やる気満々だったスターリン

633ページの単行本、しかもこの表紙。おそらく京極堂シリーズ同様「角で殴れば人を殺れる本」に認定して問題ないと思うのですが、以外とサクサクと読めました。注釈と参考資料と合間あいまに挟まれる命令書等の日本語訳を全部読み飛ばしたからね!!いや、知識というか理解のためには読んだ方がいいことはわかってる。実際読み進めようとした。でも、注釈はいいにしても、間に差し込まれるそのタイミングが本文の流れとなんだかちょっとだけズレていて、とても読みにくい。写真の挿入も1〜2ページくらいズレているような・・・ということで、飛ばして読んだら多分300〜400ページくらいしか実質なかったと思うの。

と、本に対する文句から始まったけれども、こちらの本も私の既存認識を覆す内容でなかなかおもしろかった。開戦までの話なので、大きく「不可侵条約締結まで」「ポーランド侵攻前後」「バルバロッサ作戦まで」の3つに分けられるんだけど、概要をざっと箇条書きにすると以下の通り。

  • 前提として、独ソはそれぞれ相手のイデオロギーを信用できていない。
  • ソ連は当初英仏に接近しようともしていたが、ソ連が英仏と手を結んだ場合、ドイツはポーランドを諦め、英仏との和解の道を選ぶかもしれない。それよりはむしろ、ドイツと手を結んで、ポーランド占領を成し遂げた上で、ドイツと英仏を長く戦争させ、その両方の陣営が疲弊させるほうが、ソ連としては利益が大きい。
  • ヒトラーとしてはソ連も同時にポーランド侵攻して欲しかったが、スターリンは、タイミングを少し遅らせた上にポーランド領内の白ロシア人とウクライナ人保護を名目にした。
  • ドイツが西方攻勢をかけるかどうか悩んでいる間に、スターリンはバルト諸国やフィンランドに手を伸ばした。(で、フィンランドではスターリンは恥をかくことになった。)
  • スターリンはその後、ドイツに打って出るつもりで、攻撃部隊の準備を進めていたが、結局ヒトラーが先手を打ったため、防御体制が整っていない(攻撃体制構築中の前線の)部隊は、ドイツに蹴散らされてしまった。

ざっとこんな感じかな。その他さらりと述べられていた点としては、ソ連は1940年には極東での戦争を企てていた可能性があることも。

この本を読んでつくづく感じたのが、いかに日露戦争の勝利が奇跡だったか、ということ。領土も資源もある大国を相手に、局地戦で勝ちきって、とっとと講和に持ち込んだ当時の日本のその潔さも天晴れだけど、その時のロシアにスターリンもプーチンもいなかったことはなんと幸運だったのだろう!スターリンいたら勝てなかったよ、ほんと。

そして、もう一つ。戦前日本(今も?)のダメなところとして、アメリカとの国力差など、見たくない現実を見ないふりしていた点があると思うのだけれども、現実を見ないのはドイツ軍も一緒でした。ソ連との物量差に目をつぶり、まだ平和の時に行われたソ連の軍事使節団にⅣ型戦車が最新だよ!と言っても信じてもらえない様子を見れば、ソ連はもっと良い戦車を保有していることに十分気がつけたはず。もちろん、「見たくない現実を見ないふり」しようとしたのはスターリンも同じ。「ドイツは42年にソ連に侵攻してこようとするはずだ」「であれば、ソ連は41年にドイツに侵攻して先手を取る」というアイデアに執着したために、ソ連はドイツに対して「防衛」の準備が間に合わなかった。でも、ドイツが先に仕掛けたおかげで、「大祖国戦争」という防衛戦争としての面目が国内外に保てたので、そのまま戦後うまい具合に戦勝国として、東ヨーロッパにおける影響力を保てた・・・と。

ほんとスターリンは怖い。国際社会上の規定なんぞ大して守る気もないのに [1]守ってたらシベリア抑留とかないぞ、国際社会上の規定を盾にして自分の言い分を通しているのだから。歴史上、ここまでやりたいことをやりきった人は他にいるんだろうか?少なくとも近代以降はいなさそう。ポスト・スターリンが出ないことを祈るばかりです。

References

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1 守ってたらシベリア抑留とかないぞ

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