勉強できない!

東大の入学式で学長の式辞が英語でなされた、とニュースになっていた。東大の教授の英語といえば・・・と思い出すのが、当時の知人と一緒に取ったCourseraの授業である。確か、戦争関連のだったが・・・まぁ、英語で授業するのは良いんだが、どうも単調で眠くなる、眠くなる。知人も同様に言っていたので、私が特段不真面目だったとか、英語を聞き取れなかったとか、そういうことではないと思う。 [1]ちなみにその知人も留学経験ありで私よりもずっと英語をしゃべれる。とにかく、睡魔に勝てなくって、私も知人も途中で聴講を諦めてしまったのだった。

ここからは連想ゲームになるが、聞き取りにくい授業といえば、上智大学のリーゼンフーバー神父様の授業である。2期ほど社会人向けの講座を取ったことがあるが、こちらは日本語ながら、そしてちゃんとマイクがあるにも関わらず、声が小さいのか何なのか、やっぱり聞き取りにくいことこのうえない。ただし、授業の内容は大変面白い。おっしゃる内容に全身全霊で耳を傾けながらノートをとると非常に疲れるのだが、毎回楽しかった。過去の聴講者向けに、今春の講座の案内が郵送されてきたが、残念ながら仕事のシフトが変わってしまい、水曜日19時からはとてもじゃないが参加できない。ただし、調べてみると土曜日にカトリック麹町聖イグナチオ教会で勉強会?(連続講演会?)があるではないですか!こりゃ行くっきゃないね!!ということで、全部の土曜日に出れるかは未定ですが、頑張ります。

2016年度夏学期のテーマ: 倫理と霊性の基礎づけⅡ: 近代・現代-理性の自律と心の愛―

で、土曜日の講演会といえば、今度の4月16日には六本木で禅の講演会にも出席するのだった。こちらは母経由の紹介で、西洋哲学はザッと眺め終わった、キリスト教神学についてもさわりくらいならば・・・とそれを専門に勉強している人にとっては憤怒モノの考えから、というか実際は単に池田晶子女史の本で触れていたので興味を持って、禅に手を出すことにしたのです。とはいえ、「孔子は昔漫画で読んだが、仏教ってちゃんと知らないわー」ってレベルなので、お茶経由で禅の世界に入ってしまった母にお手頃な本はないか?と聞いたら、ちょうど講演会があるということで、参加申し込み。これまた土曜日に、1日かけて花の六本木でひたすら禅について考える予定です。

What is Zen? 禅ってなに?

そんなこんなで土曜日をほぼ勉強で埋め尽くしているのだが、出かけないと勉強できないというのはどうなのだろう・・・毎日コツコツと机に向かって勉強することも大事だろうと、とても思う。ラテン語だって溜まってるし、Courseraだって、ちゃんとコツコツと進めるべきなのだ。なぜ自宅では勉強できないのか。学生みたいに図書館に籠もれば良いのか?(しかし、図書館に行ける日もまた土曜日である。)我ながらみっともないと思う。

 

References

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1 ちなみにその知人も留学経験ありで私よりもずっと英語をしゃべれる。

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