もし二・二六事件の青年将校がルトワックの「クーデター入門」を読んだら1

「絶対にこのタイトルにするんだ!」と数日間暖めてたので、実際は小説仕立てじゃないし、可愛いマネージャーも出てこないんですが(ついでに病弱な美少女も出てこない)、このまま突っ切ります。 先にご了承いただきたいのが、この一連のシリーズを書く際、二・二六事件がらみの資料は手元にありません。よっぽどちゃんと調べたくなったら用意するかもですが、基本は今まで読み漁った記憶ベースです。なんで、間違ってたらごめんなさい。優しく指摘してほしいです。一応 、記憶に自信のない部分はググったりします。学術論文じゃないから、註釈、出典も割愛させていただきます。

初回はそもそも「二・二六事件はクーデターなのか」をルトワックの定義から考えてみるところから。まず、似たような手段として、革命は「指導層の人物の交代だけではなく、社会や政治の構造の変化が狙われる」、内戦は「政府打倒をめざす諸分子間、もしくは国民が大々的に参加する、あからさまな戦い」。プロヌンシアミエントは「軍全体によって政権奪取を行う」。プッチは「実質的に戦時、または終戦直後の現象であり、軍内部の正式な一単位の組織が、正式な指導者に率いられて実行されるもの」。解放は「外国の軍事的、または外交的干渉によって転覆された」とき。

この中では、ルトワックの定義に基づくと、革命というのが実は一番二・二六事件に近いと考えられる。というのも、北一輝の国体論は、実際のところ左翼的な思想で [1]ここで主張されていることは、戦後実現したことが多い。象徴天皇だったり、農地解放だったり。、天皇大権による革命を描いていたし、一部の将校(特に首謀者)はその考え方に共感していたと分類出来るとの研究結果もある。 [2] … Continue readingとは言え、二・二六事件のキッカケになった「日本改造法案大綱」では天皇制廃止論までは至っていないため、完璧な革命思想ではない、と言えそう。それに、実際の襲撃もあくまで政治家や高級士官のみ。その後のプランも自分達の思想に近い人を総理大臣に仕立てるつもりだった。なので、天皇制日本という枠組みそのものを壊すつもりはなかった決起=ルトワックのいう革命ではない、と断言できるでしょう。

もちろん、民族解放戦争でも反乱でもない(「国家内の権力の奪取ではなく、別国家の立ち上げを意図」したわけではない)。ルトワックの「クーデターとは国家機関の中の、小規模でも決定的に重要な部分へ浸透し、その部分を利用して、政府全体の支配権を奪うもの」という定義、やはりこれが二・二六事件に一番ピタリと当てはまりそうです。

 

References

References
1 ここで主張されていることは、戦後実現したことが多い。象徴天皇だったり、農地解放だったり。
2 もちろん、単に現行の天皇制の中でよりよい社会をと願った青年将校もいれば、どちらとも言えない(どっちつかずというより、そのへん何も深く考えていない)青年将校もいたらしい。

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