ネットリンチはなぜ起きる?

読みましたー、読みましたよ、この本。新書にしては珍しい翻訳本。日本の話ではなく、主にアメリカの話であるため、あまり馴染みのない事件というか出来事を取り扱っていますが、まぁ、本質では日本で起きていることと変わらないかもしれない。(でも違うかもしれない。)

ちょうどこんな記事も見かけた↓

「婚約指輪のダイヤが超小さかった…」と写真つきでツイートした女性、ネット民から集中砲火を浴びる

で、考えたことなんですが、ネットで炎上するかしないかの境目というか、炎上のしやすさって「誰が、どこで見つけたか」にあるんじゃなかろうか?多分、いわゆるマスメディア(テレビ・雑誌・新聞など)に取り上げられているだけじゃ、そう簡単には炎上しない。ジャスティン・サッコも(ハンクというより)アドリア・リチャーズも、リンゼー・ストーンも、SNSに投稿して、それを一般人に見つけられて大炎上。この本の中で「炎上しなかった例」で取り上げられていたのは、ネット上ではなくメディアによって公開されたものばかりだった。メディアで取り上げられたことをネット上で叩くことはもちろん可能だけれども、大炎上するにはやっぱり同じフィールドに火元がないとダメなのかも。

さらに、「(攻撃の対象となる言動を)人に暴露されたか、自ら投稿したか」も境目かもしれない。「人に暴露される」というのは、誤報や冤罪の可能性が必ずある。でも、自ら投稿した内容については、言い訳無用、と無意識に皆考えているのではなかろうか?もちろん、今は「SMは恥ずべき性癖かもしれないが、悪いことではない」と考える時代だからかもしれないし、「男性の性にまつわる行動は問題ではない」という社会的通念(逆に言えば「女性が性に奔放なのは問題」という通念)がまだ残っているからかもしれない。でも、「メディアが見つけたか?SNS上に火元があったか?」という違いと「人が見つけたのか?自ら投稿したのか?」という違いは、炎上度に結構影響していると思うんだよね。

何れにしても、火元には必ず想像力の欠如がある。「これを投稿したら誰かが不快に思うかもしれない。誰かが悲しむかもしれない。」といった想像力があれば、同じジョークでももう少し品のある言い方になるだろうし、馬鹿すぎることはしないだろう。しかし、それを気にしすぎると自己検閲が過ぎ、何もできなくなってしまう。

同時に、炎上に加担した人間側にも同様に品性を求めるべきでしょう。ポリティカルコネクトネスなんて言葉がありますが、「コネクトネス=正しさ」なんてのは、本来絶対正義しかないわけで、それは多分、人が思っているよりもずっとピンポイントで同時に普遍的なものなのです。そんな境地、中々到達できないんだから、お互い想像力を働かせて、「これを投稿したら嫌な気持ちになる人がいるだろうな」とか「こんな下品なジョーク、とっちめてやりたいけど、すでに謝罪してるし、コテンパンにしすぎるのはやっぱりかわいそうだよな」と考えながら、発言すればよろし。それくらいの想像力、さすがに身につけましょうよ。

 

Leave a Reply