私と英語の話

”I don’t understand”を笑うことができない

こちらのnoteを見かけて思ったこと。問題のツイート自体は見てないし、正直「日本人が日本で(外国人と一緒にいるというシチュエーションで)日本語で話しかけられているのに英語で答えた」ってのは、「まぁ、炎上するだろうな」って思うし、個人的には「日本語でいいじゃん」とも思う。でも、今回の話はその是非ではなく、単に私の留学経験のお話。

何度かブログにも書いた気がするが、私は子供の頃英語に触れ合うことがなく、小学3年生→4年生に上がる春休みで「7日間オーストラリアの旅」みたいなのに行ったが、その時も「ソックス」とか「ハット」とか、もう半分日本語になっているような英単語にも「???(聞いたことがあるような・・・)」というそれはひどい状態だった。6年生の頃は、国立だったこともあり、多分実験的ななんかで英語教育があったが、thisとかthatとかの区別もつきやしない。アルファベットも覚えられなかった。中高は進学校だったので、地元では2校しか使っていないという、ちょっと上級な英語教材を使っていたが、まー本当にわからない。(一応補足しておくと、とりあえず的に「クラウン」とかの教科書も配られていた。)先生に当てられてしどろもどろ、答えられず「チャイムがなってよかったね」と言われる始末で、成績は200人中下から4番くらいだったと思う。

そんな私が一念発起・・・したわけではなく、単に世代的に許されなかった母親の「留学したかった」という思いがが娘の私に託されて、高校留学をしてから、英語を使えるようになった。この留学、恐ろしいほどにスパルタでそれが良かったのである。

最初に紹介したnoteにも書いてあったが

「英語が話せない=死」だったし、海外では「わからなければ身振り手振りを交えてでも自分から伝えようとする姿勢」が無ければ生きる資格はないと留学を通して学んだ。

なんである。小さいながらしっかりした留学斡旋団体は、「日本人がだれもいない高校にぶっこむ」がウリだったのだ。マジでいなかった。メキシコに近かったのでヒスパニックは多かったが、日本人どころかアジア系もお目にかからなかった。おかげさまで家族とのメール以外は全部英語である。アメリカの高校は毎日同じ授業なので、学期に確か5〜6クラスとって、そのクラスメートとは毎日顔を付き合わせることになる。留学して2週間くらい経ってから、とある女の子が2つのクラスで一緒だからこの人と仲良くなれば1日の3分の1は友達と一緒だ!という打算で声をかけたり・・・かなり苦労したんである。その甲斐あって(?)、12月ごろ(だいたい半月後)には「あ!私英語で話ししている時に日本語が頭の中に出てきていない!」という状態になれたし、今思うと恐ろしいことに、人体の臓器の専門用語(20文字を超える単語)なんかも覚えてた。生物の授業で「人体」に特化したのがあったんで、面白そうで取ったのだ・・・ついでに言えば、大学留学の時は「英語学ぶ」のではなく、「英語学ぶ」のだ!という気概だったので、特に英語にまつわる思い出や苦労話はない。「いい成績取る方法」とか編み出していたので、今度改めてアップしたいと思う。

・・・と、長々と書いたが、佐藤優の語学は自習では厳しいという意見に私も賛成だ。もちろん留学という恵まれていた環境には感謝しかないが、「話せない=死」を擬似的にでも味わえる環境に身を置くのが大事だと思う。(なので、語学スクールで恥をかきたくない!とかでもOK。)私も他の言語を勉強したくなってきた。

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