間接的に人の死を願う?

またまた池田晶子女史の本を読んでいて考えてたこと。週刊誌での連載をまとめたものなので、当時(1990年代終わり〜2000年頃)社会を賑わしたことを取りあげていることが多いのだけど、そのうちの一つに保険金殺人の話があった。最近はあまり保険金殺人のニュースを聞かないように思うが、さてはて、これは純減しているからか、それとも単に私が世間に追いついていないだけなのか。新聞はとっていないし、テレビも持っていないので、ニュースの類は専らネットである。それで公平性を保って情報を手に入れられるのか?と言われそうだが、そもそも、それは新聞やテレビを見ていても同じことである。どのみち世の中のニュース(事件や政治等)全てを知ることは出来っこないんだし、今のままで十分です。

さて、とにかく保険金殺人について。

いったい、この「他人に保険をかける」というのは、どのような発想、どのような心性なのだろうか。(中略)ましてや、自分の子供に保険をかけるというのは、どういうことなのだろうか。将来その子が稼ぐべきはずの金を見越して、ということなのだろうか。その金を失うのが惜しいから、保険をかけておくということなのだろうか。それとも、同じ死なれるなら、タダで死なれるよりも金が入った方がいいから、それで保険をかけておくということなのだろうか。

そもそも保険とはなんなのだろう?と考えてみると、それは本来的には死んだ命そのものではなく、死んだことによる生活上損失に対する補填なのではないか?つまり、命そのものに金額が付いているのではなく、命を失うことにより失われる生活に金額が付いているのが本来の保険なのだろうと思う。となると、そもそも子供に生命保険をかけるということ自体、妙なことになる。子供が順調に育っても、その稼ぎが親のものになるわけではないからだ。まぁ、仕送りとか老後の面倒とかそういう期待値はあるだろうが、そのことも、ものすごく潔癖な視点から見れば、(子供を産み育てる目的の一部として)不純である。人の命、人の人生をそのような不純な眼差してみるのが人として善いことなのか。そんなわけないですよね。

他人に保険をかけるという発想自体が、その人の死を願うということでしかないとしか私には思えないのだが、違うだろうか。

これは極論。「生活上損失に対する補填」、これくらいは許容しないと、多分この社会は生きにくい。保険をかけるかどうかではなく、保険をかけた上で「ちらりとでも(保険金に目が眩んで)その死を願う」か否か、そのラインがむしろ、人の品性を決めるのでしょう。本当のことを言えば、「ちらりとでも人の命をお金に換算する」か否か、こそが品性の正しい見極めラインだと思うのだが、その場合、そもそも保険というものが成り立たないのです。

同様に脳死による臓器移植についても、「臓器が欲しい」と願うことは、すなわち人の死を願っているのではないか?と疑問を呈していたが、これも、ものすごく純粋な立場からの発言だと感じる。まぁ、私自身は心身ともに健康で臓器を欲しいと願うよりも、なんかの拍子で提供者になる可能性の方がまだ高いと思われるくらいなので、「臓器提供がないと死んでしまう」というギリギリのシチュエーションは想像もできない。なのであくまで提供者になるかも知れない立場でしか考えられないわけだが、その立場として池田晶子女史の意見に賛成なのは「提供するならばより善い人間に」である。30数年、食べ物に気を使い、酒もタバコも嗜まず、大事にメンテナンスをしてきたこの体、いくら望まれたと言えど、くだらない人間の一部になるのは釈然としない。ただ、脳死というのは突然だし、やれ血液型やなんらや、望む人間に望むタイミングで我が臓器をお渡しすることは難しい。というわけで、この秋更新した運転免許の裏は以下の通り。


「私は、脳死後及び心臓が停止した死後のいずれでも、移植のために臓器を提供します。(臓器の制限なし)」

「特記欄:提供先は自衛官、消防士、警察官、海上保安官に限る」


ものすごく安易に職業で分けてみました。他人の(身の)安全を直接に守る人たちを、私は尊敬しているので。志低くその職業を選択した人もいるだろうし、汚職警察官もいるし、淫行自衛官もニュースになっているが、その辺はしょうがない。魂のありかという意味では、まだまだ考える必要があるが、移植した臓器には前の持ち主の心が宿っているとしか思えないような現象が現に起きているというし、万が一、くだらない人間に移植されたら臓器(心)の底から呪ってやろう。同時に、他の職業で志高く、他の人のために日々邁進している方もいようが、その辺も目を瞑る。特記欄にはこれ以上書くスペースがなかったんである。問題はこの手の仕事をしている人は、臓器を必要としていなさそうなことだ。次の免許更新まで5年、多分問題なく生き抜いているはずだが、どこでどうなるかわからないのが人生である。その時は、その時。いいようにしてください。

 

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