絶対悪とかそういうものについて(ヒトラー・ドイツから)

映画「ヒトラー 〜最期の12日間〜」をAmazonプライムで観てから、私の中で何度目かわからないナチス・ドイツに関する読書がマイブームになっている。映画自体は長いし、誰が誰だかわかりにくいので、一旦観て、原作を読んで、もう一回飛ばしながら興味深いところだけを見る必要があるが、よくまあ、あれだけのクオリティーで作ったな、というのが正直な感想。おかげさまで、国防軍の制服とSSの制服が見分けられるようになりました。今まで、区別つかなかったんです。後、一部SS将校や医師たちについて、好意的とも言えるキャラ付けをしているので、実際の地下壕での言動はともかく、それ以前の戦地等での行動を無視して「いい人じゃん」という認識を持つ人も多いのではないか? [1]モーンケなど特にその辺はドイツでも賛否両論あったらしいが、本当に要注意。

    

さて、今のところ読んだのは、映画の底本になった「ヒトラー 最期の12日間」「私はヒトラーの秘書だった」と、「ヒトラーの死を見とどけた男 地下壕最期の生き残りの証言」であり、この後はもう少し踏み込んでナチス・ドイツ史大家 [2]イアン・カーショーアントニー・ビーヴァーなど。どれも分厚くて二の足どころか十の足を踏むレベルなんですが・・・の本に手を出す予定。

で、なぜもこう私がヒトラーやナチス・ドイツ、更にはスターリンや毛沢東に興味があるかといえば、「人はどこまで悪しき存在になれるのか?」という点に尽きる。ヒトラーは「絶対悪」なのだろうか?ヒトラーは身近な人には親切だったという描写も読んだ本にはある。 [3]顕著なのは「私はヒトラーの秘書だった」だとしたら、その優しさや気遣いは絶対悪のなかのどこを占めるのだろう?ヒトラーでなくともナチス高官やSS将校達は?自身の家族に対する優しさと、戦場や強制収容所での行動の乖離は何故なのだろう?それがわからない限り、人がどこから悪しき存在になるのか、わからない。要は自分自身も何かのきっかけで、そっちに足を踏み入れるのではないか?という恐れがあるんだな、私は。陳腐な悪と日常を線引くものはどこにあるのか・・・ヒトラーやアイヒマンを我々は絶対の善の立場から断罪できるのか?では、抑圧された他者に無関心だったナチス・ドイツ国民については?もし「あの頃のドイツ国民も罪人だ」と言うならば、現在のシリアの状況を知りながら何もしない多くの人間も罪人だろう。実は知っているのに放置している、その自覚がないのは許されるのだろうか? [4]何に?こうなると、ハンナ・アーレントを本格的に読み込まないとダメだなーと思ってる。

ちなみに、これは完全に余談だけれども、個人的にはスターリンの方が人としての優しさ部分がより少なく感じる。もちろん、それは単にスターリンに関する資料や証言が秘匿されていたり、純粋に少ないせいなのかもしれない。ただ、ヒトラー関連の本や日本昭和史を読む限り、スターリンのやり手っぷりが半端ない。ロシアの気質なのかはわからないが、ルトワックのいう「ロシア人は戦略が得意」というのは、本当だと思う。

 

References

References
1 モーンケなど特に
2 イアン・カーショーアントニー・ビーヴァーなど。どれも分厚くて二の足どころか十の足を踏むレベルなんですが・・・
3 顕著なのは「私はヒトラーの秘書だった」
4 何に?

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