小難しい本さえ読めば良いのか?

少し(だいぶ?)遅いですが、明けましておめでとうございます。去年も相変わらず緩急ある更新で大変失礼いたしました。2017年においては、「飛躍の年」とすべく、コンスタントな更新を目標にしたいと思います・・・ [1]まぁ、ちゃんと考えると、コンスタントな更新と飛躍の因果関係はない・・・

と、しおらしく始めてみました。まぁ記事そのものは全く更新してなかったのですが、地味にちゃんと更新していたのが「読んだ本一覧」。池田晶子と銀色夏生の怒涛の追い上げで、記録をつけ始めてから過去最高の111冊を2016年の1年で読んでいます。連合赤軍関連から始まった1年でしたが、内容としては(池田晶子を除いて)仏教やビックヒストリー系が多かったかなという自己評価。佐藤優には完全に飽きてしまった模様。でもまぁ、初期の本には再読したくなるものが多いので、今年また読もうかな・・・「私のマルクス」とかお風呂の中で読むのにちょうどいいのよね。

さて、いつかブログで取り上げようと思っているのに重い腰がますます重く、機会を逃していたことについて今日は考えてみたいと思います。
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ビル・ゲイツなど、大富豪の読書量は、年収300万円の人の38倍「でも、有名になりたくて、仕方がないミーハー著者の本を読んでも何も変わらない。」

この記事なんですが、骨子は正しいと思いつつ、しかし「良質な読書とはなんぞや?結局本を読むことが自分の欲求に沿っただけの自己満足ではないか?」と思えてならないんですね。

「最近本屋に平積みされているビジネス書や自己啓発本を読んでも何の足しにもならない」、この主張はまぁわかる。私もあれらの本は「3ページですむことを100ページに引き伸ばして書いている」としか思えないときがあります。それでも「感動しました!」とか「実践して人生を変えることができました!」とかそういうのが山手線のドア横の広告に載ってたりするんだから、効能ゼロというわけではないんでしょう。しかしです、では難しい本を読んでいれば思考力が身につくか?といえば、そうでもない。これは、私自身の経験からはっきり言える。自慢じゃございませんが、私、たまーに難しい本に手を出しているのです。2016年だとカール・ポパーの「歴史主義の貧困」とかね。その結果、私の歴史に対する理解と教養が高まったかといえば、そんなことは全くない。単に「はー、(読み)終わった、終わった・・・あぁ、難しい本だった。紙が分厚くてページ数少なくて助かった。」 [2]まじでこれしか覚えていない。という感想だけです。ラッセルの「哲学入門」も「最初の方で机の話をしていた気がする。」これだけ。これでは意味がない。これもある意味「本を読んでいることに満足して終わり」の一形態です。「難しい本を読んだ」という優越感も相まって、ビジネス書よりタチが悪い。

じゃ、なぜ人は本を読むのか?これは結局、「自分の知らない世界を知り、自分の世界を広げるため」ではないか、と最近は考えています。しかし、「本を読む」こと自体は能動的なものです。学校で読まされて、興味を持ったということもあるかもしれませんが、人生において手に取る大半の本は能動的に手を伸ばしたものであり、そこに私の趣味主義趣向が大いに反映されている。私も仕事をしているのでビジネス書が役に立つこともあるだろうし、まぁ、役に立っていた時代もあった。(その頃は結構読んでた。)でも今読まないのは、今の私が興味を持っていないから。中国やロシアの安全保障について本を読むのに、アルゼンチンについて読まないのは、興味がないから。恋愛小説を読まないのは興味がないから・・・っとこれは、現状を踏まえると手を伸ばすべき分野ではあるんですけどね。

とにかくこんな感じで、読書自体は能動的なものであり、「客観的な読書傾向」とか「良書が万人にとって良書」とかは絶対にいえない。松岡正剛だって乱読家ではあるだろうが、そこには絶対本人の最終的な「どの本を読むか」の決断があるはずです。それに「カラマーゾフの兄弟」を読んで、ロシアにおけるキリスト教精神を読み解く人がいれば、単に親子の痴話喧嘩として読む人もいるかもしれない。ならば、本そのものの善し悪しではなく、その本を読もうと思った理由にこそ、(あるとしたら)善し悪しというか精神の深さが現れるのではないか?だいたい、自戒も兼ねてはっきり言いますが「ビジネス書なんて読んでるヤツはバカだ」と見下す精神が、「少しでも立派なビジネスマンになりたい。仕事ができるようになりたい」と考えてビジネス書に手を伸ばす精神を馬鹿にできるのでしょうか?結局、本を読むというのはいろんな形の自己満足でしかなく、自己満足というその点においては、本の難易度は関係なく、平等なのです。「読書」ということに人としての差が出てくるとしたならば、読んだ本ではなく、読む人側にあるはずだ。

最後にお前はどうなのだ?何を考えているのだ?という問いに答えておきます。「何も考えていません!」はい。本当に考えていません。なんかのきっかけ(漫画だったり、人との会話だったり、読んだ本の中での言及だったり)で興味を持って読んで「ほー」と思っているだけで、読んだ本から何かを学ぼうとかは全く考えていません。なので、読書記録を見ても、同じような本をガッツリ読んで、その後違う分野に移動しています。2016年の最後は江戸時代でしたが、2017年は菅野直についての本たちで幕が開ける予定。ただ、どうのこうのいって、嫁入り前の女ですので、そのまま戦記物に突入するのは避けたい・・・と思ってます。ありゃ、はまると抜けだせない泥沼じゃ・・・

 

References

References
1 まぁ、ちゃんと考えると、コンスタントな更新と飛躍の因果関係はない・・・
2 まじでこれしか覚えていない。

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