極めた人がやればカッコいいという話

母がお茶人なため、実家には茶花辞典だとか崩し文字の読み方だとか禅語だとか、まぁそういう本が溢れていて、たまに帰ってはちょいちょいピックアップして読んでいる。(ちゃんと返しているよ!松岡正剛の本は返していないけれど。)その中の1冊で、全体的に「平手前はなんとか覚えている・・・気が・・・する・・・」という私のレベルには高度な話題であったが、「茶道ここに極まり」といった感のある本をつい最近読んだ。裏千家の先生、三田富子の「お茶の技は心のかたち」である。

で、本全体に関する感想といえば「これがお茶・・・!」とただ見上げるしかない状態なのだが、ひとつ、面白いお茶会について書かれていた。海軍に入っていた大宗匠とのことなので、15代目のお家元のお話。で、その方をお招きしたお茶会の亭主が長崎の諏訪神社の宮司でこちらも海軍出身。そんな元海軍同士のお茶会のお道具は以下の通り。

  • 床(掛け軸):源田実の「紫電」の二字(このお茶会のために「彩雲」「紫電改」「紫電」を書いてもらった。)
  • 香合:白木の菊花(軍艦の船首の菊の見立て)
  • 花入れ:ほら貝(川中島の取り合わせ)
  • その他:床の間に短剣、大宗匠の戦友の写真

で、大宗匠はお茶室に入り、床の前でまず「紫電」の掛け軸に「敬礼」された、と。話自体は「おもてなしの心」についてで締めくくっているが、私はむしろこんなお茶会が存在したことにビックリしてしまった。最近もモダンというか、アバンギャルドなお茶会があるし、そういうのに文句をつける立場じゃないのだが、「お茶=あの感じ!」という印象が強いので、やっぱりなんとなく違和感を感じてしまう。が、このお茶会は「あの感じ!」の中で、うまーく海軍ネタを取り入れているわけで、その見立てや取り合わせが面白い。これは相当な上級者がやらないと失笑モノになるわけで、そういうのをサラリとやってのけたのが、すごいぞ・・・と。まぁ、これもそれも、三田先生のおっしゃる通り、「おもてなしの心」あってであり、海軍出身のお二人が亭主と客に揃ったからできるわけで、今海軍に縁もゆかりもない人間が海軍尽くしでやっても、やっぱりそれは失笑モノになるのだ。例えば、おじいさんが海軍出身同士でお互いそこに思い入れがある、とかであれば話が違うだろうが。やはり、お茶は奥深い。

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