野生の本能でヤマが当たったけど嬉しくなかった話

え〜、期末が終わりました!今回は一教科だけだったんですけどね。「1900〜1945間のヨーロッパの歴史」の試験だったんですが、エッセーのヤマが当たって、その事実に関してはちょっとだけ嬉しかったです。でも、エッセー(論文形式)の問題って、正直「何を書いたら判らない」という場合よりも「書きたい事が多過ぎて、(書くのが)面倒くさい」という場合の方が私としては多いので、今回も「ヤマが当たる→内容はすでにバッチリ→書く事が更に増える→すっごい面倒くさい→でもしょうがないので書く→途中で手が痛くなる→いきなり腕の体操をし始める→なんとか書き終わる」という端から見てると限りなく怪しい人に成り果てただけだったと思います。因みにヤマが当たった問題とは「第1次世界大戦と第2次世界大戦を同じ戦争として扱うべきだという論争があるが、同じ戦争だと考える事が出来る根拠を述べよ。その場合、(1つに纏められた戦争に)どのような名前を付けるか?理由を述べよ。」という問題と「ナチスに対する英仏の譲歩政策について論ぜよ」という問題でした。しっかし、記述形式というのが本当に書くのが面倒くさい。ドキュメント機能しかないパソコン(つまり一昔前のワープロですね)をテスト会場に装備するか、もしくはノーミソに電極刺して、考えている事を自動で文章化する機械の導入を大学側に提案したいです。更に翻訳機能がついてたら個人的には有り難いけど・・・兎も角、ノートの端から端まで6ページ分を2時間で書くのは手首的にキツかった。1年前の10ページよりはマシですけどね。(←これも歴史の試験だった。)そうそう、本題に入る前についでです。ウィルソンの対日政策のリサーチは、内容的には中途半端ながらも日程的には終了して、そのまとめのレポートを今日提出してきました。またそのうち要点だけ紹介したいと思います。

さて、以下はなんでかは良くわからないのですが、ここ2、3日考えた事です。

「人を引きつける文章」ってなんなんでしょうね?「文章が上手い」というのはどういうものなんだろうか・・・?と。個人的に、「(内容よりも文章的に)もう読んでられん!」と思った事はありますが [1]有名どころでは「きっこの日記」とか。後、多くの人を敵に回す覚悟で言う。村上春樹の文章も嫌いです。、「この文章が好きだ!」と思った事はありません。椎名誠の影響は受けていても [2]詳しくは過去記事:昭和軽薄体を参考にどうぞ。椎名誠だけは真似しようとして真似出来る自信がちょっとだけある。、彼の文体を「好きだ」と思った事は無いしさ。文章表現なんて、読んでいて苦にならなければそれで十分なのかなと思う反面、でもそれじゃあプロの物書きの存在はどうなる?みたいな・・・うーん、良くわからない。

とか思って過去ログ眺めていたら昔も同じような事を考えました。→■ [3]絶賛リンク切れ中
成長しないね、私も・・・因みにミスキャンブログを覗いては(心の中で)馬鹿にする癖も直ってません。だって楽しいんだもん、突っ込みどころが多くってさ。ってか何で奴らは読点(、)は使っても、句点(。)を使わないの?絶対変だって、それ!!

あ、後ここに書いてもしょうがないんですが、日本に帰ったら本格的に哲学に手を出す事にしました。「危機の20年」を読んで「ヘーゲルが〜」「ブラトンが〜」と言われても「?」な自分に嫌気がさしたよ。辛うじてマキャベリとホッブスだけ読んでいるんだけど、後は駄目。ベンサムも「最大多数の最大幸福」しか知らないし・・・「無知の知」とか言いますけどね、やっぱり「無知は無知」ですよ。自分が知らないという事を知っていても、知らない事を知らなきゃ意味が無いんだよ!!「知らないという事を知っている自分は、知らないという事を知らない相手よりも優れている」ってそりゃ負け惜しみだと思うよ、私は。

References

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1 有名どころでは「きっこの日記」とか。後、多くの人を敵に回す覚悟で言う。村上春樹の文章も嫌いです。
2 詳しくは過去記事:昭和軽薄体を参考にどうぞ。椎名誠だけは真似しようとして真似出来る自信がちょっとだけある。
3 絶賛リンク切れ中

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