通訳できる人はすごい!

最近真面目な投稿が続いたので、たまには馬鹿の方に振り切れてみようかと思ったのだが、いざ考え始めると、なかなか馬鹿な話題が思いつかない。「わたしって、真面目」と自画自賛しました・・・と馬鹿な行為をご報告するくらいしか、思いつかないのである。というわけで、最近読んでいる本の話題。え?イアン・カーショーのヒトラー伝はどうしたって?ちゃんと読んでますよ。たまに猛烈に眠たくなることがありますが。

さて、今読んでいる本は米原万里のエッセイ集。この人の本を読むとつくづく思うのだが、一体全体通訳できる人の脳みそってどうなっているんだろうか?特に同時通訳など驚嘆するしかない。そういえば、ちょっと前のルトワックの講演会でも運良く前の方に座れたので、真後ろから同時通訳の方々のメモを見ることができたんだが、聴きながら書き、読みながら喋っているのである。すごい、すごすぎる!!

「あなた、留学してたんでしょ?アメリカの大学を卒業なさってるんでしょ?」という方もいらっしゃるかもしれない。確かにわたしはアメリカの大学の学位を持っている。でも、通訳はできない。英文・和文の和訳・英訳も苦手である。自分の書いた論文の和訳も苦労したくらいなのだ。「きっと幼少期から英語に慣れていらっしゃるのね。英語脳ができているのね」と考える方がいるかもしれないが、ぶっちゃけ私が英語のクラスで下から10番の地位を脱したのは高校2年生のときだった。小学校4年の時だったか、よくある「オーストラリア7日間の旅」みたいなのに、同年代の子供たちと行ったことがあるが、そこでも「そっくす?なんか聞いたことのある単語・・・」というレベルで、本当に惨めだった記憶しかない。

話を戻す。とにかく、私は2ヶ国語の間を行ったり来たりが苦手で、会社で「acceptedってどういう意味?」って聞かれて「acceptedはacceptedだよ!」と半ギレで答えたくらい。英語で読んだり聞いたりする時は頭の中が英語モードになってしまい、日本語は滅多に出てこない。ので、無理に翻訳しようとすると、一気に日本語が不自由な人になってしまう。だいたい、日本語も英語も、文法や構文を無視して、流れで読んじゃうので、細かい構文に基づいた訳出など、無理に決まっているのだ。こんな状態を自覚せずに、翻訳のオフ会に手を出して本当に申し訳ございませんでした、O先生・・・

図らずも懺悔して終わってしまった。そして思いの外、馬鹿な内容になってしまった。とりあえず、本のについて・・・と始めたので、本の話で終わります。米原万里女史曰く、「どの国もクソッ!と叫ぶ時は、みな排泄物を指す単語である」とのこと。女史も推測している通り、言語体系の必然なのか、それとも一つの民族・集団が広めたのか・・・これは非常に気になるところ。詳しい方がいたら、教えて下さい。

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