沈んでいた日本軍の飛行機見て(祖父が)泣いていたから、多分空軍だと思う」と言い始める始末。確かに母の思い込みによって、我ら姉妹は特攻で亡くなったと小さい頃から思い込んでいたのである。(今は、少なくとも私は、その当時空軍が組織としてないことを知っている。)

とにかく、「こんな状態では亡くなった大伯父も報われない」と私が靖国神社に行ってきた。先ほど書いた通り、所属が陸か海かも分からないし、入隊日も分からない。知っているのは学徒出陣で、亡くなった日と亡くなった国名、そして本名だけである。受付の方にも「同姓同名がいると分からない可能性が高い」と念をおされた。この時点で「うぅ。不甲斐ない子孫ですみません・・・」と全世界に向けて謝りたくなる。・・・が、以外とすんなり記録が出てきた。15分ほどで地図や本のコピーも出てきたスピードである。おそらくではあるが、大伯父の名前がとても特殊で、まぁ、今でいうキラキラネームに近かったからだろう。(もしくは戦死日が特定できていたからかもしれない。)

で、肝心の戦死の状況だが終戦の年の6月末のフィリピンのルソン島内陸部であった。ちゃんと歴史を勉強していれば、「アーロン収容所」や「ビルマの竪琴」を読んでいれば、馬鹿でも状況は想像できる。Wikiにもある通り

 大半がジャングルのルソン島の日本軍は、食糧の補給は完全に途絶えて餓死者が続出し、マラリアや赤痢にかかる者が続出した。部隊としての統制は乱れ、小部隊ごとに山中に散開して生活していた。降伏は固く禁じられていたため、伝染病にかかった者はそのまま死ぬか自決し、衰弱した日本兵は抗日ゲリラや現地民族に襲撃され消耗していった。飢えた兵士は食糧を求めて村や現地人を襲い、戦争どころではなくなった。兵士の間で台湾までたどり着けば助かると信じられていたために、筏を作ったり泳いで台湾まで行こうとするものまでいた。

という状況だったのだろう。祖父の号泣ももっともなのだ。

どうも事務方だったらしく、戦史にも普通の戦闘部隊ほどは記述が多くなく、例えばどこをどのように移動した等は分からないらしい。とはいえ、都庁に行けば軍歴照会で入隊からの兵歴を調べられることも分かった。ただ、紹介するのは遺族限定とのことで、これから先については叔父に任せる予定。どれほど信憑性があるのかは極めて怪しいが、それでも亡くなった町の名前までは特定できたので、いつか行きたいと思っている。

 

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