職場において人事やらなんやらが「成長、せいちょー」言うので、「成長ってそんなにエライもんだっけ?」という話

とうとうキャリアマップなるものをうちの職場でも導入するらしい。その説明が昨日行われたわけだが・・・まー、見事に違和感しかない。チェッカーズの歌詞じゃないが「成長というけれど、何が成長するのだろう [1]本当は「卒業式だというけれど、何を卒業するのだろう」ギザギザハートの子守唄、大好きです。」?

んで、成長。生物としての成長は納得できる。人は生まれた瞬間に死ぬ定めにあるので、成長すなわち老化でもあるが、老化は死ぬまで続くのに対し、体の成長というのは、どこかしらでそれなりに止まる(と思われる)。では、ビジネスにおける人の成長とはなんぞや?普通に考えたらならば、人徳を身につけただとか、技能を身につけただとか、知識を身につけただとか、そういうものが成長と呼ばれるんだろう。

ここで私の気に食わないポイントはただ1つ。これらの成長は会社にとって(そこにいる私が成長することは)メリットがあるが、私にとっては別にそうでもないこと。それなのに成長を強要される居心地の悪さったら・・・!突き詰めて考えると「人徳」はともかく、ビジネススキルだとかを身につけても、私は私のなりたい人間になれないことがわかっている、だから嫌なんですね。別に「成長したくないんです!」というつもりはないが、成長することを目標に生きるのは嫌だ。会社もその辺の意を汲んでくれれば嬉しいんですが、まぁ今の上司だと難しいでしょうね・・・だいたいキャリアマップごときで人の成長がわかるものか!と思いましたが、これはまぁ、生物的成長が写真で見ると分かりやすいのと同じだと思い至りました。

ま、私個人を振り返ってみれば、一番「仕事的に」成長したのは、震災後の物流の混乱の修羅場を経験したからですが、成長するためにあれをもう一回経験するのは御免こうむりたい。さらに言えば、こんな風に成長というのは過去と今を見比べて初めて成り立つものであり、「成長しているか常に自己評価する=過去の自分と今の自分を常に見比べる」、そういうレトロスペクティブな生き方よりは、今をひたすら楽しんで生きたいと思うのです。 Carpe diem。この精神こそを私は大事にしたい。

 

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1 本当は「卒業式だというけれど、何を卒業するのだろう」ギザギザハートの子守唄、大好きです。

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