アブナイ奴は摘まみ出せ!

高校生を監視し政府に批判的な言動をすると教師に密告させるスパイ計画が発覚:GIGAZINE

要は、アメリカにおいて「政府に反抗しそうなアブナイ子供の兆候を捉え、信頼できる機関に報告し、普通の生徒を守れ!」という趣旨のガイドラインが出たと。それに対しての反対意見、懸念は以下の通り。

Preventing Violent Extremism in Schoolsというガイドラインは2016年1月に施行されたもの。「子どもを守るため」という名目で、政治的に危険な発言をしていたり社会経済的に孤立している子どもも対象にしていますが、「ムスリム・コミュニティを監視するものとして機能する」として懸念が寄せられています。

 

FBIのガイドラインは一見すると一般的な「危険」を高校生に対して警告したもので、ムスリムの学生をターゲットにしたものには見えません。しかし、注意深く見ていくと、FBIは常にイスラムの脅威を名前として挙げており、文化と宗教の違いを「未来の過激派」の因子として繰り返しつづっていることがわかります。

 

American Civil Liberties Union(アメリカ自由人権協会)のHugh Handeysideさんは、「暴力的な過激派の定義に『宗教上の理由に基づく暴力』を含めることは、FBIがコミュニティの監視に力を入れていることに他なりません。『懸念される行為』を示したことは、FBIが生徒の考えを監視し、これらの考えによって引き起こされる未来を予測しようとしているということを表しています」と語りました。

 

・・・え?そこ?というのが、私の正直な感想。「宗教的差別はしていない建前だが、実はムスリムがターゲット」という点について、みんな批判しているが、そもそも「学校という場で、アブナイ子供の報告させる」というのはいいの?

まぁ、とにかくヤバいやつというのはいるでしょう。コロンバイン事件から学校は幾たびも乱射事件の舞台となってきましたから。明らかにヤバい奴、これは学校や地域の安全のために、補導だったりなにかしらのアクションが必要というのはわかる。例えば、全身黒ずくめで、Facebookに銃を持っている写真をアップしていて、さらに動物虐待の写真まで・・・みたいな生徒は監視が必要、これはわかります。若気の至り、黒歴史、若者とは暴力的なものである、この辺も胸に手を置いて、ちょっと10年20年前に想いを馳せれば、ものすごーく恥ずかしい感情とともに、「まぁ、理解できるわね・・・」と納得もできる。「あのころの私、今思えばだいぶ恥ずかしいけれど、まぁ、キーキーと偉そうなこと言ってたわね。先生も大真面目に取らないでほしかったわ・・・」こんな感じでしょう。あー恥ずかしい。

が、よくよく考えると、私のこの心情、これこそが絶対的によろしくない。それは「アブナイ奴は報告されて当たり前」というこの社会のあり方を疑っていない故に、です。もちろん、社会全体への害を考えるならば、このやり方は正しい。アブナイ奴は社会から摘まみ出すに限ります。しかし、本当にそれで良いのだろうか?報告した後に更生という道ももちろん準備されているのでしょうが、そういう問題じゃない。「アブナイ奴を報告するのは当たり前」として疑いもしない、むしろ、それが大前提の上で「誰がターゲットか?」で論争しているこの状態は本当に正しい状態なのだろうか?

今回の記事、最初は「ムスリムだけではなく、そもそも学校でこういうことをすること自体が教育としてどうなのだろうか?」という引っかかりで興味を持ったのだった。が、考えてみると、学校という場だけではなく、こういう行為を推奨することをだれも問題視しない、その点にこそ問題があることがわかってしまった。しかし、生身の人間としては、アブナイ奴は怖い。近くに居て欲しくない。さて、私は一体どうすべきなのか?

 

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