「感情の地政学」はホントに地政学なのか?

大物(厚さ5センチ級)本をたくさん買ったため、寝る前本のドミニク・モイジ「感情の地政学」を読み終わるべく、本日午後いっぱい黙々と読書に励みました。なんせ寝る前本だったので、細切れで読んでいたし、その分記憶への定着と理解度が良くないことは重々承知ですが、 [1]ついでに、細切れで読んだという理由だけではなく、私の基礎知識と教養がないことも原因であることを認めようなんか気持ちよいほど好きになれない本でした。「この本良くないよねっ」という意見を求めてググったら、あら不思議、皆さん意外と好評価なんですね・・・私の理解度が足りないのか?と落ち込みましたが、私と同じ考えの人も0ではなかったらしいのでちょっとだけ紹介。「『感情』の地政学」読了 ひびのたわごと より。

「感情」で世界を色分けするというのは非常に面白い着眼点だと思うのだが、
それを実際に論理的に説明することは非常に難しく、やはり印象論に終始してしまっている印象をうける。
また、内容も地政学というよりは比較文明論に近い。
著者が批判しているハンチントンの「文明の衝突」とさしてかわりがないようにも思えてしまう。
あまり難しいことを考えず「こういう世界の見方もあるよね」と、
エッセイ的なスタンスで読むのが いいのかも知れない。

そう、この「感情の地政学」はアンチ・ハンチントンとして書かれているようで、というか「敵意丸出しで書いてんなー」と私は読みながら思ったほどだったんですが、意識し過ぎて逆に同じ穴に嵌っているんですよね。モイジ氏が感情とそのマッピングとして

希望:中国とインド でもインドと中国はまるきり同じではないし、日本は含まない

恐れ:西洋 でもアメリカとヨーロッパはまるきり同じではない

屈辱:イスラム圏 アラブ人とイスラム教については完全一致ではない [2]これについてもっと詳しく説明されるかと思ったら、そうでもなかったので、その辺もこの本に対して良くない印象を持つのです。

特殊な事例:ロシア圏、アフリカ、ラテンアメリカ、イランとイスラエル

に分けて説明しているんですが、イランとイスラエルという個別国家を除くと、ほぼまんまハンチントンの文明の分け方「中華文明(中国)」「ヒンドゥー文明(インド)」「イスラム文明」「日本文明」「東方正教会文明(ロシア)」「西洋文明」「ラテンアメリカ文明」「アフリカ文明」と一致するんですよね。これじゃあ、「なんだ、同じ分け方じゃん」と思った私は間違ってないと思う。感情も文明も変な言い方ですが、出所は一緒だと思うし。

また、この「感情で世界をみる」という方法が果たして「地政学」的なのかも個人的には疑問です。てっきり日本語訳本を出す時に出版社が「地政学」ってタイトルにいれたんだと思ったら、英語訳本からしてgeopoliticsってタイトルに入っていて、なんていうか非常に萎えました。民族(ヨーロッパへのイスラム教移民など)の話であって、決して「地」政学じゃないんですよね。勿論、ロシアの感情を形作っている一因として「国境(ロシア圏の範囲)」が何処までなのか?と言う問題も一因とされていたりするので、全てが全て地理と無関係な訳ではないですが。でもやっぱり地政学というよりは比較政治論、比較文化論に近いと思います。

そして、私がこの本を嫌う一番の理由は何となく漂って来る上から目線な感じ。アジアの希望、イスラムの屈辱と進んで、ヨーロッパとアメリカの恐れの章になっていきなり、「私はヨーロッパの、フランス人だからあんまり客観的になれないかも知れない」とか言い出し、続いてアメリカの説明に移る時には

アメリカの恐れの文化を説明するにあたって、わたしはある困難を痛感している。一体自分にアメリカを語る資格があるのだろうか?(P182)

といきなり意味不明な懺悔。アメリカを語る資格がないなら、アジアについてもイスラムについても、それこそ西洋以外の社会と文化として、語る資格は微塵もないと思うんだが、その辺は思いっきりスルーされているんですよね。アジアやイスラムについては全く機械的に「中国はこういう社会だから、こういう感情がある」とか「イスラム文化は女性差別がよろしくない」とか批判や結論付けているのに、同じ西洋圏のアメリカに対して「語る資格があるのだろうか?」というのはいかがなものか。

しかも、アメリカに気を使っているのかと思いきや、章の最後では

西洋に必要なのは、バランス感覚を磨くことだ。アメリカはもっと節度を、ヨーロッパはもっと意欲を持たねばならない。(中略)より大きな責任は強い方のパートナーである、アメリカの肩にかかっている。西洋が希望の文化を取り戻すのは、希望と夢の過去を持つアメリカと、二一世紀の世界とを結ぶ架け橋となる指導者を、アメリカが得たときだ。(P204)

と、完全に責任をアメリカに丸投げ。「あぁ、だからアメリカに気を使ったのね」とか「なんかこの本を読んだアメリカ人が責任を任されて喜んじゃいそうね」とか邪推した私の心が曇っているのでしょうか?

私は「ひとはその人が生まれてからの経験が完全に同一ということはあり得ないのだから 、同じ思考を持つことはないし、それ故に相手の考えることなど完全には判らない。 [3] … Continue reading」という哲学の持ち主なので、この本はそもそも私の哲学とぶつかる主張だったのかもしれません。勿論、相手の考えることが判らないからといって、それを理解しようと放棄することを薦める訳ではないですが、この本の中に書いてあったイスラム教(というかアラブ文化)における女性の扱い問題についてのモイジ氏の主張内容なんかを読むと、人間なかなか自分に親しみのある思考回路から抜け出せないものだな、と思います。

References

References
1 ついでに、細切れで読んだという理由だけではなく、私の基礎知識と教養がないことも原因であることを認めよう
2 これについてもっと詳しく説明されるかと思ったら、そうでもなかったので、その辺もこの本に対して良くない印象を持つのです。
3 例え、双子の兄弟を全く同じ環境で育てたとしても、自分でない存在がいる&その存在は同一ではない、と言う理由で経験が一致することはない。そして経験が一致しなければ、環境に対しての感じ方も一致しない。つまり、考え方・思考回路は別ものとなる。勿論、文化・地域・家庭など、ある程度似たような環境を共有することで、似たような思考回路を共有することはある。

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