読書の作法

お久しぶりです。「更新?何それ?美味しいの?」状態でごめんなさい。別に書くネタが無い訳じゃないんです。書く気力が無かったんです・・・相変わらず多方面に興味があって、最近はヨーロッパ史(しかも何故か「死の舞踏」に・・・サン・サーンスの音楽が発端です。)にハマりそうなわけなんですが、今回は本の読み方の話です。

何を思ったのか一昨日買ってみました、「読書は1冊のノートにまとめなさい(奥野宣之)」を・・・

正直、買うんじゃなかったぜ☆
一応書店で中身を見てから買ったのですが、何故か朝から夜に本屋へ向かうまで「あの本を買うのだ!」という妙な使命感があったため、思い込み補正が脳内で行われてしまった模様・・・あぁ、失敗だわ。半分読んで、完全に読む気を無くしました。どうも効率性や実効性が第一の読書作法というのが、私の肌に合いません。読書って必要な知識を得る事も含めて、楽しいからするものだと思うのだけどなぁ・・・これは私がビジネスパーソンからほど遠い位置にいるからかもしれませんが。しかし、無駄が無さ過ぎてつまらん(手順的には「手書き」を薦めていたり大有りでしょうが、思考的にね)。読書ノートがあれば本そのものは要らないってそんな訳あるものですか。読書ノートを読み返して、抜き出した一文から色々考えた(本の前後の文脈を思い出した)場合はどーすんのよ。本そのものが無いと結構悶々としますよ!(私自身、読書ノートではないけど、ふとしたきっかけで「ナチスの収容所から角材の空洞に隠れて逃げたというエピソードは『ヒトラーの贋札』で読んだのか、それとも別の本か・・・」と現在進行形で悩んでいるのに。しかも『ヒトラーの贋札』は大分前に図書館で借りた本なので直ぐに確かめる事が出来ない。)

まぁ、そんな訳でお口直しに大分前に買った松岡正剛の「多読術」を改めて読んでみると、ウン、やっぱりこっちのほうがシックリきます。最近は毎日その日読んだ本(未完読でも)を手帳にメモしているのですが、思わず「松岡正剛の圧倒的勝利!勝てる訳が無い」とコメントしてしまいました。第一、年100〜150冊読むって筆者紹介文にあるけど、「本を良く読む」と自称するからにはもう少し、読んでほしいわよねぇ・・・あんまり人の事は言えませんが。

兎も角、「これなら『戦争と平和』の4巻買えばよかった・・・」と後悔した本、正直「本はあくまで情報を得る手段である、本そのものはどうでも良い」というスタンスの人にしかお薦め出来ません。「本が好き!」という人は決して読まないように。何だか泣きたくなる事請け合いです。

※オマケ※
因みに私の場合、読書の途中で何となく気になったフレーズには線を引いています。また、思った事はノートではなく直接本に書き込んでます。さらに「これぞ!」と思ったものは手帳にメモ。ついでに本の中で紹介されていて気になった本は同じく手帳の「読みたい本リスト」に加えています。そう言った意味では私の場合、手帳(バイブルサイズのリフィル型)が奥野氏のいう「ノート」の役割を果たしているのかもしれませんね。過去のリフィルもファリングされていますし。

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