デザインや、あゝデザインや、デザインや 「デザイン知」松岡正剛

絵を描くのが好きな方なので、高校の芸術授業は美術を選択して、油彩や水彩をそこそこ楽しんだし、このブログで数年前に連載した哲学するカエル、クラウスくんたちは、別の話で漫画にしたことがある。ただし、作る方ではなく見る方となると、あまり好きになれず、同じ鑑賞ならば音楽の方がずっと楽しい。 [1]歴史は好きなので中野京子的視点で絵を見るのはそんなに嫌いじゃない。さらに苦手なのは現代美術。何がどういいのか、さっぱりわからん。現代美術館に行かされるのは苦痛でしかなかった。言わんや、デザインも・・・である。正直、よくわからない。

そんな私が、「デザイン」を少し身近に感じたのは、ジョナサン・アイブの本を読んでから。スティーブ・ジョブズの伝記を読んでも「こだわりの強い人だなぁ」くらいしか感じなかったが、流石にそのデザイナーの本は「これがインダストリアル・デザインか」と、いかに製品がその美しさと機能を両立させるのにデザイナーが頭をひねっているのか、その後、手に持つ製品をマジマジと見つめるほどには、私の頭の中に足跡を残したらしい。ちなみに、今のところ一番「これがインダストリアル・デザインか」と実感したのは、iphoneでもMacBookProでもなく、柔軟剤の容器である。なぜか洗剤の時には気がつかなかったが、ああいった容器の先端、液が出てくる部分の斜めカットは右利き用になっている。柔軟剤の時だけ毎回毎回キャップを開けてから、裏が自分側になるように持ち替えていたので、多分「右利きの人が正しく持つため」のデザインとしては大成功なんだと思う。

で、松岡正剛の「デザイン知」である。文様に自然界にアフォーダンスにゲシュタルト、それから「てりむくり」に建設に大工道具にプロダクトデザイン、実に盛りだくさんだった。膝を打ったのは「近代日本のデザイン文化史」の部分。

たとえばランプの変化だ。〇.一九五燭光から三.二〇燭光へ。この燭光変化も明治維新だったのである。この変化は蝋燭職人の日々を変え、家の中の意匠を変え、都市の景観を変え、ショーウィンドーを変え、さらに放射状の光条パターンを商標デザインに登場させた。(P186)

なるほど、確かに明かりが変われば、家が変わり、家が変われば、生活も変わり、生活も変われば、文化や思想も変わる。そりゃそうだ、といえば、そりゃそうだ、なんだが、たかだか「蝋燭から電球へ」でこんなに変わるとは、今まで見逃していた歴史の視点だ。と考えると、程度は全然違うだろうが、最近「憧れの暮らし」本に多い、無印良品系。あの、白とベージュとグレーのシンプルな「見せない収納」やら「小分け収納」やらも、きっと数百年後に「無印良品が暮らしを変えた」と言われるようになるのだろうか?断捨離も然り。持たない暮らしが、江戸時代の長屋風ではなく、揃いも揃って無印良品ぽいのはなにゆえか?

最後に余談。「ゲシュタルトはゲシュタルトさんが提唱したなにか」じゃない、と恥ずかしながら初めて知った。あと、私個人の生活では、無印良品にもちろんお世話になっているのだが、元々キッチンは少しごちゃごちゃしている方が好みである。ので、「天然生活」あたりのキッチンの方が好きなんだが、あれはあれで「麻のワンピースにズボンを履いて、ズック [2]スニーカーとかではなく、ズックとしか言いようがない靴履いた化粧をしてない前髪ぱっつんな女の人が好きそう」という勝手なイメージがあるので、ドンピシャではない。そもそも、「戦争論」やら「バルバロッサ作戦」やら「薔薇の名前」やら「悪魔の系譜」やら「人生と運命」が収まる本棚の取り扱いはなかなか特集してもらえない。なので、今度自ら見に行くことにした。松岡正剛の事務所に。

References

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1 歴史は好きなので中野京子的視点で絵を見るのはそんなに嫌いじゃない。
2 スニーカーとかではなく、ズックとしか言いようがない靴

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