徒然日記

例の「スリーパー」絡みの炎上について、ひとつ書いてみようかと思ってたんだけど、完全にタイミングを逃してしまった。お陰様で「Twitter上であのひと、美人じゃないだろと喚いて終わる」という私の人間性の危機的状況なのだが、念のため、もう一度説明しておく。私は「美人って言われるし、ま、実際わたしゃ美人ですけど、何か?という顔をした本当の美人(池田晶子)」や「昔からブスブス言われてたから知ってるわよ。だから努力してんじゃない?え?今の私、美人?お世辞でもアリガトー!!(林真理子)」みたいなタイプは嫌いじゃない。中途半端な顔で「え?私美人?うれしい・・・でも、美人って言われて喜ぶとブスっぽいからスルーしよ(でも行動で気にしてるのがなんとなく透けてみえる)」ってタイプが嫌いなのだ。高校の時にやらされた進路適正テストのマークシートで「どちらともいえない」がひとつもなかった私です。中途半端が嫌いなだけらしい。最後に、自分の顔も出さずに卑怯ではないかと考える方もいらっしゃると思うので、念のため言っておくと、私は林真理子型である。小学生高学年の頃、私を見て母親は当時世間を賑わした某カルトの教祖みたいだとのたもうたのだから・・・まだ未婚ですが、結婚式のスライドショーは絶対にやらないと固く心に誓っております。

話は変わって、最近読んでる本の話。昭和日本史ブームは継続中なのだが、先の連休に京都に行ってふと「私は懐石料理についてしらないなぁ」と気がついた。向付、これは単語として知っているが、イコールお刺身である事は霧の向こうにある。こんな感じで、懐石料理を作ろうとは思わないが、知っておきたいと思ったので、図書館で一式借りてみた。 茶道についても、昔習っていたのでそれなりの知識はあるが、これもまた霧の向こう側に行きつつある。懐石料理は茶事ですもんね!ということで、最初に読んだのが以下の本だったのだが・・・

正直、私の肌には合わなかった。内容はいいんだけれども、ちょっぴりポエムっぽい文章が苦手。

口に含んだ瞬間、液体のほうからからだの奥へ奥へと入ってくる。口腔、した、喉の輪郭が、みどり色に光り、内側から浮かびあがる。そうして腹。自分の腹はこんなにも広々と、空にむかってひらかれていたのか。まさに原。みどり色に濡れそぼった草の大地だ。

その空から、声が響く。雷のように。釜鳴りのように。

ねろり。

口に含みながら、声を味わう。薄闇を味わう。僕の中で緑が笑っている。闇は微光をふくんだひたひたの水となってひろがっていく。もう一度あらためて理解する、生き物のほとんどが実は水でできていることを。

こちらが、お濃茶を飲んだ時について・・・この世にこんなことを考えながらお茶を飲む人がいるのだろうか?もう少し、無心なんじゃなかろうか??ちなみに私が初めてお濃茶を飲んだ時の感想を申し上げると「苦っ!濃っ!」と非常に一般的かつ常識的である。「まだ若い(中学生だった)から問題なかろう」とのお家元の判断もあり、お菓子に釣られてお濃茶1席と薄茶2席のお稽古の「お客役」をやらされたのだが、さすがにその晩は寝つきが悪かったことしか覚えていない。

とにかく、全編にわたってニガテーな文章だったのだが、字が大きいのに助けられ、早々に読了。今は和食全般についての本を読んでいる。こちらは「なんとなーく知っている霧の向こうの世界をつなげた」本。平安時代の人がどんなものを食べていたとか、行楽弁当の話とか・・・頭の引き出しの整理にもってこいの内容で、楽しく読んでいる。

この後は、ちょっぴり実践的?に懐石料理の盛り付けの方法についての本やNHKの美の壺シリーズに手を出す予定。とはいえ、繰り返しになるが、懐石料理をつくろうという魂胆は微塵もなく、基本は知識欲。ついでに、最近は日本酒が美味しいと思えるようになってきたので、その肴をパッと作れるようになりたい、その時に集めている豆皿で美しく出したいという野望がある。家でまったり飲むだなんて、贅沢の極みじゃないですか。

 

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