引き続き食事の話

引き続き、と書いたが、実際のところ前回の話は「食べないこと」についてであった。今回も同じく「食べないこと」についてなのだが、前回の絶食よりは食べている。

さて、ちょっと前に読んで、なんとも違和感を感じたのが、卵を食べるヴィーガンの話。卵を食べるならば、それはすでにヴィーガンではないと思うのだが、いかがだろうか?ヴィーガンは、完全菜食主義者のはず。卵を食べるのであれば、「ヴィーガン」を名乗る資格はなかろうに・・・なぜあくまでヴィーガンという立場に固執するのだろうか?

だいたい、よくよく調べてみると一言ベジタリアン(菜食主義)といっても、ラクト・オボ・ベジタリアンだとかなんだとか、やれ魚はOK、乳製品についてはこういう育ちならばOKなどなど、結構な数の分類があるのだ。自分の食べ物の趣味趣向をカテゴライズして何が楽しいのか。食べたいものを食べ、食べたくないものは食べないではダメなのか?栄養的に足りないのであれば、それはその時。「卵を食べるヴィーガン」なんて、ややこいことを言う必要はない。というか、本来「卵を食べるヴィーガン」なんて人は、存在しないのだ。

結局「ヴィーガン」というなんだかカッコ良さそうな名前とライフスタイルにあやかろうとしている中途半端な精神が、アホみたいに細かい分類を生み出しているに違いない。人間、食べなければ死んでしまう。そんな本能的な部分に格好つける労力を払うならば、格好つけずとも目の前に出されたお肉を感謝して美味しく食べる方がいいと思うんだけどな。他の動物の命を自らの命の糧とするのは、地球上の自然の摂理であるわけで、そこから外れようとすること自体に、なんだか人間のおこがましさを感じてしまうのは私だけだろうか。

とはいえ、宗教によるベジタリアンに対して、別になんとも思わないわけで、結局、私は「卵を食べるヴィーガン」みたいな、カッコウだけっぽいのが嫌いなんだろう。

 

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