3学魔の講演会(高山宏・松岡正剛・荒俣宏)

先週、大妻女子大学で高山宏主催、松岡正剛&荒俣宏の講演会があったので、出かけてきた。

連続講演会「知舞い学躍る。大妻の空、大妻の夏。」開催

中には、荒俣宏ファン(「アラマタ大辞典」の読者っぽい)と思わしき、10歳くらいの子供も2人いたが、講演内容はオトナ向けでした。というか、オトナもあまりついていけなかったのではないか?私もしょっぱなに出てきた大妻コタカについては知らなかったし、カイヨワも読んでいない。多分、あの場で話されていたことの4割くらいしか理解できていなかったと思う。

さて、3人揃ったことがなく、内容についてもノープランだったので、講演場所が場所でもあり、最初の話題は前述の大妻コタカについて。かつての女学校の教えは家庭の中でなんでもできる「スーパー主婦」を目指していた、らしい。その影響もあり、別に収入に結びつくわけでもないのに、多芸・多趣味の人が多かったとか。で、戦後を支えたのはそういう女性だったのでは?と。まぁ、裁縫などは収入にも結びつくし、実際、二・二六事件で死刑になった青年将校たちの奥様方のうち、何人かは裁縫教室で身を立てて暮らしていたりするので、女学校の教えが全て仕事にならないような教養ではなかろう。とはいえ、色々幅広く習ったということが、多趣味に繋がったことは間違い。人間、最初の幅が狭いと、途中で広くするのは非常に難しいものなのだから・・・ちなみに、荒俣宏の母君は、米軍の兵士に対して、英語もわからないのに、最終的には10倍の値段で店の焼き物を売りつけたらしい。なんともたくましい話。

で、そんな主婦がスーパーに行って、家の冷蔵庫の状況と家族の体調、その日の気温や昨日の献立を踏まえつつ、セール情報を見、献立を組みなおし、最終的に購入する過程、これこそ編集である。確かに、手持ちの情報と新しい情報を組み合わせながら、(当初の想定外のものだったりすることもある)新しい状態を作って行く・・・というのは編集に違いない。となると、最近大流行りの「ミールキット」、これは編集力ダウンの原因になるのではないか?全てがパッケージで揃っており、同梱レシピの通りに作れば、写真通りに食卓に並ぶ。「考えなくて良い」ように作られているので、そこから逸脱するのは難易度が高い。せいぜい、家に残っていたピーマン足しちゃえ!くらいである。実はわたくし、ミールキットを作っている側の人間なので、うーんと思うことしきり。 [1] … Continue reading人間は便利さと時間のために、何を失っているのか?

ここで話は「口→肛門」がシステムの原型で、インプット&アウトプットになっているという話題に繋がる。一体何がINしていて、OUTされているのか?今の社会はコンピューターの影響か、はたまたそれ以外の何かの影響か、歪みがなくなり、そのINとOUTの間の変換に「不信がない」状態。これはダメだろう、と。ミールキットなんかも「不信のない」状態ですよね。届いたものをそのまま作れば、出来るものは間違いのない味だ。では、そのINとOUTの間に本来影響を及ぼすもの、それが「関係ない情報」もしくは「いらない情報」であり、講演会ではこれを「情報のエントロピー」とよんでいた。生物も元々はなんでも取り込めるようにしていて、進化していって生物としてだいぶ分化した時に初めて「もうこれしか取り込めません」と決めた、らしい。この部分はわたしに生物学の知識がないので、正直理解に自信がない。何れにしても、学問も同じで、最初はなんでも取り込んで、最終的に専攻する際に「この分野の知識だけ集中的に」というのが良い、とこの3人に言われては、ははーって感じですよね。そして、この「最終的な専攻」ってたぶん、学部とかではなく、博士レベルの話をしていると思う。学部生は幅広くやりな!って感じかと。

何れにしても、最近はエディション=編集が減ってきたという認識が強いらしく、それは社会の方々で確認できるとのこと。たとえば、映画のディレクターズカット集。映画は編集してあるから映画として成り立っているのであって、編集前の全てを見せるのは如何なものか?エディションが減る=全て見せる(しかも「全て」の容量自体減っている?)=想像力がない、なぜならば、エディション=変わるということが理解できなくなるからという流れ、心の中で膝を打ちましたね、私は!そういえば美輪明宏も同じ事を、言っていたっけ。「詩や短歌(言葉数が少ない)を詠んだり、知らない人間は想像力がない」と。まぁ、この辺は編集力ってなんだか特別な能力のように言ってますが、ぶっちゃけ「地頭」の話ですよね。

講演会で興味のあった部分は大体こんな感じです。ミールキットやらエディターズカットやら、世の中は編集力の低い方へ低い方へ流れているのだから、意識していないと、どこかで私も流されてしまうでしょう。まぁ、個人的には「驚異の部屋」と名付けたこのブログがある限りは大丈夫だと思っている。その名に負けないような内容にしたいと思っているので・・・驚異の部屋といえば、荒俣宏。その荒俣氏と挨拶程度とは言え、言葉を交わせたのは、小規模ながらWUNDERKAMMERを持つ身として非常に光栄なことだったのです。

 

References

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1 作っている側のくせになんですが、この講演聞いて、どうして自分が自社製品使うのが嫌いかわかりました。荒俣宏やら松岡正剛に憧れて、「変なことをたくさん知ってることを是とする」タイプなんだな、私は。

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