何がなくなれば人は死ぬのか?

【ガチ】人は死の瞬間に“自分が死んだ事実”を認識することが研究で判明! 「医者の死亡宣告も聞いた」遺体には意識が宿り続けている(米研究)

ですって!

とはいえ、このタイトルには重要な点が抜け落ちている。正しくは、「【ガチ】人は心臓停止の瞬間に“自分の肉体が死んだ事実”を認識することが研究で判明! 「医者の死亡宣告も聞いた」遺体には意識が宿り続けている(米研究)」であろう。つまり、この記事は「心臓停止=ほぼ同時に脳死=人の死」と暗に定義しているんだな。しかも、臨死体験をした人による話。つまり心臓が再び動き出し、語ることができる人たちの話である。私からは一言。「その人は死んでいないのでは?」

結局、人は他人をその人の魂(精神、意識)+肉体セットで認識していて、目に見える肉体が動かなくなると、なにせ魂は目に見えないものだから容易に感じることができなくなり、「死んだ」とみなすのだと思う。が、今回の研究でわかったのが、実際に肉体は一瞬滅びかけても、魂は残っているケースもあるよ、と。であれば、魂そのものは存在しているわけで、はて、これは死んでいるのだろうか?心臓発作で死んだのは、誰なのか?心臓発作で死んでいる自分を認識する、これは、だれなのか?

「死体」は見えても、「死」はみえないのである。「死体」は物質だが、「死」は物質ではないのである。物質ではないということは、観念であるということであり、正確には、「言葉」である。死とは、「言葉」であり、また、言葉「でしかない」。(池田晶子「考える日々前編 P253)

思い出した。そういえば、魂の二分割論について、半年ほど前に人と話したっけ。(このブログにもまるっとアップしている。)結局今回の話もそれにつながるのだろう。私の体は、私なのか?

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