否定神学と自己認識の果て

   

 

渡邉恒夫の「輪廻転生を考える 死生学のかなたへ」を読んでいる。この本によると、古代インド哲学において「真の自我(アートマン)は、〜ではないとしか表現できない」ものらしい。この部分を読んで思い出しだのが、キリスト教の否定神学である。ググってもいい定義がないので、手持ちの神学の教科書(英語)から引用するが

An approach to theology which stresses that God cannot be known in terms of human categories. (McGrath, Christian Theology)

つまり、「神は人間の言葉では表現(定義)できない」ということで、まぁそのまんま同じなんである。私がよく使う例えで言うと合わせ鏡の先にあるもの、これが自己でもあり神でもあるのだろう。それを語る(に語れない)、その方法も同じとは。いよいよもって神も自己も同じようなものだと考え始めた次第です。

ちなみに、ちょっと前に「自分を好きになるというが、その自分とはなんなのか?」とベストセラーに喧嘩を売った。そのときに

否定も肯定も自らその対象とすることができない「私」

なんて書き方をしたんだが、これはこれでやっぱり同じことである。我ながら気に入っている。

喧嘩を売ったつもりだったの・・・

 

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