昭和は続くよ、どこまでも。

    

相変わらず昭和史(主に前半)を読みすすめております。記憶力がないので、未だに石原莞爾と武藤章の関係をスラスラ言えるほどではないけれど、読めば「そうそう」と言えることくらいには、わかってきた(つもり)。その流れで、数年間見て見ぬ振りしていたアントニー・ビーヴァーの第二次世界大戦(白水社の分厚いの3冊)に手を出すことも確定。新年早々、大物に手を出すことになり、打ち震えていたりします。 [1] … Continue reading余談ですが、白水社はどうして、ああも私の好みにドンピシャな(お値段高めの)歴史本ばかり出すんでしょうか?きっと私を破産させようとしているエージェントの回し者に違いない。そんな白水社のページはこちらから。

さて、白水社ではないけれども直近読んだ本の感想をパラパラと。まずは、対談本について。戦中の記憶ある半藤一利と、戦後生まれの宮部みゆきが、お互い10個ずつ昭和史上の事件をピックアップして、そのリストを元に語り合う・・・という内容なんですが、結構話がそれる。でもそれが面白かったりする、そんな本です。そんな中でなるほどなーと思ったのが、東京裁判のくだり。最初は色々な罪状があったけれども、裁判が進んで調べていくうちに、ドイツでの裁判のように「こいつが絶対的に悪い!」といえなくなってしまった。アメリカ人からすれば「???」かもしれないけれど、結局「その時の空気がそうだった」、だから「人が変わってもその流れで進んでしまった」という感じで、戦争に進んだんだと思います。個人というより集団、組織としての罪、というか。ある意味、陸軍悪玉説が一般的になって、組織として裁かれたとも言えなくはないけれども、再発防止はしにくい。いま、半藤一利と佐藤優の対談本を読んでいるところですが、戦前・戦中の陸海軍、官僚、政治家の悪いところは、現在にも引き継がれている気がします。戦争後も、戦中からの組織を引き継いでいるんだから、当たり前といえば当たり前だけど。でも、その空気をぶち壊すには、強烈な個人が必要なわけで、それはそれで問題・・・強烈な個性の先にヒトラーがいたわけですから。国でも、官僚でも、軍隊でも、会社の中でも、組織って一度生まれると、よっぽどのことがない限り、なぜか生き残ろうとする力が働くんですよね。人間ではないし、組織自体は概念でしかないのに、謎。

ちなみに、この本で「ゴジラ」が取り上げられていたので、初めて見てみたんですが、現代技術に毒されてしまった私は「声が聞き取りにくい」「白黒ではっきり見えない」「演技がちょっとわざとらしい」というのが気になって、当時の人が感じたような「怖さ」とかは正直よくわからなかった。むしろ、「ははぁ、シンゴジラのあのシーンはこれをオマージュしているんだな」とか「このシーンはむしろ平成ガメラのあのシーンだな」とか、オタクな見方しちゃってました。それでも、映画の中に「多分当時の人は戦争(原爆)を思い出すんだろうな」とか、感じたシーンが幾つかあったりして、まぁ、まだ時間があるので、後でもう一回見てみます。

そして、次の本。「陸軍良識派の研究」は、「そもそも良識派ってなんやねん」というところから出発しているし、読者から一番突っ込まれる部分だとは思うんですが、しつこく説明しつつ、保坂正康氏が考える良識派軍人を個別に取り上げた本です。知っている名前もあれば初耳な名前もあるんですが、一番興味深かったのが「堀栄三」の章。在日ドイツ駐在武官の示唆で情報に興味を持ち、最終的に飛び石作戦の戦略(まぁ、もう少し広い目で見れば、戦術かもしれない)も、フィリピンの山下奉文に提案した「米軍は山が嫌い」という戦術(作戦?)まで、なんと幅広く正しく物事を捉えていたのだろうか。幸い、著作があるので、早速取り寄せてみました。また読んだらここに書きます。

 

 

References

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1 その前にスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチのユートピアシリーズ最後の本と、「太平洋の赤い星」という中国海軍の本もドドーンと待っている・・・読み終わるのか?これは。

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